まず初めに、新型コロナウイルス感染症拡大防止にご尽力頂いている医療従事者の方々、試合開催のためにご尽力頂いている方々に深く感謝申し上げます。
そして日頃より農友会サッカー部を応援してくださっている皆様ありがとうございます。
農大の色男
南部歩夢選手から紹介いただきました。
疋田勝人です。
みんなのように、この大学4年間の熱い想いや同期への愛などをたくさん書きたいのですが、最初で最後のブログということなので、自分の約17年間続けてきたこれまでの「サッカー人生」について振り返ろうと思います。
だいぶ長くなりますが、読んでもらえると嬉しいです。
それではどうぞ。
〜道〜 『優人と勝人』
私のサッカー人生には、常に兄の存在があった。
私には2個年上の兄がいる。
兄「疋田優人」弟(自分)「疋田勝人」
兄は私にサッカーをはじめるきっかけを与えてくれた。
私がサッカーをはじめたのは、4歳か5歳の頃。
兄の影響で気がついた頃には、自分もボールを蹴っていた。
兄は小さい頃、サッカーをするか、野球をするか悩んでいたらしい。
そして最終的にサッカーを選んだ。
その時、兄がサッカーを選んでいなかったら、自分もサッカーをしていなかった。
もし、そうなっていたら自分の人生、今とは全く違うものになっていただろう。
今までサッカーで繋がった素晴らしい仲間たちと出会えなかったと思うと、その時の兄の選択には感謝しかない。
自分に「サッカー」というものを教えてくれてありがとう。
小学生の頃は、毎朝起きてすぐ、家の前で2人でリフティングをするのが日課だった。
サッカーの実力は、地域の中でも飛び抜けた存在だった兄。
そんな兄が近くにいた事で自分も自然とサッカーが上達していた。
小学生の頃は、ただただサッカーが楽しくて、兄とボールを蹴っている時間が大好きだった。
兄が中学生になると、少しずつ兄と一緒にサッカーをすることがなくなった。
口数もだんだんと減っていった。
そして自分も中学に上がる時、兄と同じクラブチームに入った。
そのクラブチームの中でも兄は飛び抜けた存在だった。
兄は、中学時代の活躍が評価され、県内屈指の強豪である「広島皆実高校」から推薦をもらい進学した。
自分たちのクラブチームから強豪校へ行くのは、ごく稀で凄いことだった。
そういうこともあり、周りからは弟の自分へも期待をよせられるようになった。
でも当時自分自身、兄のような実力は全くなかった。
兄のように点を決めれるわけでもないし、テクニックがあるわけでもない。
自分の実力はわかっていた。
当然高校も強豪へ行けるようなレベルではなかった。
しかし、兄がいた事もあり、広島皆実の練習に参加させて頂いたり、試合を見てもらえたりして、ありがたいことに推薦をもらう事ができた。
でも、推薦をもらった人たちの中で、自分は全てにおいて圧倒的に1番下だった。
そこは自覚しながらも広島皆実に入学し、サッカー漬けの毎日をスタートさせた。
ここでも近くにいた兄の存在が自分にとって、ものすごく大きかった。
当時兄は、高校3年生でチームの主力としてインターハイや選手権に出場し、活躍していた。
そんな兄をただひたすら応援席から眺めていた。
そして気づいた時に自分の「憧れ」の存在になっていた。
兄にこの感覚をもったのははじめてだった。
自分も兄のように活躍したい。
兄のようになりたい。
そして兄を超えたい。
そう思うようになっていた。
そこから毎日死に物狂いで練習し、自分の長所を磨き、努力し続けた。
その結果、2年生からスタメンで試合に出させてもらえるようになった。
2年生の頃には、国体で全国準優勝や選手権全国大会出場。
3年生の頃は、県大会優秀選手や県選抜に選ばれるなど、ものすごく良い経験をさせてもらい、自分自身の実力とともに自信をつける事ができた。
これは全て兄のおかげである。
まず、兄がいなければ広島皆実に入る事すらできていなかっただろうし、高校サッカーにここまで本気で向き合っていなかったと思う。
そんな兄が近くにいた事を感謝している。
そして大学では、初めて2人違うチームへいった。
最初は、同じ大学へ行くかすごく迷った。
でも自分の中で「もう兄に頼りたくない」「自分の実力で勝負したい」と強く思った。
今まで全部兄について行き、兄のおかげでここまでこれた。
でも次は、自分1人の力で勝負し、活躍したいと思い、この東京農業大学サッカー部に入部した。
「関東リーグで活躍する」
強い気持ちを持って東京にでてきた。
しかし現実はそう甘くはなかった。
入部当初から怪我を繰り返し、思うようにプレーできなかった。
必死にリハビリを行い、怪我を治し、試合に出させてもらえるようになったが、1.2年目は自分のプレーでチームの勝利にはなかなか貢献できなかった。
そんな中、兄は関西リーグで3年生から活躍し、関西1部リーグで優勝。そして4年生の最後にはプロの内定まで勝ち取った。
本当にすごかった。自分の事のように嬉しかった。自慢の兄だった。
でもそれ以上に悔しかった。
自分は大学に来て1年、2年と何もできていない。
そんな自分が情けなかった。
しかし、それが原動力となり、メンタルを立て直し、いつも以上に気合いをいれて、大学3年目のシーズンに挑んだ。
3年生が勝負どころ。
兄も3年生で活躍し、プロへ行った。
俺も活躍してみせる。
そう強く思った。
だが、またしてもそう簡単にはいかなかった。
また怪我だ。
すごく焦った。
時間がない。早く治さないといけない。
しかし、治ったと思ってもまた再発。
同じ怪我を繰り返した。
当然トップチームのメンバーからは外れた。
同期の活躍を外から見る日々。
悔しかった。
だが、苦しみはこれで終わりではなかった。
突然大きな病気にかかり、入院することになった。
しんどくて、苦しかった。
しっかり病気は完治したが、体を戻すのには時間がかかった。
なんで自分は、こんなにも苦しい思いをしないといけないのか。
サッカーの神様が「疋田勝人」をサッカーから突き放しているように感じた。
そんな1年間を過ごし、3年目にしてトップチームの公式戦には1試合も出ることができなかった。
気合いを入れて挑んだ大学3年目。
ほとんどサッカーをすることができず、想像していたこととは全く違う1年間を過ごした。
それに対し、プロ1年目の兄は、Jリーグデビュー戦で初ゴールを決めるなど活躍していた。
あんなに身近にいた兄がものすごく遠い存在に感じた。
兄といつの間にこんなに差がついたのか。
兄はいつの間にあんなとこまでいってしまったのか。
兄のことを素直に応援できない自分がいた。
そして周りも「お兄ちゃんすごいね」と兄の話ばかりする。
それが嫌で嫌で仕方なかった。
何もうまくいかない自分の大学サッカー生活。
さすがにメンタルはもたなかった。
でも、そんな時支えてくれたのは母だった。
悩んで苦しんで元気のない自分に1番に気づくのはいつも母だった。
そんな自分を気にかけ、いつも電話をしてくれた。
そして、ある日そんな自分に母がとある曲を送ってきた。
その曲の歌詞一つ一つが今の自分と重なった。
歌詞
いつも思い通りにいかない日々。
少し遠い夢と人に笑われる。
下向き、うなずき、自分に嘘つき。
単なる言い訳を繰り返して
頑張る自分をさらに見失って。
正しい道か誰も分からないけど
きっと人生はそんなところ。
大事な気持ち見失わずいこう。
どんなに辛いような時も
せわしなく過ぎていく日々も
明日へと続いた道で
一つ一つが今の君。
どんなに時が過ぎ去っても
決して忘れないその道を
またとない時間の中で答えが見えるから。
この曲を聴いて自然と涙がでた。
そして母がこう言ってくれた。
「優人は優人。勝人は勝人。それぞれの良さがあって、それぞれの人生がある。自分は自分らしく楽しく生きなさい。」
この言葉に救われた。
今までの自分は、少し兄を意識しすぎていたのかもしれない。
昔から兄と比べられる事が多かった。
その度に嫌な思いをしていた。
でもそんなことは関係ない。
周りが比べるなんて気にしなくていい。
自分は自分。
勝人には勝人の良さがある。
『他の人には歩めない自分だけの道を歩めばいい』
そう思うようになってから、自分の中で気持ちが楽になった。
そして迎えた4年生ラストシーズン。
気持ちの変化もあり、ラストシーズンは怪我も少なく、ここ4年間で1番長くサッカーができた。(最後の最後にまた怪我したけど、それも自分らしい笑)
試合にも多く出場することができた。
そしてなによりもこの1年間は、今までで1番楽しくサッカーができた。
同期たちと一緒に試合に出れる喜び。
何気ない毎日の練習。
みんなとのアゲの走り。
人生最後の合宿。
全てが楽しかった。
チームも、関東2部への昇格は逃したが、来年の関東3部リーグを掴み取る事ができた。
結局兄のようにプロサッカー選手にはなれなかったが、今自分の人生に後悔はない。
これからも自分らしく、自分だけの道を歩んでいきたい。
そして兄、疋田優人の活躍も素直に心から応援している。
俺の分までプロの世界で暴れてほしい。
あんなに嫌だとか書いたりしたが、なんだかんだ結局兄のことは好きだ。
小さい頃からずっと一緒にいて、たくさん喧嘩して、たくさん悪さして、話したらきりがないけど、兄がいなければ確実に今の自分はいない。
ありがとう優人。
優人も優人なりに悩んだことがたくさんあっただろうし、長男として苦しい思いをしたこともたくさんあったと思う。
でも、そんな姿を弟の自分に一切見せず、ただひたすらサッカーに向き合っている姿はかっこよかった。
そんな兄をこれからもずっと尊敬しています。
そして大学で出会った同期たち
みんながいなかったら、俺は1人でもっと苦しんでメンタルやられていたはず。
みんながいたから、こんなに苦しくても、最高に楽しい大学生活が送れたと思ってます。
怪我をした時も、病気になった時も、みんなすごく心配してくれて、家にお見舞いに来てくれたり、連絡をしてくれたりして助かった。
毎日部活に行って、みんなに会えばたくさん笑っていられて、そんな場所がすごく居心地よくて、大好きだった。
自分は本当に仲間に恵まれてるなと感じた。
サッカー人生、最後にみんなと出会えて良かった。
本当に4年間ありがとう。
そして、陸月。
高校で2年間、大学で3年間、5年もこんな俺についてきてくれてありがとう。
俺にとって陸月は間違いなく1番の後輩。
陸月が農大サッカー部で楽しそうにしているのを見てると、本当に嬉しくて、農大サッカー部に誘って良かったなっていつも思う。
陸月も周りの仲間たちに恵まれてるよ。
陸月は、試合に出れない時期とか、苦しい事があっても、弱音を一切吐かず、常に前だけ向いて、熱くプレーしてるのを高校の頃から近くで見てきた。
だからラスト1年、絶対試合に出て活躍してほしい。
期待してるぞ陸月。
調子悪くて、変な方向いきたくなる時があるかもしれんけど、どんな事があっても絶対気持ちはブレるなよ。
なんかあった時はいつでも俺を頼って相談しにきてほしい。
最後に
FC中洋、鷗州サッカークラブ、メーヴェFC、広島皆実高校サッカー部、東京農業大学サッカー部
これまで「疋田勝人」のサッカー人生に関わってくださった全ての人に感謝しています。
本当にありがとうございました。
だいぶ長くなりましたが、この辺で終わりにしたいと思います。
両親への感謝の気持ちは、ここで書くとまた長くなりそうなので、自分の言葉でしっかりと伝えたいと思います。
明日のブログは、「農大のお猿さん」こと平井琢夢選手です。(あ、俺しか言ってないか)
彼の内に秘めた思いを是非ブログでご覧になってみてください。