「積み重ね」佐土明也
まず初めに、日頃から東京農業大学農友会サッカー部の活動を応援、支援して下さってる皆様、誠にありがとうございます。
この場を借りて、御礼申し上げます。
は〜いこんにちは〜
夏はポカリよりお酒、冬はココアよりお酒。
朝は牛乳よりお酒、夜はもちろんお酒。
居酒屋では司令塔。
俺が残した酒をジョッキごと飲み込んでしまう。
もうほぼシロナガスクジラな漢、岩永選手から紹介を預かりました。
世界の人々に聞いた、世界中で住みたい場所ランキング(2023年調査)ダントツNo.1の千葉県出身、何か悩みごとや悲しいことがあったらとりあえず公園へ走りに行くかジムへ行く、脳筋王佐土明也です。
早速ですが皆さん、「悪魔のポーズ」って知ってますか?
↑このポーズは大学2年生の頃に僕が発明したものです。
大学2年生時の公式戦で、前半早々先制点をとって、ゴールパフォーマンスでこのポーズをして、1-0で勝っていたのにも関わらず、前半のうちに逆転され、結果1-4。
大学4年生時の昇格がかかった大事な試合で、3-0となるゴールを決め、さすがにもういけるだろと思い、ゴールパフォーマンスでこのポーズをして、なぜかそこから流れは相手に。結果3-3。昇格できず。
大学4年生時の体育祭のリレーでは、僕がアンカーでダントツ1位でゴールして、ゴールパフォーマンスでこのポーズをして、次のレースのラクロス部が転倒&バトンミスで大失格になりました。
効果は絶大です。
上記の写真を見てしまった方は、1週間以内に不幸が訪れます?
まぁそんなことどうでもいいのよ。
ふざけるのはここまで。
最初で最後のブログ。
珍しく真面目に、思っていること、感じたことをそのまま綴りました。
結構な量で、文にまとまりも工夫もないため、とても読みづらいかもしれません。
暇なときでいいです。もうこれ以上やることがなくなったとき、ファンタグレープやリアルゴールド、マウンテンデューを飲みながらでいいので、読んでくれたら嬉しいです。感想待ってます。
まずは前置きから、、
2023年11月18日、関東リーグ最終節。
勝ったら残留。負けたらプレーオフ。
絶対に勝たなければならない試合。
最後の笛が鳴ったとき、俺はピッチに立っていた。
大学1年時の序列やプレーの質、サッカーに対する姿勢からみて、俺が関東リーグのピッチに立っているなんて誰が予想したことか。
サッカーに対する炎が消えかけていた俺が、最後の最後にピッチに立つまでの人生大逆転物語。
それでは、スタート!!
「変わったな。俺。」
引退した今、改めて思う。
過去の俺とはもはや別人。
こんなに闘う選手ではなかった。
中学生の頃は何もかも上手くいっていた。
全てが楽しかった。
武器であったスピードとドリブルを駆使し、ほぼ毎試合点を獲った。俺がチームを勝たせていた。
県外遠征に行ってはJリーグの下部組織から何個もスカウトがきた。
中3の関東大会では、相手に徹底分析され、現在プロで戦っている選手からマンマークされてたりもした。
そんなマンマークも振り払って、スピードでぶっちぎった。
県リーグでも点を獲りまくっていたので、スカウトに来たスタッフの目に留まり、運良く市立船橋高校に入学することができた。
プロになる片道切符ゲット。
この調子でいけば必ずプロになれると思っていた。
迎えた高校最初の練習。
俺より速い奴、ドリブルが上手い奴、走れる奴しかいなかった。
そんなに甘くなかった。
また、腰の怪我もあり、1年間サッカーができなくなった。
それから完全にスイッチが切れてしまった。
卒業につれて徐々にパフォーマンスも上がってきだが、結果的に見れば俺の高校3年間は、「市船」というネームバリューだけに抱えられ、ただ所属しているだけの人間で終わった。
高校3年間、スタッフに言われ続けた言葉がある。
「変われ」
なんだよ変われって。
バイトか?
当時の俺は、「変われ」じゃなくて、変わり方を教えてくれよって思っていた。
言葉の表面は理解していたが、本当の意味は理解できなかった。
高校卒業後、進路をどうするか。
正直、大学でサッカーを続けるか迷った。
何も結果が出ない。点が獲れない。走れない。楽しくない。
光り輝く大好きなサッカーが、徐々に雲へと隠れていった。
そんな中、「このままじゃ終われない」という自分がいた。
3年間トップチームで試合に出れず、その上何も変化しなかったクソみたいな自分が許せなかった。
「4年間で決着をつける。」
そう決心して、父の母校である「東京農業大学」へ進学しサッカー部に入部した。
たとえプロになれなくてもいい。
もう一度本気で向き合おうと決めた。
1年生前期。
周りの同期はセレクションで受かってきた奴、スポーツ推薦の奴。
高校生の時に1度だけ練習に参加しただけで、「受験で合格したらサッカー部に入っていいよ」程度だった俺は、もちろんど底辺からのスタートだった。
ど底辺どころではない。
地下。B4Fくらい。
練習試合のメンバーに名前がなく、少人数での練習。
円になって、順番に1.2.3.4とチーム分けをするときに、俺の隣に並びたがる先輩達。
人気者じゃない。ただ俺と同じチームになりたくないだけ。
社会人リーグもメンバー外。
片道3時間半くらいかけて移動して、45分しか出ることができない練習試合。
地獄だ。
また高校の時と同じだ。
決心して入部したはずなのに、何も変わってない。
「なんで大学生にまでなってサッカーしてるんだろう」
そう思うようになった。
地元の友達は酒飲んで、オールして朝帰り。(全然帰ってこない奴もいたけどな。)
そんな生活に憧れている自分がいた。(家には帰るけどな。)
サッカーに対する炎が消えかけている俺。
今日も当然2ndチームでの練習。
ふとトップチームの練習を眺めてみた。
俺と同じポジションのFWで、目の色を変え、ありえないくらい前からボールを追って、走って、身体を張って、スライディングして、意地でもボールを収める選手がいた。
菅又勇人(賢人のアニキ)。鈴木直人。
彼らのプレーを見て、「これだ」と思った。
ピッチ内のプレーはもちろん、ピッチ外の行動も目標にするべき人達であった。
俺の目指すべき姿が目の前にある。
少しでも真似て、自分のものにしよう。そう思った。
1年生後期〜2年生。
そこからサッカーに対する意識が少しずつ変わってきた。
練習前に早く来てストレッチ、体幹。
練習中もガンガン前線から追う。走る。身体を張る。
練習後の筋トレ、食事、睡眠。
高校のときに言われていた「変われ」という言葉。
少しだけ意味がわかってきた気がする。
変わるきっかけを作るのは、周りではなくて自分。
細かいところでも、少しだけでも意識を変えてみる。
徐々に心が変わって、そしたら行動が変わって、習慣が変わって、人格が変わって、最後は運命が変わる。
全然バイトとか、そんなレベルの話ではなかった。
面白いことに、段々と序列も上がっていった。
「サッカー楽しい」
本当に少しずつだが、そう思えるようになってきた。
3年生。
もう上級生になった。
1年の後期から、サッカーに対する意識が変わってきた。
序列も上がってきている。
でもなぜだろう。
いまいちブレイクしない。
突き抜けない。
なんだろうこの感覚。
自分の中ではものすごく頑張っている。闘っている。
周りの部員からも
「明也君めっちゃ走ってますね」
「まじ闘えるようになったな」
たくさん褒められるようになった。
でもいまいちピンとこない。
点を獲ってないからかな。
でも前線からのプレスでボールを奪って、味方が点を獲って、
得点には確実に絡んでいる。
今思えば3年生の頃が大学の4年間で一番辛かったかもな。
調子が上がってきたと思ったら捻挫。
体調を崩す。
色々な要素が重なって、中々ブレイクできなかった3年生だった。
でもその中でもずっとやり続けたことがある。
筋トレだ。
たとえプレーが上手くいかなくても、
先輩にボロクソ言われても、
捻挫をしてても、
朝練後でめちゃくちゃ眠くても、
筋トレだけは継続した。
いつの日か、直人君に質問したことがある。
「試合前日とかでも筋トレしてます?」
「全然する。明日の試合のためだけに筋トレしてるわけじゃない」
その通りだと思った。
いつチャンスが来てもいいように、
そのときのために常に準備しておくべきだ。
だから何があっても、どんなときでも筋トレをした。
種目が終わる
↓
休憩の2分のタイマーをスタートする
↓
部員のところへ行く
↓
ボケる
↓
ツッコミをもらう
↓
タイマーが鳴ったので戻る
↓
種目をやる
毎回こんな流れだった。
筋トレ中に笑わせてごめんな賢人。
喧嘩絡みしかしなくてごめんな堀井。
「なんやこいつ」のツッコミをどうしても引き出したかったんだよ耕輔。
なんだっけ為岡。グリズリー森田だっけ。
筋トレルームに行ったら誰かしら部員がいる。
奴らのおかげで頑張れたのかもな。
だるかったかもだけどツッコんでくれた部員達にはすごく感謝している。ありがとう。
翔暉に「今日何時筋トレ?」って何回聞いたことか。
本当にやり続けたよな。
(ちなみに翔暉にボケるとボケで返してくるので、俺がツッコむ形になる)
最終学年でブレイクするための下積み生活だった。
4年生。
11月頃に先輩達が引退して、もう最上級生。
本気でサッカーに打ち込める環境で活動ができるのも最後。
泣いても笑っても最後の1年だ。
4年生になる前に、まずシーズンオフを挟んだ。
毎年、だいたい12月中旬〜1月いっぱいまでの1ヶ月半の期間がオフになる。
普段は中々できないことができる期間。
昼間は遊んで、夜に居酒屋に行って酒を飲んで、
カラオケに行って、みんなが鬼のように酒を飲む中、
俺はback number歌って、
96点くらい叩き出して、朝に帰って夕方まで寝る。
バカみたいバイトする。
旅行する。
そんな生活が、シーズンオフの醍醐味だった。
だが、4年生になる俺は今までとは違った。
玄関に行き、
俺が履くのはスニーカーではなくランニングシューズ。
手に握るのはジョッキでもマイクでもなく、
ダンベル、懸垂のバー。
揚げ物、ラーメン、スイーツ。
一切口にしなかった。
玄関にあるスニーカーは綺麗に保たれたままなのに、
ランニングシューズはボロボロだった。
穴が空き、ソールが剥がれていた。
毎日走った。
1日30分はマスト。
公園内のランニングコースを爆走し、
散歩してる犬に「ワンワン!!」吠えられる。
頑張れ!って言ってくれてたのかな。
もっとペース上げろ!って言ってくれてたのかな。
家の近くにある陸上競技場に行って、お金を払って陸上トラックを借りて、何回もクーパーを走った。
今Nike Runのアプリを見返したら、
シーズンオフの1ヶ月半で合計150km走っていた。
総平均ペースは1km平均4分8秒。
毎度、ぶっ倒れそうになるくらい心拍数を上げて、フラフラになりながら家へ帰った。
昨日の俺を越えよう。
昨日と同じ分数を走るとしたら、ほんの少しだけでも、1mくらいだけでもいいから走ろう。
昨日の俺とのタイムアタック。
マリカーと違ってショートカットはできない。
じゃんぜりインコースを攻めたら足首を捻挫する。
ズルはできない。
昨日の記録を越えられなかった日は、ペナルティとして坂道ダッシュをした。
そんな毎日を積み重ねるごとに走れるようになっていく自分が面白かった。
最後のオフ期間を遊びでもなく、休養でもなく、
身体強化に使った。
そんな鍛錬期を経て、4月からの関東リーグが開幕した。
開幕の城西戦、4年生にして初めてトップチームのベンチに入った。
ベンチ入りできたのは、直近のシーズンオフを身体強化に使っただけが理由ではない。
寝不足でめちゃくちゃ眠くても、お腹が空いてても、授業の間で筋トレしたり、
身体をデカくするために無理矢理にでも口に白飯を詰め込んだり、
家に帰って走るために里玖と晋太郎との飯を断ったり、
(俺とどうしてもご飯食べたかったよねごめんね。)
外が大雨で寒すぎても、公園内を1人で爆走したり、
どんなに辛いときでも、全く結果が出なかったときでも、
俺が日々努力を積み重ねた結果だった。
積み重ねて良かった。
努力が実った。
いや、
努力を実らせた。
開幕戦は10分程の出場だったが、俺にとっては特別な10分間。
そこから2節目もベンチに入って、30分間出場した。
その2試合以降、主戦場はIリーグになった。
最終節まで関東リーグにベンチ入りすることはなかった。
登録の関係などもあったが、俺のプレーレベルからして、トップチームの試合には帯同できなかった。
あれ、まただ。
またこの感覚。
3年生のときに感じた、頑張ってるのにブレイクしない、突き抜けられないあの感覚。
歯痒い。点を獲って勝たせたい。
結局、Iリーグが開幕した5月から、頑張っているのに、本気で闘っているのに、結果が出ない時期が続いた。
転機は9月16日、Iリーグ vs国士舘。
2ゴール1アシストをして3-2で勝った試合。
ここから何かが変わった。
この試合から、ほぼ毎試合点が獲れるようになった。
三笘のようなドリブルからのゴール。
ケヴィン・デ・ブライネのようなクロスでのアシスト。
エムバペのようにスピードにのってサイドをぶっちぎってのゴール。
ジェレミー・ドクのようにドリブルで相手の逆をついてのゴール。
俺の中で何かを変えたつもりはない。
本気で気持ちを切り替えたわけでもない。
ただどんなときでも、努力を積み重ねただけ。
それが徐々に、結果という形になって
俺に返ってき始めているだけ。
そう思った。
あと、コンディション調整の為に、俺がやるべきことを見つけた。
それは、試合前日にクーパーを走ること、ショートダッシュを30本走ること。
これらを試合前日の夜にやると、当日身体が動くのを実感した。
前線から走って、闘うには、チームに貢献するためには、これが最善策だった。
トレーナーには
「絶対に走らない方が、当日身体動くから」
と言われた。
徳さん、、、
そんなの知らないっす。
これが俺のやり方なので。
前日に死ぬ気で走らないと、当日走れないんです。
結果が出せるようになってきた。
このままチームに貢献し続ける。
引退試合の最後の笛まで駆け抜けるしかない。
何度足首を痛めても、
痛み止めの注射を打って、痛み止めを飲んで、ガチガチに固定して、
チームの為に走った。
満身創痍。
引退までの残り2ヶ月、その言葉の通りだった。
関東リーグの最終節の2日前。
練習後、監督に呼ばれた。
「明後日の試合、お前をメンバーに入れる。」
なんとなく心の準備はしていた。
父からも言われていた。
「明也、最後メンバーに入る気がするんだよね」って。
何故か父はノストラダムスのような能力を持っている。
Iリーグの1部参入戦が1試合残っていたが、関東リーグのメンバーに入った。
登録の関係上、もうIリーグには出られない。
10試合以上闘ったIリーグ、勝ち続けて得た一部参入への切符。
最後の最後で出られないのはとても悲しかったけど、
俺の目標は、もう一度関東リーグの舞台に立つことだった。
Iリーグで共に闘ったメンバーのためにも、
怪我をした晋太郎、夏稀のためにも、
出場時間は短いかもだけど、限られた時間で全てをぶつけると決めた。
試合前夜、いつも通りのコンディション調整。
走っていると、自然と涙が溢れた。
「まだ泣くの早いて」ってやつ。
どんな涙だったのだろう。
安心なのか、後悔なのか、感動なのか、悲しさなのか。
自分でも分からない。
ただ、「積み重ねてきて良かった」と本気で思えた。
試合当日、痛み止めを飲んで、足首はガチガチに固定。
この試合で身体がどうなってもいい。
4年間の全てをぶつけた。
後半25分、1-0で勝っている場面で俺の名前が呼ばれる。
帰ってきたこの舞台。
みんなの想いと、積み重ねてきたものを背負い、
Mサイズの上ピッチピチ、下パンパンのユニを着て闘う。
(耕輔、チーム運営でたくさんミスをしたとブログに書いてあったけど、4年間で最大のミスは俺のMサイズユニだぞ。反省しろ。)
俺が入ってから最初のプレーのゴールキック。
中條が競り合って、相手に球が渡って、
相手が球を保持してる中、俺は4度追って球を奪った。
俺が球を奪ってから、ゴールが生まれ、2-0。
そのまま2-0で勝った。自力残留決定。
この4度追いが、俺の4年間を物語った。
紙一枚くらいの薄さだったのかもしれないけど、
毎日、努力という名の紙を一枚一枚、忠実に積み重ねた。
努力で作った大きな山。
最後に実って良かったな。
実らせることができて良かったな。
後悔なんて全くない。
やりきった。
「もっと早くこれをやれてたら、試合出れたのにな。あと1年あれば、試合出れたのにな。」
砂川さんに言われた。
いや、俺にとっては妥当だ。
俺は才能がないし、突出した武器もない。
サッカーセンスもなければ、アジリティ能力もない。
そんな俺が突き抜けるためには、そのくらいの時間が必要だった。
俺がみんなのレベルに追いつくまで、4年間必要だった。
ただそれだけのこと。
もっと早くからやっておけばとか、そんな後悔一切ない。
今、武器は何ですか?と聞かれたら真っ先にこう答える。
「努力を積み重ねること」
「努力を実らせること」
そう胸張って言えるくらい、成長した俺。
変わった俺。
めちゃくちゃ濃い4年間だったな。
サッカー人生の中で、
一番充実して、闘って、走って、笑って、泣いて、悩んで、
それでも努力を積み重ね続けた4年間。
最高だったな。
何があっても闘い続けて良かった。
走り続けて良かった。
積み重ね続けて良かった。
農大で良かった。
〜オワリ〜
スタッフの方々
4年間ありがとうございました。
全く点が獲れなくても、ワンタッチを何回もミスっても、何度も怪我をしても、最後はメンバーに入れてくれたこと、本当に感謝しかありません。
4年間の全てが報われた気がします。
ありがとうございました。
両親
18年間、素晴らしい環境でサッカーをやらせてくれてありがとう。
本気で身体を作りたいから、揚げ物をなしにしてほしいって伝えたら、一切出てこなくなったどころか、筋肉料理を振る舞ってくれたり、朝練で俺が4時起きなのにそれよりも前に起きておにぎり作ってくれる母。
今の俺の身体は、筋トレはもちろん、母が毎日作ってくれる宇宙一栄養のある、宇宙一美味しい料理のおかげです。ありがとう。
デザートやお菓子があるときに母の言う「たまにはいいんだよ」という呪文にこれからも打ち勝っていきます!
俺のサッカー人生の始まりは父だったな。
小学生の頃は何回も公園にサッカーしに行こうと誘われたけど、パスミスしたらキレられるし、100回リフティングしないと家に帰してくれないし、本当に行きたくなかったなぁ。柔軟しろと言われるのが嫌で、土日のお風呂上がりはリビングに行きたくなかった。
でも、1人で走ることの意味やパス一本の重要性を教えてくれたのは父かもしれない。柔軟性がないと筋肉系の怪我が多くなることも中学生になってから気づいた。
父がいなかったら18年間も続けていられなかった。ありがとう。
最近ダイエットを始めて、夜ご飯で白飯を抜いてるけど、何か物足りなくて、夜飯の後にお菓子爆食いするのやめなね。白飯抜いてる意味ないどころか太るよ。夜飯の後に俺の買った和菓子を食うのやめてね。
同期
お前らがいたから頑張れた。
めっちゃ人数少ないけど、だからこそ愛が強かった。
アジリティ能力最低学年だったけど、よく4年間頑張ったよな。
お前ら、最高だぜ〜!
里玖
駅まで帰ったり、飯食ったり、遊んだり、お前とは基本一緒にいたよな。だからこそ一緒に出たIリーグ、最高に楽しかったなぁ。
お互い最後は関東リーグに出て、慶應戦の学生サッカー引退の笛が鳴ったとき、同じピッチに立てて、めっちゃ嬉しかった。
近々また会おうな。
全然来なかったらまた言うからな。
「お前そろそろこい。」って。
なかし
いつも思ったことをがっつり言ってくれるのはなかしだった。
試合後、部員に
「明也君マジ頑張ってますね」「走りまくってますね」
と褒められる中、なかしには
「お前全然ダメじゃね?」と言われたのを覚えている。
正直、俺の中では全く上手くいっていないのに部員に褒められるから、「周りにそう思われてるならこれでいいんだ」って逃げたくなったけど、なかしはいつもがっつり伝えてくれた。
なかしの言葉から逃げずに4年間やり続けたから、今の俺がいる。
ありがとう。
後輩
俺からは一つだけ。
「応援される選手」になってほしい。
ピッチ上の威厳だけでプレーするな。
「練習だけ、試合だけしっかりやればいい」じゃない。
「試合で結果だけ残せばいい」じゃない。
ピッチ外でもサッカーと向き合って、必死に努力しろ。積み重ねろ。常にチームのことを考えて、周りの選手のことを考えて行動しろ。
その努力は、最終的には絶対にチームのためになる。
そんな選手が試合に出たら応援されるし、結果を残す。
それで結果がついてこなくても、やり続けてほしい。
周りはそいつのことを本気で応援するだろう。
応援される選手が多い農大を作っていってください。
修吾
お前とは一番一緒に試合出たんじゃないかな
一緒に闘ってくれてありがとう。
学芸戦前、一緒に牛丼を食ってくれてありがとう。
学芸戦、必死に俺にパスを出そうとしてくれてありがとう。
最終節の前、「本気で応援する」って言ってくれてありがとう。
昇格戦、俺の気持ちを背負って闘ってくれてありがとう。
次はお前が本気で応援されるように、残り一年頑張ってな。悔いなく走りきれ。
杉山
俺と理玖のボケ、必要なとき言ってな。想像を絶する量のボケかましてやるからな。嫌な顔せずちゃんとツッコめよ。
壮亮
お前イケメンなんだから、筋トレ頑張って、ルームの長になれよ。
大輔、榮村
お前らは本当に試合中よく走ってる。一緒にプレーしてて毎試合感じてた。あと一年、ブレイクするのを信じてやり続けてな。
戸部
プーマ履き続けろよ。
長谷川
早くケツでゴール決めろよ。
慶人
ボケ担、お前に継ぐ。頼むぞ。
新
懲役6年のサポートにならないように気をつけろよ。
建悟
拍手してねーでフォローこいよ。
雅史
練習着汚れたらいつでも言えよ。
じょーじ
みーん。
書き足りないよ。
俺後輩達大好きなんだよなぁ。
ちなみに昨日は電車で3時間半かけて後輩の試合を観に行きました。そのくらいみんなが大好きです。
愛してるぜ後輩達!!
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
俺の18年間の激闘、少しは伝わりましたでしょうか。
感想、待ってます!!
明日のブログで最後になります。
ラストを締めくくるのは、我らが主将、中島陸。
今年度、農大の主将としてチームを引っ張ってきた彼。
重圧、半端じゃなかったと思う。
何を考えてプレーしていたんだろう。行動していたんだろう。
女の子かな。バイトかな。プレデター19.1の在庫かな。学食かな。
楽しみだなぁ。
乞うご期待!!
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