チームを支え続けてくれた山下洋永から紹介を預かりました。
どうもSCコリンチャンス所属ウィリアンです。
またの名を農大のチーターこと、
農大のスピードスターこと、、、
私の快速にまつわる異名はありすぎて収まらないのであえてこれでいかせて頂きます。
どうも、南米の色男こと与儀陸です。
すみません。最初から飛ばしすぎました。
今までの同期のブログを見て、毎回、熱く心が揺さぶられ、
名前順で私はかなり最後の方なのでプレッシャーをかなり感じてました。
それでも、私なりに書いたので、拙い文章ですが最後まで、お付き合いください。
それでは、スタート
~1分~
“この四年間、後悔したか。満足したか。”
この卒業ブログを書くにあたって、ほとんどの人が考える問いだと思う。
私は、“後悔した“ が答えだなと思っていた。
しかし、10月31日にその答えが変わった。
1年生、2年生ではアイリーグ、3年生では社会人リーグと自分の立ち位置の試合には、ほぼ出場できていた。
ただただ目の前の練習、試合を真面目に自分なりに取り組んでいた。
その結果だと思う。
特に、2年のアイリーグでは、それなりに勝てて、自分も結果を残せて充実していた。
3年生の時も、昇格戦こそ負けてしまったものの、当時の4年生と多くの試合に出られていい経験になった。
そして、普段から、
足が痛くても、アゲの走りは絶対にタイムに入った。
自分には、特徴があまりないから、少しでも何かをと思いパススピードなどはかなり意識してきた。
地味だが、
真面目に目の前のことに真摯に向き合った。
真面目に謙虚に直向きに。
誰でも本気になればできる事。
しかし、それが、自分の強みだ。どんな環境だろうが、この言葉通りに取り組む。
高校時代に、学んだ。そして大学に入っても実践してきた。
だからこそ、充実した3年間だった。
そして、四年生になり、アイリーグに一節、二節と出場し、
就職活動では、
ここまで、真面目に謙虚に直向きにやってきた自信があり、他の就活生には負ける気がしなかった。
結果、うまくいった。
が、完全に気が抜け、最大のミスをしてチームに迷惑をかけてしまった。
申し訳なさで一杯だった。
気のゆるみを断ち切るため、見た目も大きく変え、
復帰後の練習も、今までより泥臭く取り組んだのを覚えている。
そして、4年生の夏に、母校と練習試合をする機会があった。
気合をいつも以上に入れ臨んだ。
少しでも成長した自分を見せようと。
しかし、開始三分で怪我をして交代。
情けないったらありゃしない。
真面目に謙虚に直向きやってきたのに、
何故4年生のこのタイミングでと思った。
当初は、すぐ治し、試合にもすぐ復帰できるだろうと思った。
しかし、2ヵ月立っても治らない。
なんで。
ただただ焦った。
都リーグでは、4年生が陸生中心に熱く、
自分たちの分まで戦ってくれ、結果も出していた。
アイリーグは結果こそ出ないものの、
和田が先頭に立ち貪欲に、泥臭く戦っていた。
社会人リーグは唯人、篤史がしっかり守り全勝していた。
同期がここまでやっているのに、
自分は最後の1年間、怪我人で何も残せず終わる。
あまり、感情を表に出すタイプではないけど、徳さんに見抜かれる程、焦っていたし、
何とも言えない感情だった。
なんでもいいから早く復帰して、試合に出たい。
それでも、ただただ真面目に、メニューをやり続けた。
それしかなかった。
そして、10月に入り少し経ち復帰した。
31日にアイリーグの最終節がある。
そこが私のサッカー人生のラストの公式戦だ。
そこに出るため必死に、やり
アイリーグ最終節、vs駒澤大学戦 何とかメンバー入った。
けど、人生最後の公式戦でベンチ。悔しかった。
卒業ブログも後悔を綴るのだろうとさえ、考えていた。
2-0でリードして、45分が過ぎ、ロスタイムに入り、後半46分。
最後の試合、出ずに終わりか。と正直思った。
残り1分。ついに自分は呼ばれ、出場した。
結果、1分しか出なかった。
しかも1タッチ。
たった1分。
だけど、その1分のため、真面目に謙虚に直向きにやってきた。
出場する際に、タッチラインにいる自分を見て、
まだ、試合終わっていないのに泣いている和田。
1分だろうが、一人の男の心を大きく動かせた。
一番近くで、この4年間を過ごし、多くの時間を共にしてきたやつが、たった1分だけど出場した自分を見て泣いてくれたのだ。
何泣いてんだよと思った。
いまから戦うというのに、こっちまで泣きそうだった。
最後の最後、一緒のピッチで勝ちを味わえたのは、最高に嬉しかった。
そして、試合を終え、
徳さんに、「最後の試合なのに、1分しか出てないのにテーピング巻いてくれてありがとうございます」と伝えると、
「その1分でも力になれてよかったよ」と言ってくれた。
徳さんは冗談交じりだったかもしれないが、心から嬉しかった。
自分のやってきた事を一番近くで見ていた、和田が泣くなら、
俺はちゃんとやり切ったんだな。
怪我人だろうと関係なく、真面目に取り組んでいたのを見ていたから徳さんも、あのような言葉をかけてくれたんだな。
後悔したと思っていたが、
その瞬間、
「1分でも人の心を動かせた。それだけの取り組みをできてたんだな。
あ、ここに入って4年間、真面目に謙虚に直向きにやってきてよかったな」
と強く思った。
たった1分だったが、
あの、1分に自分の4年間が詰まっていた。
試合に出られない悔しさなど、関係なくなった。
1分でも、十分だった。
自分の大事にしている真面目に、謙虚に、直向きに取り組んできて、人として成長できたと感じる。
振り返ると、この4年間意味のあるものだったし、間違いなく成長できたし、
自分の良さを後輩にも見せれたと思う。
だから、このブログを書いている、11月後半
“この四年間、後悔したか。満足したか。”
その問いに対する、自分の答えは、
“この4年間とても満足した”である。
そして監督をはじめとするスタッフの方々
まず、進路に迷っていた自分を、受け入れ、サッカー部にも入部させてくれてありがとうございました。
ここで、4年間やれたからこそ、人間として、より成長できたと思います。
4年間、お世話になりました。
社会人でも、ここでも学びを胸に活躍します。
徳さん、最後の最後まで怪我してテーピングを巻いてくれてありがとうございました。
焦っていた自分には、何気ない笑い話が心の支えになりました。
大田区民会は、いつ開催でしょうか??
ファンさんも、熱さを持ち指導してくれてありがとうございました。
あの熱さ忘れません!
航希へ、
ありがとう~。この先もどうせ頻繁に会うからなんか恥ずかしいからあまり言わないでおく。
けど、この農大に入れたのも、航希がいたからだし、常に120%の全力でボロボロになりながらも、泥臭く戦っている姿を一番近くで見てきたからこそ、俺も最後までやり切れた。
本当にありがとう。後でねぇ。
マネージャーのみんな
自分は、水をたくさん飲むのに、毎回、ボトルが満タンになっていてとても助かりました。
本当に、いつもありがとうございました。
のぞみは、特に4年間ありがとう。
やめないで、最後までやり切ってくれてありがとう!それに尽きる。
後輩のみんな、
来年こそは、関東リーグ昇格できるよう頑張ってください!!!!!
そして、大関
農大に誘って入ってくれてありがとう。怪我無くラスト1年頑張って!
田谷も、農大に入ってくれてありがとう。みんなに愛されて応援されているから、その期待に応えられるよう頑張れ!
最後に佐土、泥臭く、点決めて、佐土らしく頑張れ!
3人とも、"真面目に謙虚に直向きに"
残り頑張れ!!
両親へ
ここまで、サッカーをなに不自由なく続けさせてくれて、ありがとう。
ここまで続けられたからこそ、人間として成長もできたし、
高校時代は、試合には出ないのに、毎週千葉まで遠いのに来てくれて本当に感謝しかないです。
社会人では、サッカーを通して学んだ事を活かし活躍して、誇れるような息子、人間になります。少しでも早く親孝行できるよう頑張ります。
たかさん、高校時代から遠いのに、千葉まで来て応援してくれて、
大変なのに父母会の仕事もしてくれて、そして父のように接してくれて本当にありがとうございました。
同期のみんな
ありがとうに尽きる!
ここまで長く書きすぎたから、この一言ですいません!
慶吾、社会人でも頑張ろう。
ゆう、かつやは、しきじいつ行く??
こうた、卒業しても月1あおうね
最高の4年間でした!
長く拙い文章でしたが、
読んでくれてありがとうございました。
明日のブログは、
サッカーでは、高い技術を持ち、多くのポジションをこなす
そして、亜細亜大学までは、愛車の電動自転車で来ていると噂もある
そして、
直毛すぎるため、
前髪にドクターバックが乗ったという逸話を残している。(陸生談)
山田陸選手です。
普段は不思議な彼の内に秘めている思いとは
期待です!