4年引退ブログvol.5
『理想と現実』
溝口 響(大阪桐蔭高校)

まず初めに、日頃から東京農業大学農友会サッカー部の活動を応援、支援して下さってる皆様、誠にありがとうございます。
この場を借りて、御礼申し上げます。
戸部から紹介いただきました。溝口響です。口癖はバイトやぁーって。俺は無意識にそんなことを言ってるんや。なんか恥ずかしい。
でも多分戸部の方が毎日バイトしていると思うよ多分。
うん。
TV見て1人で笑ってることは否定できひんかもな。確かに1人でめっちゃ笑ってると思う。
でも、もっと農大のスピードスターとか、農大のムバッペとか、かっこいい紹介してくれると思っていたよ。
でも紹介ありがとう。
16年のサッカー人生も終わりを迎えた。
長いようで短かったサッカー人生を振り返ってみようと思います。
長く拙い文章ですが読んでいただけると幸いです。
〜理想と現実〜
幼稚園の頃、友達に誘われてサッカーを始めた。
小学生の頃はとにかくサッカーが楽しすぎて、朝から夜までボールを蹴っていた。
毎日ドロドロになって家に帰っていた。
地元のチームに入り、スクールにも通わせてもらった。
大阪トレセン・関西トレセン、ナショトレ?とすべての入れる選抜に入った。
今思えば、自分で言うのも違うがそれだけ小学生の頃は本当に上手かったと思う。
中学生になると、全国でもトップクラスのチームであるガンバ大阪ジュニアユースに入団した。
周りのレベルは今までとは比べ物にならないほど高く、
後にプロになっていくバケモノたちと毎日必死に練習していたのを覚えている。
試合をしても滅多に負けることがないし、サッカーが簡単に思えた。
ゴール前にいればパスが来るから触るだけで点が取れるし。
こんなにサッカーって簡単なんだ。
こんなに楽しいのか。
当たり前に全国にも何回も出場した。
そして高校進学の時期。
ユースではなく、テレビで見た選手権の舞台に憧れ、高校サッカーの道を選ぶことにした。
その時テレビに映っていた大阪桐蔭のサッカーに心を奪われた。
ボールを大事にして相手を見てプレーし、圧倒するスタイル。
「このチームでプレーしたい」
そう強く思って大阪桐蔭への進学を決めた。
しかし、晃太朗も書いていたが入る場所を間違えたと思った。
監督が見えた瞬間ダッシュで挨拶。
携帯禁止・恋愛禁止と、書かれた生徒手帳。
何かやらかせば反省文に坊主(俺らの代で歴代最多となる坊主、やらかしを起こしたと思う)。
走りはないと言われていたのに、急な崖をロープで登ったり、猪が出る山を毎日走り。
書き出したらキリがないぐらいたくさんある。
いや聞いてないっすよの連発。
練習もバスケの練習?から始まるし、
バスケ部に入部したっけ?って思うこともあった。
おかげでサッカー部なのに手も少し上手くなったような。
監督からは毎日怒られる日々。
考えてプレーしてるか?
なんでそのプレーを選択したんや?
お前は、男やろ気合入れろ。
一生分怒られたと思う。
でも精神的にも成長させてくれたと思う。
練習はきつすぎて、授業はほぼ全部寝ていた気がする。
それほど毎日全力だった。
その甲斐あって全国にも出れた。
波瀾万丈ながら充実した高校生活を送っていたと思う。
ここまで誰もが羨む輝かしいサッカー生活を送っていたと思う。
高校サッカーが終わり、サッカー人生の最後に自分の力を試したくて農大へ進学した。
入学当初はセカンドチームからのスタート。
毎日必死に食らいつき練習をした。
某4年生と毎日削り合うような激しいトレーニングをし、周りからは止められた。
それぐらい気合が入っていた。
その努力が実り、アイリーグの登録メンバーに入ることができた。
しかし、そこで待っていたのはプロ予備軍たちにボコボコにされる毎日。
今までの人生で感じたことがないほど「通用しない」現実にぶつかった。
チームも負け続きで本当に苦しかった。
それでも、なぜか楽しかった。
自分がずっと求めていた環境がそこにあったからだと思う。
少しずつ都リーグにも出場できるようになり、1年目はすべてが新鮮で、間違いなく充実した一年だった。
そして2年目。
再びアイリーグからのスタートだったが、チームが噛み合い、面白い程点が取れた。
自分のやりたいプレーがすべて表現できた。
伝説の「4分で3点」も取った試合もあった。
後期からは関東リーグに登録され、開幕戦ではスタメン出場。
そこからすべての試合でベンチ入りし、また新しい景色を見る日々が続いた。
迎えた最終戦の相手は慶應。
負ければ降格が決まる大一番。
4年生たちは「絶対に関東3部に残す」と全てを賭けて戦っていた。
その背中に引っ張られるように、4年生たちと一緒に自分も途中出場でピッチに立ち戦った。
そして関東3部残留。
胸を張って「やり切った」と言えるシーズンになった。
3年生では、関東リーグに登録してもらい、開幕からメンバー入りすることができた。
多くの試合で途中出場のチャンスをもらい、チームも調子が良く、勝ちを積み重ねていった。
それなのに、どこか物足りなさがあった。
全力で100%でプレーしていた。
練習でも試合でも、手を抜いたことは1回もなかった。
それでも、スタートではなくベンチに座る日々。
気づけば、ベンチ外になることも少なくなかった。
チームが勝っているのに、素直に喜べない自分。
納得いかなかった。
「なんでベンチ外?」
「何見てメンバー決めてるん?」
ベクトルが外に向いたのを今でも覚えている。
正直、少し燃え尽きていたのだと思う。
関東2部に昇格したが素直に喜べなかった。
4年生になれば状況も自然に変わり、試合に出られるようになる。
そうどこかで思っていた。
しかし、年明けのスタートはまさかのCチーム。
それも4年生でそこにいたのは自分ひとりだけ。
1年からトップで練習していた自分には想像もしなかった現実だった。
「このままじゃあかん」
そう思っても、思うようにコンディションは上がらない。
関東リーグの登録メンバーにも入れず、まさかの社会人登録。
え?
俺が?
なんで?
何か悪いことした?
そんな感情ばかりが頭の中をぐるぐる回った。
そして3月。
焦りの中で怪我をした。
表向きには「これで休憩できるわ!」って笑いながら言ってたけど、心の中は言葉では表せない感情。
4年目にして、自分を試しているのかな。
そう思わずにはいられなかった。
その間にチームは関東リーグが開幕。
開幕戦から負けが続き、みんなは悔しかったと思う。
けれど怪我で何もできない自分は、負けて悔しいよりも、4年生なのに何も貢献できないその事実が苦しくて仕方なかった。
思うように怪我も治らない。
サッカーができない。
こんなに辛いもんなんだ。
でも、どこかで思った。
こんなに必死にやってる同期や後輩がいるのに呑気に何をしているんやろ。
今変わらんでこのままサッカー人生を終えるんやろか。
最後のサッカー人生これでいいんか。
変われよって成長する時間をくれているんちゃうか。
そう言われているようだった。
そこから復帰までの期間、自分と向き合いできることは全てやった。
練習は1時間前に来てしっかりと体のケアをし準備した。
仲間の応援は1番前で全力で応援した。
今、自分にできることをやろうその気持ちだけは切らさなかった。
復帰してからも、チームを引っ張るようなことは何一つもできなかったかもしれないけど、全力でプレーする。
球際、プレスバック、守備
必死にグラウンドを走り回った。
それができる全てだったと思う。
毎日自分のできる最大限を出し切った。
そして、後期のリーグ開幕。
まさかのメンバー入り。
それもスタートで。
仲間が声を枯らして応援してくれて、監督は自分を使ってくれた。
農大に関わるすべての人に感謝しながら、全力でプレーした。
試合は負けたけれど、戻ってこられたあの瞬間は本当に最高だった。
その後はベンチに回ったり、コンディション不良でメンバー外になることも多くなりチームも関東2部へ降格。
1年を通して勝つことができなかった。
理想は、4年キャプテン10番で得点王になりたかった。
でも、現実はそんなに甘くなかった。
何も通用しなかった。
自分の大学4年間を振り返ってみるとトップチームに多くの時間いたけど、スタメンで試合に出た試合は2試合これが現実だった。
チームとしても12チーム中12位
戦績は2勝2分18敗これがチームとしての現実
農大を応援してくださった方々。
リーグを上げてくれた先輩。
一緒に戦い続けてくれた後輩。
4年生の力不足で降格させてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
でも、こんな4年間の終わり方だったが、得られたものはとても大きなものだった。
スタートで試合に出た、試合に勝ったという結果ではない。
それはサッカーを通じて人として成長したと思う。
4年間きつかった。苦しかった。
それでも、少しは成長したと思う。
仲間と戦った4年間。
カッコ良すぎる先輩。
可愛い後輩たち。
頼もしい同期。
1人では見ることも、想像することもできなかった景色とその先の世界まで連れてきてくれて感謝しています。
ここでの経験は自分にとってかけがえのない宝物です。
ありがとう。
長く、拙い文章になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。
最後に
農大スタッフの方々
サッカーへの向き合い方、人としての生き方など大学4年間で大きく成長させてもらったと思っています。良くも悪くも色々な経験をし、色んな出会いがあり、農大サッカー部での経験は良いものになりました。心から農大のサッカー部に入れて良かったと思っています。
ありがとうございました。
同期へ
個性豊かすぎる同期の皆。それでも4年間、全員が自分の信念を持って部活動に取り組み、多方面でチームを押し上げてくれたと感じます。全員が優しすぎるが故に、上手くいかないことも多かったけど、その優しさに救われたこともあったよ。この14人だったから最後まで頑張ることができた。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとう。
晃太朗へ
府トレのセレクションから仲良くなって、無断外食がバレて怒られたな。高校の時はビルドアップ下手くそやったのに、大学ではビルドアップキャラになってるし、高校では知らんかった才能が開花したな。社会人の最終戦出れなくて悔しかったと思うけど、1番前でみんなを誰よりも鼓舞して戦ってたの知ってるで。試合後、晃太朗の顔見て泣きかけた。7年間は、最高にきつくて、最高に楽しい時間やった。ありがとう。
両親へ
16年間ありがとう。
サッカーを通して多くの人と出会い、多くのことを学びました。辛い時はいつもそばにいてくれて、支え続けてくれた。自分の1番のサポーターになってくれてありがとう。
これからは恩返ししていきます。
そして、
次回、みんなが右と言えば左、左と言えば右を言う男。
THE逆張り。
今シーズン副キャプテンを務めるが2回も剥奪の危機に晒されたあの人。
目黒くんです。
菅又のことが大好きだけど素直になれないくてちょっかいばかり出していることみんなは知ってるよ。
副キャプテンのブログなんていいこと書いてくれるでしょう!
期待しといてください。
〈思い出の写真〉







