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2025

4年生引退ブログ〜山田晃太朗〜

4年引退ブログvol.2

『平凡でも最高』

山田 晃太朗(大阪桐蔭高校)







まず初めに、日頃から東京農業大学農友会サッカー部の活動を応援、支援して下さってる皆様、誠にありがとうございます。


この場を借りて、御礼申し上げます。







彼ほど走ってる時に顔が曲がってるやつはみたことない。






東京実業で150人の中の不動の10番エース。そして宿借(やどかり)、渋谷警備員。助席F1。







そんな希のIリーグ東京国際戦のとんでもないぐらい曲がったフリーキックは今後忘れないと思う。(3点決められたけど4点決めて勝った)






そっちからLINEしてきて自分の用事が済んだらすぐ既読無視するのはやめような。






そんな色んな人の家を転々として泊まる宿借(やどかり)こと新井希選手から紹介預かりました。





ギリ本業散髪、引退してから1日もルームサボったことがなく、3日に一回は6〜7キロ走ってる山田晃太朗です。







今引退して思っていること、これまでのサッカー人生を文字で起こすことなんて今後無いと思うからちゃんと振り返っていこうかな。





拙い文章ですが、最後まで読んで頂けたら幸いです。





スタートォォ




〜平凡でも最高〜





暇さえあれば友達と天然芝のグラウンドで暗くなるまでボール蹴ってるそんな小中学生時代。





小学生にして身長170センチ、ゴールキックは向こうのペナまで飛んでいく。





父親に家の前にサッカーゴールを作ってもらって右サイドから左足のフリーキックを練習しまくってる(キーパーなのに)




フットサルではコーナーから点を決める(キーパーなのに)




10時〜11時に練習が終わり、それから帰宅する。

風呂入って夜飯食べて寝るのは1時とかそんな生活。




中学3年間はサッカーの見方も価値観も良い意味で大きく変わったし、成長できたと思う。






高校は先輩が行ってた縁もあり大阪桐蔭に3日ほど練習参加させてもらい決めた。






あんなに練習をきつい中でも楽しくプレーしているチームを初めて見た。






クロスシュートの練習の時、出して落として展開してクロスみたいな感じだったかな。

ラスト1点という場面で、最初の出手が少しパスをずらした。



でも全然落とせるボール。




その先輩は振り向いてとんでもないルール違反シュート打ってきた。




あれは無理笑





そんな現名古屋グランパスの木村勇大 大先輩に






「お前上手いから頑張れよっ」






またあの人とサッカーがしたいと思って入学したら卒業してた。






そして大阪桐蔭高校に入学。そして北海道から大阪に来たのでスレッドリバー産大という刑務所みたいな名前の寮に収監された。











携帯は禁止。

親との電話は公衆電話。(60秒10円)

門限20時か21時どっちか忘れた。

外出するためにはコーチに電話で

「〜に行かさせていただきます」

電話に出るまでどこにも行けない。

私服で外出禁止(桐蔭の服じゃないとダメ)

青信号点滅渡って坊主


多分まだある



りゅうせに5分マッサージしてって言って2時間してもらってた。




毎日の練習は、グランドが山の上にある為、荷物はバスに積んでとんでもない坂道を走り続ける"山ラン"があった。






後輩は先輩の背中を押しながら登る文化もあった。






そういえば響は、その山に住んでる農家さんの軽トラの荷台に乗って登ってたなぁ。






とてもきつかった。






入学当初、新入生は皆Cか数名Bからスタートする。

チームごとに名前のマグネットがあるが、CにもBにも自分の名前はなかった。






自分1人だけAチームだった。

素直に嬉しかった。

でも当然レベルは高い。

名前もまだ覚えてない。

毎日死ぬ気で練習してた。




入学して2週間でプリンスリーグに出場。

その時初めての無失点。

インターハイのメンバーにも入ってた。

JグリーンのS1で鈴木唯人や畑大雅がいる市船ともやった。

府トレにも選ばれた。



ここまでは順調だった。




大阪桐蔭は下から繋ぐスタイル。





徐々にビルドアップができないことがバレた。





練習試合でレッドカード。




パスがきて相手の股抜こうとして引っかかり反射的に相手にタックルした。




今思えばなんで股抜こうなんて思ったんだろ…

多分相方のキーパーのやつが公式戦とかでも平気でシャペウとかするから憧れたんかな。




相手の監督に謝りに行った。




相手の監督「気持ちわかるよ」




いやわかるわけないやん

あんな低い姿勢からタックルしたことないやろ




ここら辺からなかなかポジションを奪うことができなかった。




それでもチャンスは何度かあった。




高3のプリンスリーグ対興国高校




久しぶりのプリンスリーグだったし自分の中でも頑張ろうと思っていた。




前半43分交代。




あと2分は?




特に怪我したわけでもない。




なんでやねん。




交代にも何か理由があったんだと思うが、完全にスイッチが切れてしまった。

それ以降ただ所属しているだけの人間になってしまっていた。




サッカーを続けるかどうか。

進路をどうするか。




かなり迷った。




それでも自分にサッカーを取ったら何もなくなってしまうと思い、もう一度頑張ろうと決めた。






実家が農家というのと自分の中で偉大な中本さんがいる東京農業大学に進学した。






1年



公式戦2試合、練習試合数本




全然出れなかった。




なんであいつなんだろ。



俺の方がいいんじゃね?



試合に出てる同期が輝かしかったし羨ましかった。



サッカー全然楽しくなかった。




この時は自分のプレーが良ければいい。

そんな自分第一優先でプレーしていた。




それが出れない原因でもあり、楽しくない原因だったのかもしれない。




2年



Iリーグ勝ったら昇格引き分け以下だとPOという大事な試合に出させてもらった。





このIリーグ一緒に戦ってくれた4年やナイターなのに応援をしにきてくれている仲間の為にも絶対に勝ちたかった。



3点先取したが後半3点取られて自動昇格を逃した。



悔しかった。ほんとに悔しかった。

悔しくて泣いたのは初めてかもしれない。



その時当時キャプテンだった陸さんが



泣くほどやってないやろ、泣くな。



と声をかけてくれた。




確かに今まで自分自分でプレーしてきたやつがその時だけ仲間の為にって言ってもそんな簡単に結果がついてくる訳ない。




毎試合あんだけ体を張ってくれた味方にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。





3年



関東リーグ前期全ての試合と後期数試合メンバーに入った。



でも試合には1試合も出れなかった。



ソウタロウくんやタメくんが試合に100%で挑めるように自分なりに考えて行動した。



試合中は自分の準備はもちろん、交代に備えてスタッフとのコミュニケーションや、交代した選手や味方がセットプレーで迷いが無いように伝え方や配置の選択肢も多く持ってベンチにいた。



簡単なことかもしれないけど今までの自分からはそういう行動ができるのは考えられないと思う。



出たかったし悔しかったけどチームが勝ってくれること、同期が点を決めてくれたり、体張って守ってくれるのが1番嬉しかった。




学年が上がるにつれて自分の調子も上がってるように感じてた。



でも今考えれば。



あの4年生達は強すぎるわ。

何本シュート打っても入らんし。

あれに勝つのは無理やわぁ。



結果的には関東2部昇格



最高な置き土産を残してくれた。






そして最後の年




結果的には関東リーグには1試合も絡むことができなかったし、降格という結果で終わった。




社会人リーグでも出たり出なかったり、目標として掲げていた昇格も果たせなかった。



情けなかった。




それでもこの1年間は1番楽しかったし、成長できたと思う。




それは希も言ってたけど、練習から、自分の為にではなく人の為に戦うことができたからだと思う。




もちろん試合に出たい、勝ちをピッチで味わいたいという気持ちも強かった。



でも出れない理由は自分が一番わかってる。



それでもチャンスがきたら絶対に勝つ。



社会人リーグ対スペリオ戦




久しぶりの試合だった。




ほんとに勝ちたかったし、2日前ぐらいから緊張してた。



結果としては3対1で勝ち。



あの大ピンチも止めることができた。



めちゃくちゃ嬉しかった。



この試合が自分にとって4年間の全てだったと思う。



そして引退試合の日、自分はベンチだった。

その前の週にインフルになって、1週間頑張ったけど出れなかった。



それでも後悔はない。



怪我で苦しんでた菅又がスタメン。

逆張りで彷徨ってた目黒がスタメン。



普段よりも多く4年生が試合に出てるのを見て嬉しかった。



あのバカでかい声の応援。



ほんとに最後なんだなって試合始まったぐらいからもう泣きそうだった。








サッカーを初めてなかったからこんな素晴らしい仲間にも出会えてなかった。






練習行きたくないって思う時もあったけど。





素晴らしい先輩がいてくれたから。





大好きな後輩がいたから。




そして




肩で笑う堀井。

パン屋な杉山。

人じゃない長谷川。

大逆張りな目黒。

菅又。

人じゃない溝。

8割何言ってるかわからない戸部。

逆張りな響。

やどかりな希。

臭う大竹。

雪かきしてんのに雪だるま作る悠。

お母さんすぎる優。

Uberな葵作。



そんなみんながいたからこの4年間ほんとに楽しかった。




平凡なサッカー人生だったかもしれない。




けど




最高な仲間に出会えたことが大きな財産だと思う。





サッカー初めて良かった。




農大で良かった。





ありがとう。






スタッフの方々


4年間ありがとうございました。


何考えてるかわからない自分だったと思いますが、ご指導して頂きありがとうございました。

ほんとに充実した4年間でした。

蛭子さん散髪予約待ってます。




後輩へ


しょーない絡みばかりしてごめんね。

おもろすぎるやつばかりで毎日ほんとに楽しかった。

アニキって話しかけてきてくれるのも嬉しかった。

多分引退した人はみんな言うと思うけど、4年間ってマジであっという間で、気づいたら引退してるから。

サボりたいとか、辞めたいって思う時もあると思うけどそう思った時期もあったなって思い出になるから。

思い出になるまで頑張れ。

もし同期や後輩に言えないことあったら飯…あ、1000円持って髪でも切りに来てください。いつでも待ってます。


個々で言いたいこともあるんだけどここでは言えないことばかりなので割愛します!


みんななら来年きっと素晴らしい1年にできるはず!


応援してます!


みんなが後輩で良かった!

ありがとう!




流石にGK陣には書こうかな。


しょうご

ラスト1年思い通りにはいかないこともあると思う。

そのナヨナヨした性格じゃなくて強い心で頑張れ。

もう泣くなよ。


らうる

気負いせずいつも通りやってれば大丈夫。

見てないところでサボるのはやめよ笑

蓮には優しくな。


れん

ゴールキック2度蹴りだけはほんとやめてな。

練習中から声出して人一倍頑張れ。


はるき

良いもの持ってんねんから生かしまくって、

あと3年間切磋琢磨してポジション取り合ってください。

楽しんで!


たくま

たくまにはもう何も言うことないっす笑

そのまんま成長していってな。

あ、筋トレだけしよか。


たすく

怪我もうちょいかかると思うけど、ほぼ毎回ルームにいて頑張ってるの見てるから、報われるように願ってます。

彼女作ろうな。


こうき

今は辛い時期だと思うけど、ここ乗り越えたら思う存分楽しんで。

練着着てな。


じゅんせい

その性格にはほんとに助けられた。本当にありがとう。

後輩ができても声出してみんなを引っ張ってください。


たいき

もっと声出して頑張れ。

どうせ自分からじゃ出さないと思うから。

じゅんせい頼んだ。





ここまで読んでくれた方、ありがとうございました!ちゃんと書けてるかどうかわからないですが感想待ってます!




次回は4年間大変お世話になりました。

マネージャーの悠です。




悠には合宿の時に焼いてた肉をすべて持ってかれました!



な…杉山。笑



この4年間、選手にはわからないマネージャーだけの苦労もあったはずです。




そんな悠は何を語ってくれるのか。




どうぞお楽しみに!




〈思い出の写真〉

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