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2024

4年引退ブログ〜甲斐雅道〜

4年引退ブログ


『 みんなのおかげ 』

甲斐 雅堂  ( 実践学園高校 )



いつも東京農業大学農友会サッカー部をご支援いただき誠にありがとうございます。

この場をお借りして、心より御礼申し上げます。




足の毛生えない天然美脚からは想像できないキーパー正面でも取れない強烈なシュートを放ち、拓殖大学戦のフリーキックで距離が遠いと判断し壁の相手の手を狙った正確なキックでハンドをとり、近い位置で仕切り直したフリーキックを決めたことでベッカムからDMがきたと噂のある奥田雅史からご紹介に預かりました甲斐雅堂です。






まさしベンチ215は上がらないよ






いつか上げてえな






去年性格診断で


「あなたは仲介者です。」


と目立たないサポート役が向いてます的な結果が出ましたが最近また性格診断をしたところ


「あなたは主人公です。」


と1年間で性格に劇的な変化が起こった僕が引退ブログを書きます。




引退した今サッカーがずっと生活の一部であったこと、サッカーを通じて素晴らしい人たちと出会えたことは決して当たり前じゃないし、とても幸せなことだと実感しています。


立派な大人になることが目標の僕が大学までサッカーを続けた不思議な人生をここに残します。






長くなりますがさらっとお読みいただければ幸いです。






小さい頃、仮面ライダーや戦隊ものは昭和が大好きでずっとDVDを見ていた。家族がテレビで格闘技を見ていたことがきっかけで格闘技が好きになった。父親が聞いていた洋楽にハマってよく聴いてた。志村けんの影響でふざけて人を笑わせることが好きだった。




兄がサッカーをやっていたことで母と一緒に送り迎えをしていた。コーチからサッカーをするかと誘われるも


「格闘技やるからやらない」

と断っていた。


子供の頃から好きだった格闘技。

でも6歳くらいから自然とサッカーに通わされてた。


サッカーよりむしろボールを蹴るのが好き。

格闘技が好きだから。






小学生の頃は基本的に自分勝手で学校ではふざけて人を笑わせることもあったが、日常的によく悪さをして先生や友達に迷惑をかけていた。先生に意見を言い返していたタイプだった。




周りの友達に恵まれていた。自分を許してくれて当時から優しくて友達として今でも仲良くしてくれている。ありがたい。




当時からパソコンで格闘技をよく見てた。家にグローブとミットがあった。多感な時期だからこそ良くなかった。兄は父に厳しくされていたからそんな素振りは一切なかった。




6年間で4人担任の先生にお世話になったが、どの先生も悪さをする僕をよく別室に連れて行っては叱ってくれた。僕は叱られるとしばらく1人きりになり、先生に言われた通り気持ちを抑えたり反省したりしていた。




今思えば児玉さんが言う「干渉」てやつで、先生たちが辛抱強く僕に干渉してくれたおかげで高学年にかけて抑えが効くようになった。




通っていたサッカーチームではサッカーが好きなのもあるが、コーチが厳しかったから真面目にできた。自分勝手なことはできなかった。


毎日友達と休み時間と放課後にサッカーをしてた。


「学校の顔とサッカーの顔全然違うよね」

と友達からよく言われた。


真面目にできた要因は、キャプテンを任されたこともある。自分を抑えなければならなかった。




「自分を抑える」

とにかく自分を抑えて真面目に。

そして


「立派な大人」

ここを目指そう。






サッカーは僕が真面目に生きる上で必要なものだった。






けどそれも演じてるだけ。本心を隠してその後もずっと自分を抑える人生である。






中学生になると母の助言で学級委員と体育係をやっていたが、どちらも学校の1番厳しくて怖い先生が担当で、みんなの前で理不尽に毎日怒られて結構辛かったが、辞めると逃げたことになるからと3年間務めた。


厳しい先生に出会ったことは自分で納得していた。

「私生活も真面目にやりなさい」

そんな意味があるのだろうと察した。

真面目に生きるには演じるしかなかった。




僕はプロレスが好きだが、プロレスは「受けの美学」であり、相手の技をいかに引き出してくらうかによって面白い試合になる。


だから先生に怒られ続けてもプロレスラーのように打たれ強くいれた。格闘技の良いところだ。




サッカーでは自分の行きたいチームに進みプレーできた。


好きなサッカーで自分で進む道を選択できた喜びと思い切りサッカーをやるモチベーションがあった。


サッカーも毎日楽しくやれて試合にも出れていたし満足していた。青木凱や児玉さん、三浦さんとも出会った。学校で真面目を演じ、サッカーは真面目にやったし、周りに見られる私生活は真面目を演じてた。




中学1年生の時大好きだったが辞めてしまうコーチが最後に僕に言葉をくれた。




「悔しい気持ちを持て」




今でも覚えているが無理だった。単なるイライラと悔しいが一緒だから抑え込むことしかできない。真面目でいると褒められるしそれでいい。自分は出さない。それしかなかった。






それで中学は見事に真面目キャラを貫いた。周りの評判もよかった。


だが自分を抑えていたことで高校選択で後悔することになる。






中学のクラブチームからユースにそのまま上がり、通いやすくお金のかからない高校に進もうと進路を考えていたが、家族に強く押され実践学園に入学することになった。


実践学園に行きたくないわけではなかったが、自分を抑えて他人の意見に流されて決断してしまった。






そして僕は高校で挫折をする。






高校1年生の時に右膝を怪我した。学校生活と部活に体がついていかなかった。朝早く夜終わるのも遅く睡眠不足で疲労がとれていなかった。


最初は病院に通い怪我と向き合ってやっていたが、自分のパフォーマンスが出せない、治る気配がない。

次第にボールもまともに蹴れなくなった。




結局右膝の怪我を引きずって2年生、3年生の時に左膝を怪我をして股関節を痛めてほとんどサッカーができない3年間を過ごした。




親には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

そして自分の高校選択を後悔した。


絶望し現実に向き合えず完全に心を閉ざした。

サッカーをする楽しさもなくなり、腐り切ってた。厳しい現実から逃げ続けていた。


それでも真面目キャラだから公式戦の運営とかやってた。






大学の進学先を選ぶ時期になり、サッカーは続けようと思った。


とりあえずサッカーやろう。


農大サッカー部に入るのにあまりにも薄すぎる動機。


弱い。




大学も全然行きたいところがなく先生や親から心配されていたが、自分を変えるべくサークルではなく農大に行ってもう一度サッカーをやろうと思った。


レベルが高いことは知ってたが全然動けない体に腐り切った精神の自分にとって厳しい環境をあえて選ぶことで成長できるのではないかと考えた。






大学進学は自分の意思で道を決めることができた。






入学後、もちろん大学の練習がきつすぎて全くついていけないし体調を崩し怪我もした。


当たり前だ。高校3年間は大抵の選手が努力を積むが、自分は腐ってたからだ。

中学の頃の方がまだ動けてた。




当時の4年生はプロを目指す選手も多くめちゃめちゃレベルが高く、ピッチ内外ですごく厳しかった。


それなのに練習中ダメダメな僕をずっと鼓舞し続けてくれた。申し訳ないがそれでも動けるわけない。


まこ君がいつもきつく叱ってくれて練習後にボードを使って説明もしてくれた。まこ君には感謝しかありません。本当にありがとうございます。




腐り切ってた自分にとって過酷な毎日で周りにも迷惑をかけていたから気まずかったけど続けるしか自分を変える方法はなかった。




4年生のラストの日大との練習試合に1年生の僕は混ぜてもらった。


試合が終わってみんな泣いてたのを見てこの人たちはそれだけ本気でサッカーをしてたんだと感じた。


けどサッカーができればいいと思ってる自分には自分でも不思議なほど響かなかった。






2年生になっても朝練の時いつも蛭子さんから

「がどう寝てる」

と言われていたし、走りも相変わらず全くついていけなかった。


この時もまだ心は閉ざしたままで、自分を出せなかった。同期でさえ仲良かったとは言いにくかった。


社会人リーグずっとベンチで見守ってた。

最後まで使われなかった。






3年生の初めに行った全体合宿で一発芸をやることになり、やるなら笑わせたいと自分のふざけた部分を出したことがきっかけで、学年関係なくみんなからよくいじられるようになった。


当時の4年生が気を使ってよく声をかけてくれた。特になつき君はずっと前から僕を気にかけてくれて最初に仲良くなった先輩だと思う。なつき君ありがとう。




同期から言われるけど3年生の時に僕は少しずつ変わった。自分を出していった。


農大サッカー部に入ったことで素を出しても大丈夫なくらい周りからの良い影響を受けて人間的に成長できていた。






素を出せたことで楽になったし正しい形で自分を取り戻していった。本当によかった。






余談ですが、3年の夏






練習試合vs立教大学

in立教大学富士見総合グラウンド


遅刻しました。




理由は前日の夜、どうせ明日は試合出れないし練習メンバーだろうなとハイボール飲みながら全体グルに送られてきた試合メンバーを何度か確認したけど見事に自分の名前を見落としたからです。




たった一杯のハイボール飲みかけで文字が読めなかったり記憶をなくすわけではないけど、


「気の緩み」


これが思わぬタイミングで失敗を招きます。


後から考えればわかることでも失敗とはそういうもの。


後輩のみんなは僕の失敗を踏まえて

「気の緩み」「隙」

のない選手になってもらいたい。


これがきっかけでオフ前に酒を飲むようにした。






話はそれましたが続きから






4年生になっても1番下でずっとプレーしてた。4年間ついていくのに必死だった。


頼もしい仲間が試合で活躍していてチームが勝って素晴らしい瞬間を見れた。

特に同期、本当によく頑張ってた。

なんて心強い同期なんだとこれまで色々な場面で何度も思った。


最後の1年間は毎日が楽しかった。


みんなとサッカーできて最高に幸せだった。






児玉さんに言われた「誰かのために」やるサッカー。


僕はできなかった。誰かを考え出してやろうとしたが無理だった。僕はまだそのレベルにいない。




それはなぜか




自分のために必要だったサッカーだったからだと思う。




僕も誰かのために頑張れるようになります。


「誰かのために」

必ず見つけます。






最高学年としてチームのことを考えるようにもなり、チームメイトと交流も増え、自分の中にチーム愛や同期愛というものが生まれた。




この4年間で人として大きく変われた。


今はもう真面目と言われることはない。


等身大の自分でいることができる幸せ。


農大サッカー部に入ったから自分は変われた。


農大サッカー部に入って心の底からよかった。






「みんなのおかげ」






本当に感謝の気持ちしかない。


どうしようもなかった僕が22年間で出会った人たちから多くを学んでここまでこれた。


自然と始めたサッカーだが、僕に必要なものでありここまで続けたからこそ成長できた。


ようやくスタートラインに立てたようだ。


最高のサッカー人生でした。


本当にありがとう。






だらだらと綴りましたが読んでくれた方ありがとうございます。






最後に






お世話になった立川エルフFC、GAFC、実践学園のスタッフの方々


大変お世話になりました。無事大学までサッカーを続けることができました。またどこかでお会いした時は宜しくお願い致します。






後輩へ


いじってくれてありがとう。

誰が言い出したか知らないけど「兄貴」て呼んでくれたな。

上手くいかなくて苦しんでるやつ。俺よりずっとマシだから自信持て。

農大は俺みたいなやつでも頑張れる仲間思いの最高のチームだ。

同期は大事にしよう。






三浦さんへ


当時三浦さんが農大にいなかったら道は今の自分はいませんでした。中学の時から僕にとってはきつい練習でしたが鍛えられました。4年間サッカーを続けることができ成長できました。ありがとうございました。






児玉さんへ


中学生の頃よく指導してもらい本当に充実した毎日を送れました。僕のことをよく理解してくれていると思います。大学サッカーで恩返ししたかったですが努力が足りませんでした。

申し訳なさから極力距離をとっていました。

必ずどこかで恩返しをします。






蛭子さんへ


パスコンで一回でもミスをすると見逃さず指摘してくださりありがとうございました。「寝てる」と言われ続けたおかげで意識が変わり、言われることもなくなりました。

今年の夏合宿でふざけまくっていたら「合宿のがどう」と褒めてくださりありがとうございます。




中垣内さんへ


いつも会うと「最近どう?」と話しかけていただきありがとうございました。2年生のとき蛭子さんから練習中の細かいミスをよく言われていた時に「言われてるうちが華だから」といつも励ましていただいたおかげで頑張れました。約束通り就職したら日本酒送ります。






同期へ


腐り切ってた自分を仲間に入れてくれて本当にありがとう。毎日みんなの頑張る姿を見て俺も頑張ろうと思えた。本当にみんなすごい。

同期愛とか全くわからなかったけど4年間を経て今は確実にある。最高の仲間に出会えた。みんなのおかげで成長できたし自分を取り戻せた。

また再会したときに笑わせられるように自分の道を進もうと思う。


凱は中学の頃からありがとう。朝練の日に毎回電話してるの俺らくらいだったけど、電話かけるのほとんど俺だったな。

あるとき何回電話かけても出なくて終わったかと覚悟してたら10分後くらいに


「シャワー浴びてた」


あれ許してないからな。

引退試合一緒に出たかったし大概の怪我はすぐ治る俺だけど伝えておく

「靭帯は長引くぞ」






家族へ


末っ子として可愛がってくれてたと思う。色んな部分でサポートもしてくれてありがとう。恩返しすることが多すぎるくらいで、だからこそ就職先は退路を断つつもりで高知県に行くことを決めた。家族を安心させられるようなしっかりとした大人になって帰ってきます。






書ききれませんがこれまで出会った全ての人たちのおかげで今の自分があります。

人との出会いにはすごく恵まれた22年間だったと言い切れます。




ありがとうございました。






以上で僕の引退ブログを終わります。






次回は



ピッチ内では誰よりも熱く!

ピッチ外でのあだ名は「ガキ」?


魅力たっぷり同期はもちろん先輩後輩みんなから愛される黒田青汰の引退ブログです。


裏幹部として陰からチームを支えながらボロボロの体で最後まで戦い続けた青汰は何を書いてくれるでしょうか。


次回もお楽しみに。



〈 思い出のショット 〉













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