初めに、コロナウイルスが流行している中感染拡大防止にご尽力いただいている全ての方々、試合を開催するにあたりご尽力いただいている方々に深く御礼申し上げます。
また、いつも農大を支援・応援してくださっている方々、ありがとうございます。
狂犬、江井晋之助選手からご紹介いただきました。
本日ブログを務めさせていたただきます。
国際食料情報学部、食料環境経済学科の大関克弥です。
最初で最後のブログとなるので、真面目に赤裸々に綴りました。
こいつ一丁前なこと言ってんなと思うかもしれないですが、温かい目でみてくださると幸いです。
これまでの生活を軽く振り返りながら、主に大学生活について振り返っていきたいと思います。
では、スタート。
父や兄の影響で気がつけばボールと触れ合っていて、物心ついた頃にはサッカーをしていた。
外で遊ぶにはサッカー、ゲームはウイイレ、イナズマイレブン。
カードゲームはダブシーと、サッカーにのめり込んでいった。
小、中の頃はある程度の技術でそれなりに活躍できていたからサッカーが楽しくて仕方なかった。
高校では、更に緊張感のある真剣勝負の楽しさが感じられるようになって、
同時にサッカーがきついと思うようになった。
在学中に大学を探すことになるわけだが、その時はとりあえず関東2部以上でサッカーを続けたいとしか思ってなかった。
とにかく目の前の毎日が必死で、この高校サッカーに賭けようと思っていたから、そこまで真剣に考えられなかった。
最後は怪我をしたが体を酷使してまでやりきった。
その後は燃え尽き症候群みたいな、サッカーに対して熱が冷めて、なんかパッとしない、なにもやる気が起きないような感覚になった。
でも農大に入学してサッカーを続けることは決めていたしなんとか頑張ろうとは思っていた。
そんな中、農大は東京都リーグへの降格が決定した。
この燃え尽き症候群にプラスして、正直に言うと一気にモチベーションがなくなった。
高校の仲間達はほとんど関東1部、2部、関西1部だったから恥ずかしくもなった。
もうサッカー本気でやらなくていいや。
って「魂」が抜けた。
その頃母には初めて、
(大学に入ってサッカーをするんだから)目標を宣言しなさいと言われた。
今までそんなこと言われたことなかったし、薄々勘づかれていたのだと思う。
こんな感じのマインドのままなんとなく生活をしていた。
でもバイトするにも、
風呂入ってぼけーっとするのも、
友達と遊んでめちゃくちゃ楽しくてもなにするにしても、
なんかモヤモヤしていて、
なんか心が晴れなかった。
それはなんとなく練習に参加して、
週末はチームの運営して、
トップチームの試合応援して、
っていうなんとなくしていた生活のせいだった。
結局、サッカーで満たされていなければ自分自身に対して満足できなかったんだと思う。
これは、
ただ単に試合にでていないからということではなくてサッカーに対して全力、真剣じゃなかったから。
でもやっぱり選手としてやる以上試合に出たいなとも思ったし、
魁人と田谷が開幕から試合にでていた刺激もあった。
この時、もう一度サッカーに対して「魂」を入れようと思った。
結局冷めていた期間は2.3週間だったけど、
初めてサッカーに対してこんな感情になったし、色んなことに気づけた大事な2.3週間だった。
東京都リーグが開幕して4試合目くらいにトップチームでの公式戦デビューを果たし、前期はそのまま継続して出場できた。
ここからこのようなモヤモヤがなくなって、やっぱりサッカーだと思った。
毎日今まで通りサッカーのことばかり考えた。
「目の前にあるものに全力を注ぐ」
ことが大切だった。
それが楽しく、充実していたことに気づいた。
日頃からわかってはいたと思うけど、意外と継続するのは難しい。
後期は高校の選手権にでるためと、
犠牲にした足首を手術して、
2年目もまた怪我でほとんどできなかったけど、
3年目は多くの試合に出場させていただいて、大事なことを再認識できた。
トップが公式戦で勝てない時期の紅白戦はトップサブがトップに勝つことがあったり、
20分そこらで5-0になったこともあった。
トップサブにいようが勝ってるだろ、
結果出してるだろ、
俺を出せと言わんばかりのオーラを漂わせる空気があって、
どちらも経験したことがあるけどトップは絶対負けられない、
トップサブはトップを喰いにいく、という本気の戦いがあった。
トップでパフォーマンスが悪ければ、
ちょっとどこかが痛いくらいでリハビリに入れば、
変えられた後二度と試合に出れなくなるという緊張感の中の競争。
毎試合が、毎練習がテストのような感覚だった。
これこそが競争だった、って思った。
この刺激のある日常が高校時代を思い出すようで、楽しく、充実していた。
この時に、物事に対しての温度感、熱量の大切さを再認識した。
ある本には、
「才能を開花させるものは、開花させようとする情熱なのです」
とあったけど、こんな言葉のフィーリングが自分の中にあった。
「パッション」が大事だと思った。
でもこれはあくまでも当時の4年生が作り上げた環境、チームであって、
その環境の中だったから、自分も熱量高くやれたようなもの。
圧倒的な個があってバケモンみたいなメンバーが揃っていたからっていったらそれまでだけど、
こんな環境こそが、
お手本のようなチームだと思った。
でもそんな組織の中で高めあっても、
後1歩の所で昇格できなかった。
正直これでも無理なんだと思った。
当時の4年生が抜けた翌年の戦いは相当厳しくなることもわかった。
でも、来年は早くからシーズン通してこれができれば上がれるとも思った。
4年になって、
自分はプレー中怖いとチームメイトに言われることがあるのだが、4年目は特に言われた。
これは半分「素」というか自分の中では当たり前で、プレー中は闘いのスイッチが入ってしまうこともあるが、
今までサッカーをやってきた環境では、
気が緩んだ瞬間つつかれる。
言われなくないならやれよって環境は普通のことだと思ってたし、
プレー中なんだからそんな気にすることじゃないだろって思ってた。
当時はそんな怖くないだろって思ってたけど今考えると新チームになって大きくメンバーが変わって新しくやる人達は怖いと感じるのかもしれないと思う。
もう半分は意図的というか、少し説明するのは難しいから理人とのあるやり取りを話したい。
理人が「かつやに言われるとサボれない。でも声をかけてくれるときついけど走れる」と伝えてくれたことがある。
簡単に言えばこんな感じの「影響力」をもつため。
自分に言われるとサボれないという影響を与えることができているということは理人もチームもプラスになる。
なにより「影響力」が自分自身の武器にもなる。
これは3年時に自分が一選手として厳しい競争に勝って試合に出るために考えた戦略でもあって、
このままやっても試合に出れないから影響力をつけようと思ったのがきっかけ。
でも今年は声をかけても伝わらない、味方が動かないことに対してフラストレーションを溜めることがあった。
正直児玉さん、蛭子さんなんとかしてくれよ。と思ったこともあった。
でも結局やるのは自分達で中心となるのは4年生。
やらなきゃいけないことはわかっていた。
でも今思えば、今年はシーズン通して怪我で4年生が揃わなかったり大きくメンバーが変わっているんだからそれは当たり前だったと思う。
今までは通用したかもしれないけど、伝え方が下手だったし、伝わるまでできていなかった。
だから上手く巻き込めなかったのは、実力不足だし、それが結果となって跳ね返ってきただけだ。
終わってみて、
東京都リーグ6位。
関東3部には昇格したものの、
参入戦全敗。
Iリーグ降格。
目標には届かなかった。
リーグ戦は4年間で1番悪い戦績だし、
参入戦は恥ずかしい結果になった。
でも今年は運がよく、来年からレギュレーションが変わるため、6位でも次に進むことができた。
そこで関東3部に「昇格」することができたことは唯一の救いだと思う。
プレーオフの明海大学戦。
3.4年生しか入れなかったけど3年振りに声出し応援解禁の日。
応援メンバーは農大が勝つような最高な雰囲気を醸し出してくれて、
先制されたけど逆転して勝って、エキサイティングな試合だった。
農大が1つになって戦って全員で掴み取った勝利だった。
試合が終わって挨拶に行って、苦しかったことなんか全部忘れて、皆で踊って、歌って、はしゃいだ。
勝ってみんなで大騒ぎするあの瞬間、言葉では伝えられないような色んな感情を味わえる。
4年目の最後にこんな最高な瞬間を味わえた。
思うような結果が出ず、苦しんだ1年だったけど、
この瞬間は忘れられない最高の瞬間として刻み込んだ。
こんな瞬間を体験できたのは
いつも試合を組んで、運営してくれる学連・主務がいて、
選手が常に不自由なく、ベストパフォーマンスが出せるようサポートしてくれるマネージャーがいて、
毎日練習を共に頑張ってメンバーに入れなくても声を枯らして応援してくれる仲間がいるから。
そして個人的には、度重なる怪我をしてテーピングが必須な状態の中、毎日肩と足首のテーピングをしてくださる徳さん、
(疋田にもめっちゃ巻いてもらったありがとう)
常に歩みよって、マメにコミュニケーションを取ってくださる蛭子さん、児玉さんがいるからだった。
あの瞬間スタッフも和に入ってくれて嬉しかったな。
こんな農大での出会い、
4年間の中でそれぞれ共にした時間は、
人生における何物にも変え難い財産となった。
東京農業大学農友会サッカー部
ありがとう。
最後に、
三井千葉(現VITTORIAS FC)、市立船橋高校の指導者、スタッフ、関わって下さった方々、ありがとうございました。
魂のフットボールを基盤に、真面目に謙虚にひたむきにこれからも頑張ります。
~地元の友達~
コロナで活動ができない期間、一緒にボールを蹴ってくれたり、一緒にきついトレーニングをしてくれたことで本当に充実していて、感謝を伝えたいと思ってた。
ありがとう。
違う大学だけど半分部活の仲間みたいな絆もできたね。現役を引退した2人もたまに一緒に走ってくれてありがとう。
これからもよろしく
~マネージャー~
いつも大変な仕事を一生懸命やってくれてありがとう。
選手が全力で取り組めるのも、力を発揮するのもマネージャーのサポートのおかげだし、マネージャーも含めてチームの総合力だよ。
これからも選手を支えてあげてください。
あやき、かんな、かりん
誰1人辞めずに最後まで続けてくれてありがとう。
3人のおかげで頑張れた同期は自分含めてたくさんいると思う。
それぞれ個性があって最高の同期マネージャーだったよ。
~先輩方~
現役中はもちろんですが、引退しても気にしてもらったり、ご飯に連れて行ってくれたりと本当に感謝しています。
心から尊敬する先輩ばかりなので、
これからもたまには気にしてもらえると嬉しいです。
~後輩~
プレー中は怖かったと同期、先輩にすら言われることがあったから、後輩の皆も怖かったと思う。
特に杉と堀井ごめんな。
でも、プレーのことを聞きに来てくれるゆづ、いいいいいずみがいたり、
アップの時はいつも俺の後ろに並ぶりょうすけがいたり、
会う度に服くださいって言ってくるりょうまがいたり、
よくサウナに誘ってくるけんごがいたり、
更衣室でじゃれてくれるりつきがいたり、
格闘技の話してくれるしんたろう、れおがいたり、
だれだかわかんないけど、俺の靴をお店みたいに置き直してくるやつがいたり(多分飯泉とかそのへん)、
1日1回は絡んで毎回いいねしてくるりゅうとがいたり、
とわも最近はよく絡んでくれて、
ここでは全員分書けないけど。
最初は関わりずらかっただろうけど仲良くしてくれてありがとう。
さど、5年間ありがとう。
いつも真面目で、謙虚で、ひたむきだから本当にすごいと思う。
ラスト1年がんばれよ
~同期~
大学の体育会サッカーの同期の仲間だから、みんなと毎日切磋琢磨して練習に取り組んで、みんなと一緒に試合にでることが、1番の幸せで、充実していて満足感があった。
みんなの活躍が心から嬉しかったし、良い意味で刺激になった。
だから怪我で一緒にできなくなることがそれと同じくらい悔しかった。
たくむ、りゅうき、しょうたは俺らじゃわかんないくらい辛かったと思うけど、それでも辞めずに最後までかっこよく振舞った3人は尊敬しかない。
とにかく、毎日目の前のことを必死に頑張っている同期に励まされて頑張れた。
毎日練習に向かう時間も、帰る時間も
空き教にいる時間も、
飯食ってる時間も遊んでる時間も幸せで楽しかった。
みんなこれからもよろしくね
途中理人との話を勝手にしちゃってごめん。笑
理人のこの一言は良い意味ででかかったよ。
あと足は俺の方が速い。
塩盛ウイイレフラパつよすぎてごめん藤井怖くてごめん
田谷
7年間ありがとう。
高校も大学も充実してたよな。
その中で多くの時間を一緒に過ごしてくれて、多くの壁を一緒に超えてきてくれた戦友だな。
これからもよろしく
~スタッフの方々~
下級生の頃から試合に起用していただいて、期待していただいていたことは感じていました。
目標である昇格に値するパフォーマンスができず、申し訳ないです。
僕達の学年はスタッフの入れ替わりを経験した分、色々な価値観を知ることができました。
この大学生という期間は社会に出る前の準備だぞというメッセージ性のある指導を常にしていただいたと感じてます。
この4年間で教えていただいたものを次に繋げていきます。
4年間ありがとうございました。
また、岡澤さん、秋吉さん、米原さんをはじめとするスタッフの方々、
いつも部員の影でサポートをしてくださりありがとうございました。
~家族~
俺のサッカー人生の為に色々なことを犠牲にしてきてもらった。
たくさん苦労も心配もかけてきたと思う。
期待してくれてるのはわかってたから期待に応えたい気持ちがあったし、勝って喜んで貰いたいから頑張れた。
たくさん試合を楽しみに観に来てくれたけど、高校と大学は大事な所であまり勝ち試合を見せられなかったな。
悔しい思いをたくさんさせてごめん。
でもこれまでサッカーだけは頑張ってきたと胸を張って言える。
頑張ってこれたのは間違いなくこの家族だったから。
何不自由なく全力でサッカーをさせてくれたこと、
サポート、応援、いつも俺と同じような気持ちで一緒に戦ってくれてありがとう。
これからも元気で、健康でいよう。
普段感謝を伝えられてないと思ったから書いたけど、正直この感謝は言葉では伝えられないからこれから少しずつ行動で恩返ししていけたらと思う。
以上になりますが、こんな長くて纏まりのない文章を最後までご拝読いただいた皆様ありがとうございました。
明日のブログはワールドカップカップで大活躍した男、権田修一選手を愛してやまない「ごん」こと鈴木貫太郎選手です。
(個人的には彼にすごくお世話になったな)
筋トレ愛好家であり、
ピッチ内では図太い声を轟かせる頼もしいキーパー。
4年間真面目にひたむきに努力し続けた彼のブログには何が書かれているのでしょうか。
お楽しみに