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2022

四年生ブログ 南部歩夢〜変われる〜


始めに、新型コロナウイルス感染症の収束の為に、ご尽力頂いてる医療従事者の方並びに、全ての方々に、深く御礼申し上げます。



また、日頃から弊部の活動を応援して頂き、支えて下さっている皆様、誠にありがとうございます。



この場を借りて、御礼申し上げます。



 









誰もが認める、頼りになる農大の守護神、千葉隆弘君から紹介に預かりました。


 









本日ブログを務めさせていただく南部歩夢です。

 











普段すかしてるのでクサイこと書くと隆利とか里玖とかにいじられそうですが、もう会わないからいいかな?笑








毎年4年生のブログを読みながら、









「俺って書くことあんのかな?まあその時考えよ」








って思ってたらこの日が来ちゃいました。








月日が経つのは本当に早いです。






楽しかったなあ、、








辛かったなあ、、








まだそんな場面じゃないか。





少し長くなっちゃったけど、僕なりの言葉で思いの丈をぶつけて見たので是非最後まで読んでください。




  




それではスタート。






 












順風満帆な人生を送ってきた。












何をやるにしても卒なくこなせた。


 









幼稚園で本格的にサッカーを始め、









小学生では県大会無双チームでキャプテンとして全国大会に出場。










中学では地元のJリーグの下部組織に入り、トレセンにも常に選出。










ちなみに勉強もできた。



(結構モテた。)










だから、高校は進学校に入学できたし、ユースにも昇格させていただいた。










ユースでは1年から試合に出してもらっていた。









そんな学生生活を送っているうちに、







「自分は何でも上手くやって行ける。」






という"自信"が身についた。








東京農業大学に入学。








農友会サッカー部に入部。







「1年目はアイリーグに出て経験を積み、2年目以降からトップチームに絡んでいこう。」






そんなことを思っていた。








ところが、公式戦どころか練習試合にすら出られない日々が続いた。










今でも忘れない、中央学院での練習試合前の朝練と練習試合後(夜)の2部練。







ガチしんどかったよな、ごん。笑









そうして1年目が終わる頃には、すっかり1番下のカテゴリーに定着していた。










甘かった。










今までの"自信"は"過信"だった。









地元ではちょっと上手かったなんて、大学では通用しない。









前監督の三浦さんには、全て見抜かれていた。










「なんだよ、大学サッカーつまんな」











今まで大きな挫折を経験してこなかった僕は、すぐに折れた。












そしてサッカーに対する気持ちが少しずつ薄れていった。










練習は適当にこなし、練習終わりに筋トレにいく同期を横目にすぐに帰宅する日々。











ずっとセカンドチームでプレーしているうちに

自信も無くした。





  




三浦さんはよく、



「付き合う人間を考えろ。」



とおっしゃっていた。







自分のことだと毎回思っていた。








まさに、チームの"癌" なんだろうな。と。








2年が終わる頃には、部活に行くのが怖くなっていた。








次々と試合に出て活躍していく同期がいて、僕の居場所が無くなりそうな気がしていたから。








そしてそんな同期のことを素直に応援できない自分にとても腹が立った。








ー辞めようかなー








冗談半分、ほんと半分で思っていた。









けど、高い学費を払って大学に通わせてもらっている親のことを考えると、辞める勇気もない。









中途半端な気持ちのまま、僕は部活のストレスをプライベートで充実させようとしていた。







曜日関係なくお酒を飲んだり、




朝練の前でも遅くまでバイトをしたり、




就活を見据えて英語の勉強をして見たり、

(これは役に立ったけど)









あんなに大好きだったサッカーから逃げるために必死だった。










「あれ、何のために大学入ったんだっけ?」










「部活してる時間あったら他のことできるんじゃないか?」









そんなこんなであっという間に3年になり、社会人リーグ登録に。








メンバーが少なかったのもあり、僕は開幕戦に出場した。








その日の会場はさいたまのレッズランド。






部員のみんなが応援に来てくれていたが、








正直僕は



「こんなレベルの低い試合見られたくないのに。」



と思っていた。







結果は2ー1で辛勝。






試合が終わり、




「こんな試合見られるの恥ずかしかったよな〜」




なんて竜輝や涼太と話しながら帰った。









でも、内心はこう思っていた。








「めちゃくちゃ楽しかったな。」








久しぶりの公式戦だったからか、







始めて部員に応援されながら試合に出たからか、







逆転勝利で勝つことができたからか、、、








大学に入って1番充実した気持ちだった。







同時に、








「もっと上のレベルで試合に出たい。」





 


「同期のみんなとたくさん試合に出たい。」







「応援席じゃなく、ピッチで活躍したい。」








そう思った。





 



諦めかけていたが、まだ間に合う気がした。








そこから僕の意識は少しずつ変わっていったと思う。







練習に対する姿勢、






細い体を鍛えるための筋トレ、






遊んでばかりいた私生活、






チームに必要な選手になるためには、?






サッカーと真剣に向き合うようになった。






もちろん急に結果がついてくるわけじゃない。






練習はいつもと同じセカンドチーム。






それでも何か充実していた。







意識が変わるだけでこんなにも楽しい。







その感覚を絶やさないために、継続し続けた。







上げの日のランは何が何でも入り、







あんなに嫌いだった筋トレはオフの日にルームに行くほどのトレーニーに、








社会人リーグでは児玉さんが求めるプレーを自分なりに汲み取り、得点やアシストで結果を示した。









そして新体制になり、天皇杯の中央大学戦でトップチームデビューを果たした。




 

 



ようやく両親に胸を張って報告できた。








4年になり、トップチームでスタメンとして出場し、チームを代表して戦う側になっていた。










そんな最後の1年は、本当にあっという間で、楽しくて、幸せな1年間だった。










色んな人に、






「歩夢変わったなあ」

 




と言われ、






「何も変わってねえよ」






と返しながらも、どこか気持ちが良かった。








ここまでダラダラと振り返ってみたけど、僕が伝えたいこと、4年間で得た答えは、








「変われる」








ということ。









ありきたりな言葉だけど、僕にとってはとても意味のある言葉。









これはサッカー以外にも言えることだと思う。








現状満足がいかない事があったとしても、何か1つ目標を決め、そこに向かって少しずつ意識、行動を変えていく。







もちろん簡単なことではない。







なかなかすぐには変わらない。







途中で辞めたくなる。








それでもやり続けること。







折れそうになった時もたくさんあった、







でもそんな時に支えられたのはやはり、同期の存在。








一緒に筋トレをする仲間、







ピッチでチームを代表して戦う仲間、








その裏で運営に徹する仲間、









そんな姿がモチベーションになったし、負けてられないという気持ちになった。











正直、なんのモチベーションもなく腐っていた最初の2年間は勿体無かった。













それでも、残りの2年間で選手として、人として変われた事は本当に良かった。
















今では、僕のサッカー人生に悔いは無いと、心から思える。











"サッカー人生"











物心がついた頃から、父にサッカーボールを持たされ、











気づけばサッカーに夢中になり、












生活の一部になり、












サッカー選手になるのが夢だと、そう言い続け、











そんな長い長いサッカー人生がついに終わった。











楽しかったなあ。










これに尽きる。










ここからは第2の人生。












サッカーボールの無い、全く新しい世界で、また新たな"夢"に向かって"歩"いていく。












〜東京農業大学、カターレ富山、JKキッズなめりかわのスタッフの皆様〜




本当にお世話になりました。



僕が教わってきたスタッフの方々は、サッカーの楽しさだけではなく、人として大切なことも教えてくれる素晴らしい方々ばかりでした。




最初はどうしようもない奴でしたが、少しは選手としても人としても成長できたかなと思っています。




皆様から教わった数々をこれからの人生でも生かしていきます。




本当にありがとうございました。








〜同期のみんな〜




たくさん迷惑かけちゃって本当にごめん。



4年間、みんなと走り抜ける事ができて幸せでした。



同期のみんなと出る試合、練習が本当に楽しかったし、心強かった。



長いようであっという間の4年間。



かけがえのない思い出です。




ありがとう。



特に塩盛(あかつ)、



最初会った時は絶対仲良くなれないと思ったけど、健太のおかげで毎日本当に楽しかった。

ここでは言えない思い出もたくさんあるな。笑

ありがとう。これからもよろしく!





〜あやき、かりん、かんな〜



4年間支え続けてくれてありがとう。



3人のうち誰か1人でもベンチにいてくれる試合は、安心したし心強かった。



そんな3人を心から尊敬してます。





〜後輩のみんな〜



絡みづらい先輩だったかもしれないけど、それでも絡んでくれる子たちは本当に可愛かったなあ。



ありがとう。




りつきとからいおんとかのぞみとか、「飯行こ〜」って口だけの人多いけど、本気のお誘いどしどしお待ちしてます。



(けんごとか誘えないか、)




自分たちは関東3部という結果しか残せなかったけど、来年は2部に昇格できると信じています。




期待してるよ!








〜家族〜



物心がついた頃から、何不自由なくサッカーをさせてくれ、支えてくれて本当にありがとう。



最後の最後まで、


「カターレの練習行かないの?」



「JFLのチームもありかもね」



と、僕のプロへの可能性を信じてくれていた父。



夢を叶えられなくてごめん。



でも、サッカーを教えてくれて本当にありがとう。



おかげで数え切れないほどの宝物を得ました。



またボール蹴ろう。




実家を離れても毎日のように



「お米ある?」



「〜送るね」



って彼女くらい話しかけてくれた寂しがり屋の母。



その愛情に、22年間支えられ、つい甘え続けちゃったかな。



大学ではサッカーしてる姿を見せられなかったのが後悔だけど、応援し続けてくれて本当にありがとう。






実家に帰ったらお金足りてるか、ご飯食べてるかと常に心配してくれるおばあちゃん。



これからも元気な姿で会いにいくから、長生きしてね。









書きたいことが多すぎて止まらなくなってるので、この辺で終わりにします。







いかがだったでしょうか。








まとまりのない、拙い文章でしたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。









明日のブログは疋田勝人君です。

 


いつも陽気な彼のうちに秘めたアツい思いが綴られることでしょう。


お楽しみに!

コメント
名前

内容


高3の担任
2024-03-07 23:01:31

南部くん、素晴らしい大学生活やったんやな。
挫折からいろんな気づきも得られて、努力して、周りにしっかり感謝できて、ずいぶん成長したんやな。
嬉しい限りです!
大学卒業後も社会で頑張ってくれてると期待してます!
がんばれ。
ゆきな
2022-12-05 22:28:02

とてもとても感動しました。「変われる」そう簡単なことではないけど、私も何か勇気出して変われるきっかけになりほうです。素敵なサッカー⚽️人生お疲れ様でした。
みんなに感謝できる歩くんはすごいと思います。これからも応援してます?