僕の酷い縦パスをピタッと止めゴールに結びつける
農大のテクニシャン
三富嵩大選手から紹介いただきました
村井建斗です。
たか。健じゃなくて建だよ。
よくある間違いなので、皆さんはお間違いの無いよう覚えてくださるとありがたいです。
まず初めに、新型コロナウイルス感染拡大に対し、ご尽力いただいている医療従事者の方々、また、日頃より東京農業大学サッカー部をご支援して頂いている全ての方々に感謝申し上げます。
今回、卒業ブログを書かせていただくにあたり、大学生活を振り返ると多くのことがあり、一つにするのは難しく、拙い文章になっているかと思いますが、ご一読いただけますと幸いです。
「覚悟」
ある夏の日。
僕は大嫌いなセミを見て思う。
なぜ、7日間しか生きられないのに、鳴かずに寝ている時間があるのだろう。
少し気になり調べてみたら、実際は寝ることはなく、気温が低いと鳴かずに休んで、ちょうど良い気温になると鳴き始めるようだ。
まあ、そんなことはどうでもよくて、セミを自分と置き換え、もし自分が、7日後に最期を迎えるとしたら、どう過ごすのだろうかと考えてみた。
きっと、色々なことを7日間に詰め込むと思う。
好きなものを食べる。
好きな遊びをする。
好きな人と過ごす。
あえてめちゃくちゃ寝てみる。
ちょっとだけ悪いことをしてみる。
などなど
たくさんのことを、できるだけ詰め込んで、7日後に幸せだったと思えるように、今を全力で生きようとするだろう。
僕の今までの人生でそんな瞬間はあっただろうか。
余命宣告なんてされたことはないし、大した怪我もしたことがなければ、事故にあったこともない。
僕は、恵まれすぎていて、最期を迎えるその感覚を命単位で味わったことはない。
だから、人生において、幸せを噛み締めるために必死に過ごそうとしたことは少ない。
でも、サッカー人生においては最期を迎えるかもしれない経験をした。
それは、東京農業大学サッカー部に入部をしようとした時である。
同期は、推薦で入部を決めていた頃、僕は受験勉強をしていた。
センター試験、一般受験を経て、東京農業大学に入学を決め、2、3月に練習参加をさせて頂いた。
入部できるかどうかわからない、この先サッカーを本気で続けられるかどうかわからない、練習生としての日々が続いた。
幼稚園から当たり前のように続けてきた、サッカー人生がいつ最期を迎えてもおかしくはなかった。
練習参加の最後の日に、三浦監督に問われた。
「何のために大学でもサッカーをするのか」
当時は、これに対する答え方一つで、僕のサッカー人生が終わるのかもしれないと思い、何も答えを出せず、自然と流れた涙に身を委ねるしかなかった。
でも、あの恐怖が僕に覚悟を与えてくれたのかも知れない。
練習試合にすら出場できず、ゴール裏でトレーニングをしても、
怪我人と一緒にタータンできつい走りをしても、
時には理不尽だと感じることがあったとしても、
辞めようとは一切思わなかった。
僕は、ここで生き残る。
ここから這い上がる。
そして、その過程で「大学でサッカーをする意味」を見出すことができるのではと考えた。
自分自身、覚悟一つで人間こんなに変わるものなのかと驚いている。
サッカーに対する想いが、より増した。
普段の行動でさえ、サッカーに繋がるのではないかと、アンテナを張って過ごすことができた。
誰かが僕の行動を見ているかもしれないと、ピッチ内外問わず思い込むようにした。
チャンスがあれば必ず掴むための準備をした。
そのように過ごしていると勝手に周りの環境、人間関係に恵まれていくものなのだと実感した。
環境で言うと、
まず、2年時のIリーグ。
あの1年間は、僕を大きく成長させてくれた。
人1人で成し遂げられることなんてたいしたことないということ。
上手さとか関係なく、人の心を動かせるサッカーをできるということ。
あのチームで戦えたから得られたことが多くあった。
3、4年時の東京都リーグ。
3年時は、とにかく4年生のためにという想いの中で戦っていたけれど、その中でものびのびとプレーすることができた。
4年時に、4年生の偉大さを知った。
同じ東京都リーグで戦っているはずなのに、見える景色が3年時と4年時では全く異なるものになった。
責任感、緊張感で押しつぶされそうになる中で、試合に出場させていただいた経験は一生の財産になるだろう。
これから、生きていく中でこれ以上の刺激を受けられる機会は多くはないと思う。
次に、人間関係では、まず、同期には僕の入部を暖かく迎えてくれたことを本当に感謝している。
とにかく僕らの代は横の繋がりが強く、全員が同じ方向に向けていたと思う。
だから、最終節の一体感がピッチ内外問わず、生まれていたのだと思う。
あの一体感は間違いなくキャプテンの陸生が創り上げてくれたもの。
誰よりもこのチームに賭けていることを、練習、試合関係なく毎日感じていた。
頼もしすぎるし、強すぎるキャプテンだった。
陸生がキャプテンのこの代で、サッカーができて幸せでした。
また、僕が1番苦しんだ入部の時に、「これから一緒に頑張ろう」と連絡をくれた航希。
あの連絡が僕の覚悟をより強くさせてくれたと思う。
1年の最初、怪我をしていて僕とトレーニングをする機会が多くあった。
あのどん底から一緒に這い上がって、一緒に戦えたIリーグは楽しかった。
だから、都リーグも一緒に出たかった。
悔しさを自分のステージで、最後までぶつけている姿は、本当にかっこよかった。
同じ学科の達也と海斗。
2人が同じ学科じゃなかったら、間違いなく今の僕はいないと思う。
2人とも、すごくサッカーが上手なくせに、馬鹿みたいに練習をする。
サッカーが大好きで、向上心の塊だった。
そんな2人と3年時の都リーグで、初めて一緒に、試合に出場させてもらえた時は本当に嬉しかった。
小野→細田→(村井のごっつぁんゴール)は最強のカウンターだった。
2人がボールを持てば、必ずゴール前まで走った。
2人がボールを奪われたら、一緒にボールを取り返そうとした。
僕がボールを持ったら、真っ先に2人を探した。
そういう関係だった。
こんなことを言っていると、お前だけだよと海斗に言われ、よくわからないことを達也が言ってくる未来がなんとなく見える。
それでも僕は2人を信じている。
そう思える2人に出会えて僕は恵まれている。
流石に、1000字は2人のことを書けなかった。泣きそうで。
卒論頑張ろうな。
本当に素晴らしい同期に恵まれたと心の底から言える。
だからこそ、昇格したかった。
もっと試合がしたかった。
ピッチに立たせていただいた人間として、その目標を達成できなかったことが1番の心残りです。
だから、後輩たちには、頑張ってもらいたい。
色んな立場の人がいると思う。
でも、どんな立場であっても最高の自分を、最高のチームになっていることを、想像することはできると思う。
それを、達成することができたらたくさんの発見があると思う。
僕は、部内で1番下手だったけど這い上がることができた。
そんな人間ができたのだから誰にでもできる。
自分を信じていれば、全てを変えることができる。
マネージャー。
僕は、最後まで関わりにくい人間だったと思います。
だって、卒業ブログの冒頭をセミにするような人間だから。
冗談はさておき、本当に尊敬しています。
人のために働くなんて僕にはできません。
それを、4年間も続けることはすごく辛く、大変なことだらけだと思うけれど、これからも選手を支え続けてほしいです。
のぞみ。
折角、同じ学科だったのに、一切相談に乗ってあげられなかったこと。
僕ら、選手とは違う価値観や視点を持っているのに、意見の共有を頻繁にしなかったこと。
昇格した代のマネージャーにしてあげられなかったこと。
今思うと、僕らは与えられてばっかりだったなと思う。
そんな僕らのマネージャーを、4年間続けてくれてありがとう。
三浦監督をはじめとするスタッフの方々。
僕を、信じて起用し続けてくださったのにも関わらず、昇格という結果を残せず、本当に申し訳ございません。
この4年間は、サッカーだけでなく、1人の人間として大きく成長できました。
「僕は恵まれ過ぎている」
これを僕は、大学でもサッカーを続けて気付くことができました。
当たり前なことに感謝して、これから先も生きていきたいと思います。
家族。
当たり前のようにサッカーを続けさせてくださり、感謝しています。
この4年間で、僕自身は大きく成長できたと自負していますが、家族から見れば、まだまだ幼いころから変わってない部分もあるのかもしれません。
だから、僕はこれから先も成長し続けます。
引き続き、温かい目で見守って下さるとありがたいです。
如何だったでしょうか。
何回も見直し、書き直したりしてみましたが、これでいいのかと正直不安しかありません。
それでも、このブログが誰かの何かを変えるきっかけになってくれれば良いなと思っています。
最後までご高覧頂きましてありがとうございました。
明日のブログは
農大が誇るストライカー。
跨ぎの速さはC.ロナウド以上。
みんなからいじられ、愛された
柳澤慶吾選手です。
普段見せない一面を綴ってくれることでしょう。
お楽しみに。