将也、新、信吾擁するバイオビジネス学科に比べ経済学科は、大学内での女の子との関わりが全くないことに気付いた私と星太は、二人で頭を働かせ、作戦を立てるも行動に移せず何も手にできませんでした。
そんな中、同じ経済学科で類い稀ない個人技と豊富な運動量で個人突破を成功していたリョータとはっしー。
そんなはっしーこと橋本選手から紹介に預かりました、
副将の牧寛史です。
遂に自分の出番が回ってきました。
恐らくひろむとりょーやが
"とうとう来たなこの時ガァー"
という最高のパンチラインをはいてるでしょう。
お待たせしました。
誰も待ってねーよ。って言うなけんしろー。
いつもふざけている私ですが今回はまじめに記したいと思います。
明日は最終節。
何を書こうかすごい迷いましたが、自分自身のことについて書こうと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
それでは、
start
「ひろってかっこつけてない?」
今年、三浦監督からある選手を通して間接的に言われた言葉だ。
心が揺れた、将也がユニフォームを忘れた時の指くらいに。それ震えたか。
さすが BOSS。
BIG BOSS。
私自身「かっこつけている」というより「強がっていた」のだろう。
「強がっていた」ではなく「強がった」と言うべきかもしれない。
正直に書こうと思う。
辛かった。
試合で仲間が全力でプレーしている姿をスタンドで応援することが。
結果が出ないチームにプレーで貢献できないことが。
情けなかった。
10番のユニフォームをもらっているのにスタンドにいることが。
なんで出てないのと周りの人から言われる自分が。
多くの4年生がピッチに立つ中で一緒に闘えていないことが。
「10番がメンバー外のチームが強いわけがない」
母親に言われた一言だった。
間違いなかった。
いっその事怪我でもしたら楽だとか、
このまま人生早送りして引退してくれないかなと思ったこともあった。
でも仲間や後輩にそんな自分を知られたくなかった。
そんな弱いやつだと思われたくなかった。
気付かれてたかもしれない。
でもそんな姿を見せたくなかった。
目の前で闘っている仲間がいるのだから。
だからこそ強がった。
心の弱さを無意識に隠した。
強がらないと投げ出しそうだったから。
強がって強がって強がり続けた。
練習中は誰よりも声をかけ要求もし、みんなが求めるガヤもたくさん入れた。
(ガヤでてらのこと褒めたら、三浦監督にお前もやれって怒られた)
なるべく、笑っていようとも思った。
(笑ってたら三浦監督に怒られた)
でも声を出したり、笑ってないと自分の現状に我慢ができず落ち込みそうだった。
自分の経験や考えてることを後輩にも伝えた。
後輩から聞いてきてくれることも増えた。
そんな後輩のプレーを見て勇気や刺激をもらい、負けずにやり続けようとも思えた。
特に石田明。
あいつはやばい。
あいつはやばい。
ほんとにやばいので2回言った。
あいつのせいで3回は怪我した。
でも対戦していてすごい楽しかった。
もちろん試合に出るために多くの人にアドバイスを求めた。
手応えがあった以前の試合を見返したりもした。
そしてプレーで表現しようとした。
しかし空回りし、思うようにいかないことの方が多かった。
今だからわかる、
余裕がなかった。
心にもプレーにも。
そのため、自分のプレーヤーとしての特徴や価値観まで疑った。
ピッチに立つのが不安になった。
全く自信がなくなっていた。
そんなことを紛らわすようにピッチ外ではたくさんふざけた。
後輩の鞄に知らない人のメガネを入れたり、キーパーグローブをつけてシャワールームに入ったこともあった。
後輩のご飯に指を突っ込んだりもした。
ごめんね、怜、福ちゃん、昼間。
みんなとは笑顔でいたかった。
じゃないとまた考え込みそうになるから。
それでも1人になると沈んだ。
朝起きてため息をつくことが増えた。
夜寝る時頭の中が意味わからないほどゴチャゴチャになることもあった。
グランドに向かう足取りが重かった。
サッカーが嫌いになったわけではない。
サッカーは大好きだった。
ご飯を食べる時はだいたいサッカーの試合を見ていた。
そのくらいサッカーが好きだった。
でも、サッカーをしているのが苦しかった。
私にとって生きがいだったはずのサッカーがストレスになっていた時もあった。
試合に出れない程度でそんなになるのかよと思う人がいるかもしれない。
なってしまった。
そのくらい私は心が弱い人間だった。
そんな時、同期の仲間の顔を見たら無になれた。
色んなことを忘れられた。
そして自然と笑顔になれた。
てらのガキっぽいところ。
しゅんの女の話。
星太の明るさ。
デニの嘘つきネタ。
やぐのいきったスーツ。
おぐのヘアースタイル。
新の弱々しさ。
リョータの可愛い笑顔。
れんたのいじられた後の反応。
こーきはひとりっ子。
けんしろーとのグアムとかっぱの話。
マモとの連れション。
はっしーのインスタのストーリー。
信吾の練習中笑わせてくるところ。
将也の渋谷と三軒茶屋の話。
他にもたくさんあるけど、みんなで話したり、笑っている日常の時間が幸せでこの何気ない時間が自分自身をとても支えていた。
すごい助けられた。
直接伝えるのは恥ずかしいからこの場で。
本当に本当にありがとう。
実際みんなに相談したり、心の内を話してみても良かったのかもしれない。
そしたらこんなに悩むこともなかっただろう。
でも私はその選択をしなかったことを後悔していない。
その選択をしなかったから、
仲間の力の大きさに気付けた。
心の支えに出会えた。
三浦監督が求める、
東京農業大学のサッカー部に入部して良かったと心から言える理由を見つけることができた。
そして何より自分自身の弱さに気付けた。
弱さに気付き、弱さを受け入れることで心に余裕が生まれた。
変に気にしなくなった。
開き直れた。
結果を受け入れられた。
それが良いか悪いかはわからない。
でもなぜか解放された気になった。
苦しかった心が少しずつ楽になった。
そして今は自信がある。
自分のことを理解できているから。
たくさん苦しい思いをしたからこそ、
自分を表現しプレーで貢献できる。
今頃かよって感じだけど。笑
1人だったらこのまま何もできなかった。
ずっと弱いことに気付かなかった。
おそらく今も弱い人間だろう。
でも、弱さを理解している。
そしてそれを自然と助けて、支えてくれる仲間の存在を知っている。
だから1人ではなく、
"仲間と一緒に"
闘おうと思えた。
"仲間がいるから"
存分に助けて貰おうと思えた。
そんな仲間に思いっきり支えられて、
最後のところで踏ん張り頑張れた。
この最終学年の1年間。
本当に辛かった。
サッカー人生で1番苦しかった。
何度も落ち込んで、
そして逃げ出そうとした。
それでも踏みとどまれたのは、仲間との何気ない日常が、仲間と過ごす時間が私にとってかけがえのないものだったから。
こんな素晴らしい自慢の仲間に出会えたこと、
そしてそんな仲間を手に出来たことを誇らしく思う。
ありがとう。
最後にこの場を借りて多くの方に感謝を伝えたいと思います。
「繋がり」というコンセプトを掲げ、仲間の重要性を問いかけ、そして気付かせてくれた、三浦監督をはじめとしたスタッフの方々。
自分達の代のマネージャーがいなくなり負担を多くかけてしまったが、それでも一生懸命サポートをしてくれ支えてくれた3年生を中心としたマネージャーの方々。
チームのことや自分のことを常に気にかけ、声を掛けてくれていた埴田元ヘッドコーチ。
応援や喝のラインをくれ、時には食事に連れて行って励ましてくれた先輩方。
私のサッカーの原点であり、憧れのチームで多くを学ばせていただいたフロンターレのスタッフの方々。
様々なリーグ、カテゴリーで刺激を与えてくれていた小、中、高のチームメイト。
そして、5歳から始めたサッカーをここまで何不自由なく続けさせてくれ、支えてくれた父。
一番のファンとして時には厳しいことを言い、一緒に喜び合い、そして悔しがりながら応援し続けてくれた母。
試合前にアドバイスをくれ、誰よりも気にかけてくれていた兄貴。
4年間、朝練時に家に泊めてくれお世話になった祖父母。
私は多くの人の支えがありここまでサッカーを続けることができ、サッカーを通し様々な経験をし、学びそして成長することが出来ました。
本当にありがとうございました。
私にとって明日は東京農業大学のサッカー部の一員として挑む最後の試合。
支えてくれた方々のために最高の仲間と一緒にどんな立場であれ絶対に勝利を届けます!!!!!
そして、自分達の力で残留を掴み取ります!!
次回のブログ担当は、
我らが東京農業大学サッカー部のキャプテン寺門宥斗です!!
闘志と勝者のメンタリティーで農大の砦としていくつもの場面でチームを救った男。
そんな彼もピッチを離れるとがきっぽい所と、笑顔がとても可愛いんです。
そして恐らく彼のブログは「ご苦労さん」の一言で幕を開けるでしょう。
キャプテンが語るSNS上での「最後のロッカールーム」乞うご期待です。
本日は、伝説の男牧寛史選手です。
牧選手と言ったら本当に寂しがりや。。。
周りは後輩しかいないのにファミレスについて来て6〜7人の後輩たちと3時間以上おしゃべりをして過ごし、練習後には常にご飯行こって言ってくる。もー先行くからと言いつつも後輩の靴にテーピングを貼るいたずらをしながら必ず待っている。。
後輩みんな「あいつマジかまちょ」って言ってたよ?笑
牧選手のご両親、ご家族の皆さん、牧選手関係者すべての方々、僕達後輩達はこれからも寂しがりやヒロ君の面倒を見ていきますのでご安心ください。。。