4年引退ブログ vol.12
『降格した副主将が伝えたい、最後の想い』
杉山 諒 (鹿島学園高校)

まず初めに、日頃から東京農業大学農友会サッカー部の活動を応援、支援して下さってる皆様、誠にありがとうございます。
この場を借りて、御礼申し上げます。
ボケ星人、人間の姿に化けている化け物、私が1駅寝過ごした瞬間に「寝過ごしたのかな?」ってLINEしてきた常に位置情報を把握してる溝口慶人から紹介を預かりました。
蔵前のパン屋さんで働いております、杉山諒です。(最近ツッチーのラテアートの上達度がすごいんよ)
降格した代の引退ブログなんて、正直、誰が読むんだ。
そう思われても仕方ないと思っている。
それでも、あえてこの文章を書いている。
この文章が、後輩の誰か1人の心に少しでも刺さって、これからの選択や行動を変えるきっかけになってくれたら、これ以上のことはない。
少しだけでもいいので、最後まで、読んでいただけたら幸いです。
〜降格した副主将が伝えたい、最後の想い〜
法政戦。笛が鳴った瞬間、関東3部降格が決まった。
人生で2度目の降格だった。
1度目は中学1年のとき。
あの頃は「降格したか」くらいの軽い気持ちで、ひどく落ち込むこともなかった。
しかし今回の降格は、ただ悔しいだけでは済まされない、身体の奥底から全身にまで染み渡る、どうしようもない悔しさだった。
膝から力が抜け、その場に座り込むしかなかった。
サッカーが嫌になった。
練習に向かう足が重くて仕方なかった。
翌日のダウン、本気で休む口実を探した。
「体調不良」と言うか、「休ませてください」と言うか。
降格したんだから、もう俺はいらない。
そんなことまで考えていた。
その時、ふと頭に浮かんだ言葉がある。
「最後の1年くらい腹括ってやろうよ。」
シーズン前、学年ミーティングで全員で交わした言葉だ。
そもそも「腹を括る」とは何か。
俺にとってそれは、自分の何かを犠牲にしてでも農大の勝利に全てを捧げることだと思っている。
あれ、俺、腹括ってなくね。
降格決まったから練習休む。
降格決まったから俺はいらない。
そんなふうに逃げようとした自分の甘さと弱さ、自己中心さに心底嫌気がした。
だから、変わろうと決めた。
思えば、変われる機会なんていくらでもあった。
毎日10分でいいから意味のある自主練していたら。
練習の時、早く来て入念に準備していたら。
試合のない週の練習をもっと本気で取り組んでいたら。
あげたらきりがない。
それらを積み上げてこなかった自分を、悔やんでも悔やみきれない。
降格後に変わっても遅いことくらい分かっていた。
それでも、残された時間でやれることをやるしかなかった。
俺にできるのは、残り数週間を腹括って全力で戦い、後輩たちに背中で示し、毎試合応援に来てくれる親に恥じない姿を見せることだけだった。
腹を括った。
正直、遅すぎた。
でも、もうやるしかなかった。
ここで逃げたら、全てが終わる気がしたから。
そして、そんな覚悟を後押ししてくれたのは、いつも「誰か」の存在だった。
降格した次の日の練習でバチバチにやり合う同期の姿をみて「こんなところで腐ってる場合じゃねぇだろ」と思えた。
降格が決定した後の、山梨学院戦後の練習試合で誰よりも気合いを入れて臨めたのは、スタンドに父の姿があったから。
國學院戦で誰よりも闘おうと思えたのは、降格が決まっても声を枯らして応援してくれる仲間がいたから。
まだまだ変われたとは到底言えないが、少なくとも降格する前の自分よりかは変われたと思う。
変わる瞬間には、必ず誰かがいた。
1 人じゃ絶対に変われなかった。
人はひとりでは変われない。
それを、身をもって知った。
まだ22歳の若造が偉そうかもしれないけど、これだけは後輩たちに伝えたい。
「変われるチャンスは、いつも今、目の前にある」 ということ。
俺はそれに気づくのが遅すぎた。
だから負けた。 降格もした。
勝負がついてから振り返って、後悔して、必死になった。
もっと早く気づけたはずだった。
だから後輩たちには、俺と同じ後悔をしてほしくない。
「今日はいいや」「明日やればいいや」
その一瞬の甘さが積み重なって、最後にえげつない形で跳ね返ってくる。
逆に言えば、今日の10分、今日の1本、今日の1パンプアップが自分を救ってくれる。
どうかみんなには、自分のサッカー人生を後悔で終わらせないよう、毎日を全力で取り組んでほしい。
それが、降格した代の副主将として、最後に残したかった想いです。
最後に、決意を語らせていただきたい。
俺はこの先も、サッカーを続ける。
プロサッカー選手にはなれなかったけど、それでも俺のサッカーへの情熱は、一切冷めていない。
むしろ、ここまで悔しい思いをしてきたからこそ、もっと強くなって、絶対に見返したいと思っている。
これまでのサッカー人生で、支えられてばかりだった。
苦しい時に手を差し伸べてくれた仲間がいて、
どんな状況でも応援してくれる家族がいて、
背中を押してくれる「誰か」が必ずいた。
だからこそ、今度は俺が「誰かを支えられる選手」になりたい。
仲間が苦しい時に寄り添えて、背中を押せる存在になりたい。
過去の俺がもらってきたものを、次は俺が返していきたい。
だから見ててほしい。
降格した代の副主将で終わるつもりはない。
俺はこれからずっと、プレーで示していく。
言葉じゃなく、行動で、姿勢で、サッカーで証明する。
そして、誰かの支えになれるような選手になる。
その覚悟だけは、胸を張ってここに残したい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ここからはこの場を借りて、感謝の気持ちを伝えさせていただきます。
JJL、Kitchee、市川MFC、トリプレッタ、鹿島学園高校のスタッフの皆様
私に「サッカー」を教えていただきありがとうございました。皆様のもとで指導を受けられたことは、今でも、そしてこれからも変わらない私の誇りです。
これからもサッカーを続けます。
皆様が胸を張って「教えていた選手だ」と思っていただけるような人間・選手になれるように努力し続けます。
ありがとうございました。
農大スタッフの皆様
4年間本当にありがとうございました。
どんな時も本気で向き合ってくださった姿は、これから先も忘れることはありません。
皆様のもとでサッカーができたことが、私にとって何よりの財産です。
心から感謝しております。
両親
朝練の日は、必ず俺より先に起きて朝ごはんを用意してくれた母。 どれだけ遠くても、平日のナイターでも、必ず応援に来てくれた父。
2人の存在が、4年間サッカーを頑張れた原動力でした。
これからも、応援よろしくね。
本当にありがとう。
兄
兄がいてくれたから、俺はサッカーと出会えました。
10年以上、まともに会話もしてこなかったけど、引退試合のあと、兄の姿を見た瞬間、堪えていた涙が一気に溢れました。それほど俺にとって兄の存在はずっと特別です。
本当は試合に出て小さい時からこんなにも成長したんだぞって姿見せたかったんだけどね。それができなくてごめんね。
正直、お母さんを通して「スタメンじゃないから来なくていいよ」なんて言ったけど、心のどこかでは来てくれることを期待していました。
だから、あの日来てくれて本当に嬉しかった。
いつかまた時間がある時は、ふらっと試合見に来てください。
ありがとう。
同期
お前らと過ごした4年間は俺の宝物です。
バカみたいな話題で延々と話しちゃうあの時間が大好きでした。
みんなありがとう!!!!
沖縄おれいくよ!
後輩
伝えたいことは上で全部伝えました。
でも最後にこれだけ。
1年間、俺たちについてきてくれて本当にありがとう。
頼りない4年だったかもしれない。
でも、この1年間、みんなと一緒に全力で駆け抜けられたこと、心の底から誇りに思っています。
応援してるよ。
番外編
浦岡、沼田
お前らだけはぜってぇしばく。ぜってぇな。
ったく、まあとりあえずだりいから飯行こうぜ。
高橋はやと、あおい、かい
お前らの体を投げ出してゴールを守る姿に、「俺もやらなきゃだめだ」そう心の底から思わされた。ありがとう。あ、あとお前らもぜってぇしばくから。
敬太、涼介、菅原
こっち見てくんな。ニヤニヤして見てくんな。涼介やば!!うわ、敬太やばいそれは!!じゃねんだよ。なに嬉しそうに俺に報告してくんだよ。あと菅原、お前俺の3個下だからね。とりあえず、お前らもぜってぇしばく。頑張ってね。チョットサビシイヨ
かしがく組
なめくさった3人だよなお前ら。かしがく会は?!じゃねんだよ。5回くらいやったじゃん!!井口のお父さん、いつも美味しい焼肉ありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。絶対行きます。
井口、つばさ、あおい、1番応援してるよ
明日のブログは、我らが10番長谷川大貴。
こいつのお尻は本当にでかい。

なんなのこの主張の強いお尻は。
でもこのお尻から繰り出される右足のシュートは半端じゃない。
あと、お腹のだらしなさも半端じゃない。
おそらくこの1年、はせにとって悩んだり、考え込むことが多かったと思う。
俺は正直、はせのブログが1番気になっている。
ブログで何を語ってくれるんだろうな。
乞うご期待!!
〈思い出の写真〉







