4年引退ブログ vol.11
『なりたかった姿と4年間の苦労』
溝口 慶人 (山梨学院高校)

日頃より東京農業大学農友会サッカー部を応援してくださっている皆様に心より感謝申しあげます。
農大の主務といえばこいつ。
主務型推薦で入学してきた主務又こと、菅又に紹介預かりました。
清純派ビジュアル担当溝口慶人です。
菅又最近彼女できて言ってもないのに自分から後輩に写真見せてたらしいじゃん。
もっと効率良く出来きてたら就活、おっとここまで
毎年この時期になると4年生が引退ブログ出してて、全部読んできた。いざ書くってなると難しくてめちゃくちゃ時間かかった、、
少し長く拙い文章ですが、最後まで読んで頂ければと思います。
それではスタート!
~なりたかった姿と4年間の苦労~
兄がやっていた事もあり自分もやりたい!と何となく始めたサッカー
それがこんなにも長く、濃く、人生の財産になるとは思ってもいなかった
小学生は学校の少年団に入って土日だけ練習や試合をしていた
もちろん全国大会とか出れるようなレベルでもなくただ、友達とサッカーが出来て楽しかったから続けていた。
そんなある日、父親に選手権の決勝に連れてってもらった。
第94回全国高校サッカー選手権大会
東福岡vs國學院久我山
埼玉スタジアム2002
今でも覚えてる。
自分の中に衝撃が走った。
どデカいスタジアム。
客席満席の大熱狂。
応援の大迫力。
計算されたフリーキック。
(女の子の黄色い声援)。
自分もこんな所でサッカーしてみたい!
全国大会に出たい!
そんな事を思うようになった。
中学は地元のFC多摩に入った。
今ほどでは無いと思うが、当時も中々レベルの高い中でサッカーが出来た。
今や、クラブユース優勝までするチームだが、写真を見るとみんな髪の毛がある。
当時は、
練習に行ってきまーす!って家を出て、
ただいまー!って帰ってくると5厘の坊主になっていた
なんでだ?
スタメンの11人中10人が坊主。
(キャプテンの渋谷だけ髪の毛あってチャラついてた)
当時はそんなチームだった。
練習も2部練が当たり前、めっちゃキツかった。
それでもクラブユースや高円宮杯では全国には届かなかった。
高円に関してはベンチで幕を閉じた。
高校こそは絶対に全国に行きたいとさらに思いが強くなった。
高校は山梨学院に進学した。
人生でまさか家を出て寮生活するとは思って無かったけど、今思えばめちゃくちゃ楽しくて、めちゃくちゃ貴重な時間だった。
まあ多分大阪桐蔭よりはキツくないんだろうけど、1年生の時は負けないぐらいキツかった。
往復35分で完走しなきゃいけない山走りがあったり、
訳の分からない1年生ルールを課され、
先輩に食堂に集められて電気を消されて
やらかしの尋問、
大量の米を朝晩食べさせられ食えないのはポッケに入れてるやつもいた笑
油そばが食べたすぎて寮飯食べずに甲府までチャリで行ってたり、
ボールを持ってかない走り合宿とかもあったなぁ。
1、2年生の頃はほとんどB、Cチームにいて今となってはあんまり記憶が無い
(笹沼こうきくんと同じ試合に出て緊張で同じミスしまくってめちゃくちゃ怒られた記憶は鮮明にある。。)
そんな中でも3年生では昔の夢だった全国出場をスタメンで叶える事が出来た。
1個上が選手権優勝というとんでもない結果も果たした。
だから自分の代の開会式は先頭で国立競技場を入場するという貴重な経験も出来た。
もちろん苦しい事の方が多かったけど、今でもたまに高校に戻りたいと思うし、高校の3年間が1番輝いてたなって思う。
れい
読んでるか分からないけどあの頃お前が居てくれて良かった。ありがとう。
何だかんだ試合にも出れて充実したサッカー人生を送ってた。
大学サッカー
高校3年の夏に農大の練習参加をして、ありがたい事にスポーツ推薦を頂けたので進学を決めた。
入学して間もなく、右膝前十字靭帯損傷の怪我をした。
復帰まで1年かかった。
当時の心境をここに書くととんでもない量になってしまうので、こちらを読んで頂ければと思います。
↓
http://tuafc.cs-park.jp/blog/index/id/27072
今までにこんな長期離脱をした事が無かったからこそサッカーが出来ることへの有り難さやリハビリ、当時同じ怪我をしていた仲間の存在の大きさに改めて気付かされた。
セイタくん、チンタローくん、れんさん
俺もついに引退だよ。
同じ膝仲間としてありがとうございました。
最後ちゃんと関東出れたの見てくれたかな。
彼女を毎回She's My Queenで載せるのやめて?
あともう1人。徳さん。
読んでますか??
親身に寄り添ってくれる徳さんにはいつも助けられました。
産能に行ってからもたまに連絡くれて嬉しかったです。関東出てるところ見せれて良かったです。
ありがとうございました。
そして、無事に復帰を果たした2年生
この年でみんなに言われる「ボケ」が俺を洗脳した。
4年間で1番充実した1年だったかもしれない。
まずこの頃の4年生が大好きだった。
1人1人キャラがあって、後輩に優しくてサッカーになると背中で見せてくれるような。
中学、高校では先輩と仲がいいなんて記憶無いし、部活の先輩は怖いってイメージしか無かったけど、まじでみんな優しかった。
これが農大の一番の良さだと思う。
こんな先輩になりたい。
後輩にもそう思われたい。
サッカーやってて初めての感情だった。
(りっくん、あきやくん
あなた達の意思は後輩へ繋ぎました。
伝統は紡がれます。
あと風呂いつ行くの??)
Iリーグにも安定して出れるようになったし、
後期は出場こそ出来なかったものの関東ベンチには入る事ができた。
シーズン最後は天皇杯予選に出させて貰えて自分の中では満足の終わり方だった。(そういえば響サイドハーフだったな)
暗黒期、大学3年生
この1年で試合したのは強化育成リーグの東京経済戦のみ。
そろそろ関東にも出て活躍したいと思った矢先
新入生のはるとに早速スタメンを奪われた。
しかもチームは順調に勝ち続けてた
めちゃくちゃ悔しかったし、
毎試合負けろ負けろとか思ってた(ごめんなさい)
でもそんな奴が試合に出て活躍なんて出来るわけがなかった
自分のコンディションも上がらず、グロインペインに悩まされ、
復帰してはすぐ痛くなっての繰り返しだった。
当時の俺はサッカーに真剣にベクトルが向いて無かった
でもチームは3部準優勝、2部昇格した。
大丈夫か?俺。
なんでサッカー続けてんだ?
本当に無駄に1年を過ごした
気づけば4年
最後の年ぐらいは関東に出ると決心した。
こっから幹部とか入ってチームまとめて、コンディション上げてずっとトップチームで…
イメージだけ1丁前だった。
面白いことに現実は幹部にもならないし、思った通りにプレー出来ないし、前期はほぼBだし。
農大通り歩きながら愚痴ってたりもした。
でも心のどこかではあいつの方が自主練してるし、上手いし、とかで納得してる自分もいた。
チームの事を考えてる余裕なんか無かった
自分でも分かるぐらい情けない4年生だった
2年前に見てた4年と違くね?
そんな先輩になりたい?
後輩からそう思われたい?
何もかもが違った
3年生のあの時から何も変わられないまま前期が終わった
そんな時、入院していた祖父が亡くなった。
ずっと退院を目指して頑張ってた。
祖父は自分の店を何十年も続けてきた
入院中でさえ店が気になってるって感じだった
ふと思った
俺はたった4年の大学サッカーですら向き合えないのかと
なんなら残り4ヶ月。
今の自分の姿を誰が尊敬したい?
祖父や親に胸張って見せられるか?
自分とチームとサッカーにもう1回真剣に向き合おうと決めた
練習の1時間前には来て準備をして、
練習中は下手ながらも出来ることはして、
自主練もして、
ジムにも通って、
別に今までサボってきた訳じゃない
全部当たり前の事
ただ、今更だったけど目標を立てて周りに誇れるように行動した
不思議とコンディションも上がった
後期開幕前の東海大学との練習試合
チャンスが回ってきた
みんなも多分覚えてると思うけど
俺、調子良かったよねあの日
完全に掴んだと思った
でも偶然では無かったと思う
ちゃんとやってた自負があったから
今の自分ならやれるって自信があったから
(その後の立教との練習試合でちょっと心配になったけど、)
後期開幕戦
関東初出場の初スタメンだった。
半分は4年がいて
上級生中心の試合
嬉しくてたまらなかった
楽しみであんま寝れなかったのも覚えてる
なんか勝てる雰囲気も感じた(俺だけかな笑)
けど、現実はそう簡単じゃない
これでもまだ足りなかった
チーム状況的にも下を向いている暇はなかったしネガティブに考えるのもやめた
関東2部という舞台は自分の想像よりはるか上をいった
だからこそもっとやらなきゃいけなかった
嫌われる覚悟をもってもっとみんなに接しなきゃいけなかった
結果は2勝2分18敗
結局チームに対して何が出来たのか
自信を持って言えるものは無かった
後輩には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった
それでも自分自身が変わって、それが自ずと周りを巻き込んで
それが連鎖していって
チームの誰かの目に止まっていたのなら
それは俺なりの、俺にしか出来ないものだったのかもしれない
後輩たち
後期の俺を見て
応援してくれた?
応援できた?
なんであいつがって思った?
何を感じたにしてもそれなりの要因があったと思う。
大学サッカーは自分を変えられる環境がある
高校とは違ってチームの為にとか誰かの為にとか
みんなで運営するし設営するし各々仕事があるし
ピッチ内外与えられた仕事+αでなにか考える
俺達にはそこが足りなかったかもしれない
あゆむにどうしてれば今シーズン上手くいったか書いてよって言われたから真剣に考えたけど
タラレバ4年にもっと威厳があって、みんな自主練して、スーパーな選手がいてとか多分上げたらキリがないくらい
試合に出るとか勝つとかももちろん大事だと思う
でもそれ以上に得られる何かが1人1人に絶対ある
俺は変われるのが遅かった
後輩たちに2部を残す事すらも貢献出来なかった
周りに慕われ、手本となる存在になれていたのか
みんなはまだ時間がある
チャンスがある
これを読んで少しでも変わるきっかけにしてほしい
社会人リーグの引退試合の日
勝って愛してる農大歌ってる時に戸部が泣いてた
中学ベンチで終わったのも
選手権1回戦で負けたのも
勝てなくて降格したことも
全部思い出して悔しくて涙が出た
そんでこれで終わりなんだなって寂しかった
本気でサッカーと向き合えてたんだなってちょっと救われた気がした
戸部、ありがとう。
最後に
なんのために大学に来てまでサッカーしてるのか
プロになりたいから?就活で使えるから?
サッカーが好きだから?ただのドMだから?
理由は人それぞれあって、正解もない
今の取り組み方が自分の周りからどう思われてるか、どう影響してるのかを考えるのはすごい大事だと思う。
児玉さんはよく"応援出来る、応援される人であり、チームでいなさい"と
人はその相手の過程を見て魅力されてく
勝負の世界だから思う事は絶対ある
それでもめげずに、ひたむきに、地道にやっていけば絶対どこかで誰かが見てて応援してくれてる
それが部内で1人でも多く増えていって全員がそんな選手だったら間違いなく強くなる
部費のために働いてくれてる家族がいて、
チームを勝たせようと考えているスタッフがいて、
選手が練習しやすいように準備してくれるマネージャーがいて、
一緒に戦う仲間がいる
当たり前の環境じゃない
日常に霞んでるこの事をたまに思い出して、残りの大学サッカーおもいっきりぶつかってほしい
長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。
ここからはこの場を借りてメッセージを書きたいと思います。
東寺方少年団・FC多摩・山梨学院高校のスタッフの皆様
ここまでサッカーを続けてこれたのは皆様のご指導があってこそだと思います。ありがとうございました。
りょうごさん
見ているかは分かりませんが、感謝伝えさせて下さい。1番練習がキツくて1番練習が楽しかったです。自分にサイドバックを提案してくれてありがとうございました。
長谷川監督
選手権やリーグ戦自分を信じて使い続けて頂きありがとうございました。期待に添えるプレーを出来ていたかは分かりませんが、大学でも連絡を貰えて嬉しかったです。進路の際も色々とお世話になりました。ありがとうございます。
農友会サッカー部スタッフの皆様
4年間もしかすると家族よりも共に時間を過ごし、サッカーだけでなく人間性の部分でも成長出来た所はあったと思います。
児玉さんが監督になってから4年。
蛭子さんが農大に入ってから4年。
1番近くで自分達が大きく変わった事を見てきたと思います。
最後の1年、自分達なりにもがき苦しみましたが期待に添えるような結果は出せませんでした。
それでも最後まで見捨てず、指導してくださりありがとうございました。
1年生へ
同期の人数が多いのはメリットもありデメリットもあります。まだまだ大学生活始まったばかり、存分に楽しんで下さい。気負う事はないけど自分が何のために大学に来てまでサッカーをしているのか、目的を持って生活する事が1番成長に繋がると思います。応援してます。
2年生へ
頼りない4年生でごめんな。
サッカーに対してひたむきで努力を惜しまない選手が多くて自主練をしようと思うと必ず2年生が多くいて沢山付き合ってもらって助かりました。(特にがくはゴロのミスボールにもヘディングしてた)
来年からは上級生という立場に変わります。俺たちの代に色々と感じた事があったと思う。それを生かすも殺すも自分たち次第。
生かしてくれよ。頑張れ!!
まさ
そろそろドリブル抜けるようになれよ。
極めたらまた相手してやるからさ。
復唱ツッコミはお前にあげるから引き継げよ。
まさも膝を怪我してるからこそ、練習前の準備を怠ってないのを近くで見てたし、サッカーに対して忠実に生活してて尊敬してたよ。
ただこの前も話したけど、少し考えに頭お固い時があるからもう少し柔軟にチームの事を考えれるといいな。とりあえず迷ったら連絡してな。
りゅう
1年間ブラ長の右腕として君臨してくれてありがとう。そして来年に向けて「最上級生」って言葉をノート1冊分書く所から始めようか。お前の行動・言動1つ1つが後輩から見られてるからな。
人として慕われる漢でいろ。
マック!マック!マック!!
ゆうま
ありがてぇ協会次期会長に任命します。
ゆうまに溝くんって呼ばれた時は確定演出でボケとツッコミが発生してたな。お前はこんな4年を最後まで慕ってくれてほんとに感謝してる。
後輩の面倒見がいいゆうまならきっといい4年生になれる。頑張れよ!(ベンクリベンクリベンクリベンクリ…)
あおい
色々バカしたなあ。もう後半はスベってる記憶しかないんだけど平気かな??約2年駐輪場お世話になりました。管理人室は107号室です。
あおいの周りにはいつも人が集まってるからこそ
同期・後輩をいい方向に導いてやってくれ。
それにしても農大のグラウンドちっちゃくなったよな。あ、顔デカイからか!
しましましましましましましましま!
かい
最後の1年怪我でほぼ一緒にサッカー出来なかったけど、何かと色々思い出あるなぁ、笑
残り1年より一層厳しい環境になると思う。
かいも意外と気持ちアップダウンする事あるから
ただ目先の結果を見るんじゃなくて遠くのどうなりたいのかを見て頑張れ。
ほら、遠くにいる可愛い子見つけるの得意じゃん???
けんた
けんたが居なくなったら俺は誰にビンタすればいいの??
下北沢ハイアルチの長は任せた。
けんたが関東出てめちゃくちゃ捌いてる所見たいよ
折れずに頑張れよラスト1年悔いの無いように
あとけいすけの世話も頼んだぞ
あいつご飯行きたいらしいから予定組んでね
あゆむ
来年の農大を頼んだぞ。
プレーでも私生活でも後輩にいい背中見してやってくれ。
同期へ
ありがとう。大好きだ。
両親へ
約16年間何一つ不自由なく、サッカーさせてくれてありがとう。
毎日朝早くから遅くまで仕事をしてる2人の姿を見て頑張る活力をもらっていました。
いつからかもっとサッカーしている所を見せたいと思うようになってました。
最後の試合出れて良かった。見に来てくれてありがとう。
1番追っかけの父
1番ご飯が美味い母
ありがとう。2人の息子で良かったです。
さーて次回の引退ブログは、、、
蔵前のパン屋で検索をすると出る杉山諒。
練習後に彼の姿を見た者はいないという、、
4年間ほぼトップチームで試合に出続けていた彼はいったいどんな思いでプレーしていたのだろうか。
次回、
杉山就活始めるってよ
杉山TikTokが大バズり
杉山AGA通うってよ
の3本です!!
次回もまた見てくださいね〜!!
ジャンケン ポンっ!
うふふふふふふ
〈思い出の写真〉






