まず初めに、新型コロナウイルス感染拡大に対し、ご尽力頂いている医療従事者の方々、また日頃から弊部をご支援して頂いている全ての方々に深く感謝申し上げます。
また、今シーズン東京都大学サッカーリーグを開催するにあたってサポートいただいた全ての方々に、東京農業大学農友会サッカー部を代表して感謝申し上げます。
同期の事が好きすぎて、すぐ泣く男。
和田航希からご紹介にありました。
主将 佐々木陸生です。
和田
4年間いろいろあったな。
真面目すぎて、いい奴すぎて、心配性で、すぐ無理して、1番辛かったくせにいつも仲間を優先して、すぐに自分のことを後に回す。
こんな不器用な奴初めて見たよ。
でもそんなお前がいたから俺らがいる。
ありがとな。
これから辛い事があったら何でも連絡してこい。お前にはお前の事が大好きな俺らがいるから。
泣き虫の和田がそろそろ泣きすぎて、周りの人に迷惑をかけそうなので、そろそろ本題に入ります。
みんなのブログが凄すぎて、そしてラストという事でみんなと内容が丸被りすることもあり何度も何度も書き直しました。
だからこそ4年間の日々を絞り出して書きました。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
あれ?なんだこの違和感??
強烈な違和感。
強烈な恐怖。
そして強烈な劣等感。
超ポジティブで超自信家の私にとってこの気持ちは初めての経験だった。
でもこの経験こそ、私が4年間を通して見出した
「大学サッカーをやる意味」であった。
それは大学3年
新型コロナウイルス拡大による長い部活動自粛期間が明けた初めての練習だった。
練習の最後の紅白戦。佐々木陸生の名前が呼ばれることはなかった。
怪我人、新1年生以外では自分だけだった。
あれ?聞き逃しだよな。
自信家の私はもちろん1番上のチームで佐々木陸生が呼ばれると信じていた。
でも実際、佐々木陸生が呼ばれることはなかった。
俺って3年だよな。あれプロになるんじゃなかったっけ?
一気に怖くなった。
この先どうするの
俺は何をしているの
みんなは俺のことどう見てるのかな
考えた。悩んだ。
そして考えれば考えるほど、悩めば悩むほど
私の心に大きな「違和感」が出てきた。
最初はこの違和感が気持ち悪くて、信じたくなくて
無理してこの違和感を揉み消そうとした。
でも無理だった。
「違和感」
それはサッカーが心の中から離れていく違和感だった。
今までサッカーしかしてこなかった私にとってこの違和感ほど気持ちが悪いものはなかった。
この違和感に気付いてからは絶望の日々だった。
今までと1日のスケジュールは何も変わらないのに
常にこれからの恐怖と劣等感がつきまっとてくる。
みんながいつものように笑ってるけど、自分には笑う余裕すらなかったし
みんなと練習後に行くご飯も食欲がわかず徐々に断っていくようになった。
できるだけ早く家に帰りたい。1人になりたい。
それしか考えられなかった。
これやばいな。
このままだとサッカー部を辞めることが自分でもわかった。
家に帰るとサッカー部を辞めた時のことを何度も何度もイメージした。
このブログを読んでくれているみんなビックリだよな。
あの陸生が?辞めようとしてたなんて嘘だろ?
でもあの時は本当にこんなことを毎日考えていました。
じゃあなんで辞めなかったか?
これもまた
「違和感」だった。
でもこれは自分の心からサッカーが離れていく時に感じた違和感なんて比べ物にならない
「違和感」
それは
ここまで一緒に戦ってきた同期が離れていく違和感だった。
怖かった。
この違和感の意味に気づいた時、怖くて部活を辞める選択は一気に消えた。
そしてこの時
自分の中で大事なものが
サッカーの存在よりも同期の存在なんだと初めて気づいた。
サッカー部を辞めることで、自分の夢が叶わないかも知れないことよりも、同期がいなくなることの方が怖かったし
夢を捨ててでも、守りたいのは同期の存在だった。
決めた。
こんな素晴らしい仲間と出会わせてくれた東京農業大学農友会サッカー部の為にラストの大学サッカーを全て捧げる
そこに自分の背景を持ち込まない。
人生で1番の決意。
ここからはサッカーをやる意味、行動が変わった。
同じ練習に新1年生が多かったからこそ、誰よりもチーム戦術を理解するためにスタッフの話を聞き逃さないようにした。
だって上級生になって自分がどんな立場になっても、後輩の逃げ道にならないようにしようって
1年生の時からずっとヒデが言ってたから。
試合に出るために、少しでも現状を変えるために、何が今求められているのか。何が自分に必要なのかを必死に考えた。
だってこの代のみんなが試合に出ているのを見るのが一番嬉しいって山下が言ってたから。
紅白戦のメンバーに入れなくて、ゴール裏で走ることしかできなかった練習でも、ポジティブに全力で走った。
だって暑くても寒くてもどんなにきつい時でも選手のためにサポートしてくれたのぞみがいたから。
自分の中で初めて、夢以外の目的でサッカーをする経験だった。
でもそれは不思議とサッカー人生で1番充実感あふれるものだった。
サッカーが心から離れていく経験
今まで全てだと思っていたものが薄れていく経験
そして自分の夢以外の目的でサッカーをする経験
この経験をしたから
このチームのキャプテンをさせてもらえた。
この経験をしたから
ユニフォームの本当の重みを知れた。
この経験をしたから
同期とチームそしてサッカーを心から愛せた。
もう1度あの日々に戻れたとしても
必ず、同じように悩んで苦しんで踠きたい。
2021年10月16日最高の舞台で最高の仲間と最高の瞬間を味わうことができるなら。
後輩
俺たちがやっているサッカーって、周りの世界から見たときに実は思ってるより小さいものだったりします。
サッカーが少しできるからって、周りから見たら思ってるよりすごくないし
サッカーが少し上手いからって、周りから見たら思ってるよりかっこよくない。
だからこそ、自分からサッカーが無くなっても本気で誇れる何かを今のうちから見つけてほしい。
その何かがきっとサッカー人生をもっと輝かせてくれるものになると俺は思っています。
サッカーを通して人として大きく成長できる環境がこのチームにはある。
こんな最高のチームはないよ。
残りの期間を最高の仲間と最高に楽しんでください。
マネージャー
なかなか思うような結果が出せずに本当にごめん。
みんなのためにも、もっと勝って一緒に喜びたかったしみんなの笑顔が見たかった。
でもみんなの存在が、選手を強くしてくれたし、チームを強くしてくれたと本当に思います。
農大サッカー部のマネージャーに入ってくれて本当にありがとう。
スタッフの皆さん
点が入った時のガッツポーズ、勝った時の笑顔。
もっと見たかったです。見せたかったです。
関東リーグに連れて行きたかったです。
本当に多くのものを4年間与えてもらった分、関東リーグの舞台を残したかったです。
4年間なかなか思うような結果を出すことができなくて本当に悔しいですが、それ以上の成長を心から実感しています。
4年間最高の環境を作ってくださり、本当にありがとうございました。
東京農業大学農友会サッカー部の一員になれたことを誇りに思います。
両親
試合の日の5時55分になると毎朝応援の連絡をくれる世界1優しい父(おそらく私の背番号が5だから)
誰よりも私の可能性を信じてくれる世界1強い母
大学に通わせてくれて、サッカーをやらせてくれて、全ての愛情をありがとう。
農大に入って本当によかったよ。
4年間ありがとうございました。
最後に同期
いろんなことがあったな。
あげの後はみんなで銭湯いって、よくがんばったなって褒めあって。
学年会では歌って泣いて暴れて。
合宿では全員同じ部屋で一緒に寝て。語って。
なんかあるごとにみんなの顔が浮かんでくるし。
夜寝てても夢に出てくるし。
誰かがやらかしたら自然とみんなで連帯責任を選んでたよな。
楽しいこと、嬉しいことばっかでは無かったけど、みんなと一緒に辛いこと乗り越えて、励まし合って熱く進んでこれた4年間。
最高すぎたよ。
昂、達也、かわし、まこ、想平、克矢、大智、佑、高太、直人、俊、ひで、輝、海斗、望妙、唯人、丸、篤史、たか、むらけん、慶吾、やな、山下、山田、与儀、和田、駿太、黎聖、高島、森田、あましょう、渚、せいら、れいな
この同期の一員になれて本当によかった。
本当にありがとうございました。
以上をもちまして4年生の卒業ブログを終わります。
今シーズン、思うような結果が出せず多くの悔しい思いをしました。
でもその分、チーム全員が強く逞しく成長してきた自信があります。
私たち4年生は本日をもって引退となりますが、来シーズンこそ自慢の後輩たちが関東リーグ昇格をつかんでくれると信じています。
今後ともどうぞ東京農業大学サッカー部のご支援とご声援のほどよろしくお願い致します。