4年引退ブログ
『 それでも前を向く 』
黒田 青汰 ( 北越高校 )
まず初めに東京農業大学農友会サッカー部をご支援してくださっている皆様、誠にありがとうございます。
この場を借りて、御礼申し上げます。
生粋のアントラーズファン
昨日のブログでは、いじめっ子だった本性を晒し
合宿の一発芸では全員から笑いをかっさらう
ですよ。こと甲斐雅堂から紹介預かりました。
Forza'02出身だと言うと驚かれ、嘘だろと疑われる黒田青汰です。
大学4年間を真面目に振り返り、赤裸々に綴りました。
想像以上に長く拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
「苦しかった」
大学サッカーを引退して、振り返ってみると
苦しかった、辛かった。
特にラスト1年が、今までにないくらい
嘘でもうまくいったとは言えない
けど
「後悔はない」
常に自分と向き合って取り組んできた自負があるから。
結果までの、その過程が充実していたから。
正当化しているのかもしれないが、そこに嘘はない。
大学サッカーを振り返れば、それが証明できる。
1年目は社会人リーグ登録のスタート。
やったことがないFWで出場した試合でチャンスを掴み、後期全ての試合をスタメンで出場することができた。
チームが勝つために自分がすべきこと、
つまりはチームに求められていることを意識していたから、チャンスを掴むことができたのだと思う。
それは「FWとしての守備」
ただ相手にプレッシャーをかける守備じゃない。
FWがボールを奪い切る守備。
2度追いどころじゃない、どこまでも追いかける鬼プレス。
死に物狂いで奪いに行く。
Forza'02時代に叩き込まれたことだったから、
泥臭くタフなプレーをすることは容易だった。
次第に結果もついてきて、東京都社会人1部リーグ昇格に貢献することができた。
2022年の新体制から、トップに絡むことができ、毎日がチャンスだと思って必死に食らいつた。
毎練習、毎試合がセレクションのような感覚で、パフォーマンスが悪ければトップには残れない。そんな緊張感の中の競争。
そんな環境の中だったから、熱量高くやれた。
ただ、シーズン開幕直前の紅白戦で左膝の内側を負傷。
3ヶ月で復帰したものの、膝の痛みと緩さが全く治らない状態で2ヶ月くらいプレーした。
病院で再検査をした結果、
左膝前十字靭帯損傷。最低でも8ヶ月。
再断裂のリスクがある、復帰しても思うようにプレーができないという、怖いイメージしかなかった。
でもまだ2年ある。
そう言い聞かせて、気持ちを切り替えらせ、前を向くしかなかった。
ただ、術後は想像以上に辛いことが待っていた。
パンパンに腫れた膝。思うように脚を動かすこともできなければ、痛すぎて寝れず、寝返りもできない。脚は日に日に細くなっていく。
そんな状態でも、同じ時期に同じ怪我をした晋太郎くん、みぞ、3回もこの怪我を経験している大先輩の廉さんがいたから、なんとか乗り越えることができた。
歩くリハビリからのスタートが気づけば走れるようになり、ボールを少しずつ触れる。ボードに自分のマグネットがある。そんな些細な成長が、この上ない幸せだった。
3年になる手前の時期から、ピッチ外の部分を気にするようになった。
「干渉」の時期
同期で悩んでいるやつ、道を外れそうなやつに干渉し、チームを誰よりも応援すること。
自分自身はピッチに立てない分、チームのために、仲間のために行動するしかなかった。
無期限サポートの良介には、今何が足りないのか、どうすれば変わった姿を見てもらえるのかなど自分のことのように考えて
人数がかつかつで全敗中のアイリーグで、1人で抱え込むイップスそうたろうを常に近くで声をかけ続けた。
蛭さんには
「またきたのか、歩くなよ、まだ膝腫れてんじゃん、治んねーよ」
なんて言われ続けたけど
自分の居場所を作るために必死だったのかもしれない
それから3年のシーズンがはじまり、晋太郎くん、みぞは徐々に復帰していき、アイリーグで結果を残している中、自分はなかなか復帰できずにいた。
そんな焦りからか、膝の状態が良いとは言えない日でも練習に参加したこともあった。
あるトップサブの練習にフルで参加した日。
脚はもつれるし、身体が全然動かない。ついていくのがやっとどころか、ついていけてすらなかった。
そんな状態で練習に参加した結果、足ブロをくらい手首骨折
ネガティブな感情しか出てこなかったけど、ここでは仲間のおかげで前を向くことができた。(大輔がうるさいからあまり触れないでおく)
そんなダサい怪我をしている間に、気づけば3年でのシーズンはほぼ終わりに近づいていた。
膝の状態は一向に良くならない、とにかく痛みがひかない。練習も参加しては休むを繰り返し、試合復帰することがなかなかできなかった。
シーズン終盤に滑り込みで試合復帰できたが、20分間の出場をしただけ。
1年3ヶ月かかってしまった。
迎えた最後の1年。
冒頭にもあった通り、この最後の1年がとにかく辛かった。
復帰したけどなかなかコンディションがあがらない、思ったようなプレーができない。そんなことに悩まされた。
その理由は自分が1番わかっていて、
怪我への恐怖心から、びびってプレーしているから。
常に膝を気にしながら、プレーしていたから。
これは何回も練習して、試合に出て慣れていくしかない。だから1日でも練習を休むと、少しずつ積み重ねてきたことがまたゼロからになる気がして、休まないで痛みに耐えながらプレーすることもあった。
逆境にずっともがき続けるのが自分の強みでもあるが
ある時
今週、いや明日、1回休もうかな。
そんな気が緩んだ瞬間に、最大のミスをしてチームに迷惑をかけてしまった。
チームが大事な時期に、良い流れで来ている時に、申し訳なさで一杯だった。
だがこれが、自分を見直すきっかけになった
正直この1年、自分がどうすれば結果を残せるのか、いつ上にあがれるのか。
そんなことを考えてサッカーをしていた。
そういうことじゃない。
残り1ヶ月
自分はチームに何を残せるのか、後輩に何を伝えることができるのか。
チームが勝つために戦う、走る、ヘディング1個負けない
チームが苦しいときにチームを鼓舞する
そんなタフなプレーができることが自分らしさだと
ラスト1ヶ月で自分自身感じることができたし、
最後の引退試合では、4年生全員で積み重ねてきたものを証明できたと思う。
これが自分の大学サッカーである。
4年間苦しくて悔しいことの方が圧倒的に多かった。
けどその度に、諦めずにもがき続けてきた。
「逆境にSMILE」じゃないけど、
調子が悪い時、うまくいかない時、
それでも前を向いて自分と向き合う。もがき続ける。
目標としているものが達成できたとしても、しなかったとしても
結果までの過程が充実していたから
そこに「後悔」はない
この過程が充実することができたのは
苦しくても辛くても
チームのために、仲間のためにと思える環境があったからこそ
このチームに出会えて、この仲間と出会えてよかった。
農大で闘えてよかった。
本当にありがとう。
最後に
農大スタッフの方々
4年間大変お世話になりました。
怪我が多く、沢山のご迷惑をおかけしました。
この4年間でピッチ内外問わず、多くのことを学ばせていただきました。
合宿の温泉でいろんな話をすることがもうできないと思うと寂しいです。
農大が関東1部で優勝する姿を楽しみにしています!
同期へ
大学4年間ありがとう。
みんなと一緒にサッカーをできて幸せだった。
本当にみんなが同期でよかった。
ここには書ききれないほどの思い出ばかり。
また語ろ。
修吾、大輔
1年の頃からきつい時も、横を見れば2人がいたから頑張れた。
本当に支えられた、ありがとう。
2人とはもっと一緒に試合出たかったな。
1年の頃は、一緒にめちゃめちゃ結果残したし。
特に大輔とは悪くないのに負けた試合ばっかだったからね笑
なんちゃくとか聞いたり、飯食ってだべったり、
そんな生活がなくなるって考えると寂しいな。
また温泉で語ろうね
けんご
お前俺のこと絶対書けよってだるいこと言ってくるから書く。
プライベートでも一緒に過ごすことが多かったけんご。
トップサブで一緒にでれた紅白戦は、けんごにアシストつけてあげれたし、勝てたからめちゃくちゃ嬉しかったな。
本当に怪我をしない羨ましい存在ではあったけど、それもけんごの才能だなって思う。
この先もいろんな意味で暴れてくれよ、応援してる。
ひかりへ
4年間マネージャーを続けてくれてありがとう。
辛いことも多かったと思うけど、ひかりだから乗り越えられてと思う、本当にお疲れ様。
手首折ったときはお守り買ってきてくれてありがとね笑
最高のマネージャーでした、ありがとう。
詩音くん、廉くん
自分が苦しかったラスト2年間本当に支えられました、ありがとうございます。
常に気にかけてくれたおかけで、最後まで向き合ってもがき続けることができました。
ただ結果で恩を返せなかったのは本当に申し訳ないです。
(他にも期待してくれていた先輩方にもです。)
とりあえず、飯いきましょ。
マネージャーへ
大変な仕事からサポートまでありがとうございます。
選手が全力で取り組めるのは、マネージャーのサポートのおかげです。
これからも選手を支えてあげてください。
後輩へ
来年関東2部楽しんでください。
最後の4年生を見ればわかるけど、本当に怪我だけは気をつけて。
悩んだ時はいつでも連絡まってます!
みぞ、まさ、(けんと)
一緒に前十字乗り越えてきたな。2人の努力は誰よりも知ってる。だからこそもう怪我はしないでくれ。
活躍期待してる。
両親へ
まずは何不自由なく、ここまでサッカーを続けさせてくれてありがとう。
怪我が多く、沢山心配をかけて本当に申し訳ないです。
でも2人のおかげで、多くの仲間と出会い、最高なサッカー人生になりました。
今までは試合に出てる姿を見せることが恩返しだったけど、これからは社会人として違う形で返していきます。
かなり長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
次回のブログは、
最後は怪我で苦しみながらも、チームの仕事は最後まで勤め上げてくれた
オブラー鈴木良潤の引退ブログです。
同期に4人もGKがいる中の1人。
彼の内に秘めた想いは同期ながらに気になります。
お楽しみに!
〈思い出のショット〉