「不純」初田来音
まず初めに日頃から東京農業大学農友会サッカー部を応援、支援してくださる方々にお礼を申し上げます。
20キロの錘を付けて懸垂をやりすぎて撫で肩になってしまった武井翔暉選手から紹介預かりました。
オシャレすぎるストライカーでやらせてもらってます初田来音です。
翔暉、褒め言葉の度が過ぎてるよ?
自分のサッカー人生について振り返り、文字に起こすのってこの企画が最初で最後な気がする。せっかくだから大学4年間もそうだけど16年間のサッカー人生振り返ってみようかな。
まずはこの企画作ってくれたマネージャーに感謝だね。
ではスタート。
サッカー人生常に冷めてた。
冷めてるってゆーかサッカーに興味がなかったが近い。
父に誘われて始めたサッカーは5歳くらいだっけ。特に何も考えずボールを追っかける日々が始まって、上手くなってるなって感覚を味わい、気づいたら楽しんでた。
チームとは別に3つのスクール通うほどサッカーの日々が完成されたんだけど、楽しいからやるってより日常になってたから行かない日が逆におかしいって感覚。
小学5年生の時、トレセンに入るためにリフティング50回と移動リフティングの試験があった。
リフティングが出来なかった俺は毎日、父の前で泣きながら家でリフティングを練習してた。
トレセンってかっこいいし、自慢出来るって思ってたけどいざ受けるって決めたらリフティングの日々が待ってたし自慢したいとかの感情なんて平気でぶち壊してくる。
あーだる。やめてー。そんな日々。
トレセンに受かりたいと思わない人間が、受かるための手順を踏むというわけのわからない状況。確実にやらされてたし、鬱陶しかった。
今こうやって振り返るからあーだったなーとかこうだったなーって思うけど当時はその場しのぎでいっぱいだったはず。
こんなんだけど練習は続けたし。
練習に休むことも一回もなかったし。
理由はそのときはわからなかった。
中学もそう。
小学校とは打って変わって非常にレベルの高い環境でサッカーに打ち込むことが出来た。確実に試合に出れてた小学校とは違い、出れない日も多く経験した。
家から遠く夜練ということもあり、精神と肉体が限界すぎて限界中学生だった。
中学のときは父の機嫌の悪さが全盛期だったはず。
その時も父の機嫌とりで必死。
もっと努力して欲しかったのだと思う。
もっと貪欲になって欲しかったのだと思う。
もっと成長して欲しかったのだと思う。
父の理想とは遠い現実にいた自分。
けどそんな自分のことを嫌いだとは一切思わなかった。
こんなことを思いながらサッカーを続けていたら、中3の時に大きな出来事があった。
両親が練習への交通費を出さないと言い出した。
自分の態度が望ましいものではなく、両親の怒りがピークに達して起きた出来事。別に辞めてもいいんだぜくらいの気持ちだったけど気付いたらなぜか自転車で通っていた。
実家の世田谷区からグラウンドの町田市まで。
雨の日も猛暑の日でも。
理玖、こん時から俺チャリバケモンだわ。
本当に無の感情で練習に向かってたのは鮮明に覚えている。
案の定、プレーの出来も悪く精神的にもどうしていいかわからなかった。
なぜそこまでして頑張る?
なぜそこまでしてサッカーを続ける?
考えることをしなかった当時は分からなかった。
けどなんとなく思い浮かんだのは仲間の存在。
高校ではサッカーを続けるかすごく悩んだ。
中学の仲間達とサッカーを続けるのは悔しくも叶わず、別のチームで行う以外なかった。辞めるタイミングとしてはベストだと思っていたし今でもそうだったと少し思う。
引き際だと思った。
新しいことに挑戦したいという気持ち。
まだ見ぬ世界を体験したいという気持ち。
サッカーのない日々を過ごしたい。
サッカーがない日々を想像したがあまりピンと来なかった。逆に楽しみだとも感じた。
けれど、サッカーしかしてきていない自分は高校受験を想像することの方がはるかに嫌気がさした。
縁があり、父の知人が高校でコーチをしており「どこも受けないならウチ来なよ」と誘っていただき、入学した。
正直、嬉しかった。
生きていて、自分のことを必要とされることほど嬉しいことはないと思うくらい辛かったのかもしれない。
当時は一年から試合に出させてもらい、沢山経験を積んだ。走りの量はそれとなく多かったし、スタッフも厳しかった。
サッカー以外がとにかく厳しかった。
高校サッカーって挨拶や返事、体育座りまでウザいほど厳しいよね。
なんでリュック下げて挨拶しなきゃいけないの?って
サッカーをやるために入ったよなー俺。
いやいや、今になって本当に感謝しています。
高校3年のとき、監督に大学でも続けたいかと聞かれた。
今回こそは!と辞めるタイミングだと感じていたし、大学サッカーに興味もなかった。
「卓球やります」と答えた。
高校の同期であり親友には死ぬほど笑われたし、監督も呆れていた。
なぜ卓球かは、高校の体育の授業で卓球をよくやっていたのだが、面白くて仕方がなかった。
サッカーしている時間以上に心から笑えていた気がする。
素人だから上手くいかないのは当然だがそれも含めて面白かった。
案の定、監督と両親はそんなこと許してはくれなかった。
高3の時に監督が関東大学リーグの専修対桐蔭横浜の試合観戦に連れて行ってくれた。
多分、大学でサッカーを続けるやる気を出させたかったのか。
レベルが違った。
体格も技術も強度もメンタルも何もかも。
俺にとってそれは逆効果だった。
現実を知るってこーゆーこと。
何個か上の大学生でこれ?プロじゃん。
やる気が芽生えるどころか逆にもっとやる気失いました。
観戦に行ったのが冬ということもあり寒くて、足踏まれたら折れそうだなーとか想像しながらこのレベルは中途半端にやるものじゃないと。
そんなこんなで高3のリーグ戦をこなしていたら、たまたまアドバイザーの米原さんが試合観戦に来てくれており、農大の練習参加してみるかと言ってくれた。
運良く入部することが出来た。
あ、ここからやっと大学編に突入します。ここまで読んでくれた方々、せっかくなら最後まで見てね^_^
大学生?人生の夏休み?最高じゃん。
コロナからスタートした大学生は今までの生活よりはるかに自由を与えられた。自由な時間がある分、自分で歯止めを効かせなければ能無しな人間になるだろうとも感じた。
コロナで思うように仲間とグラウンドでサッカーをすることが出来ず、自宅でzoomトレーニングの日々。
練習再開後も練習時間はたったの1時間半。
その他の時間は遊びやバイト、趣味に使う。
誘惑が多かった。
その誘惑に勝つのは難しかった。
練習に行く意味。
身が入らないままトレーニングを行う意味。
上手くいかないことで逃げたくなる心。
自分は気持ちの変動が激しい。
喜怒哀楽その場の感情で思いが変わる。
まさにその心が自分を動かしていた。
2年の春、両親には言わず、スタッフに「辞めたい」と伝えた。
両親には事後報告しようと。
現監督である児玉さんが寄り添ってくれた。
児玉さんの車の中で。
そして児玉さんは唐揚げ弁当を食べながら。
弁当を食べながら寄り添ってくれたことにも驚きだったがそれ以上に熱い言葉をかけてくれた。
児玉さんがよく言う言葉。
「心中」
「他人に干渉しろ」
学生にかける言葉としては重い言葉だと思う。
だがそれくらい本気で向き合ってくれていると感じた。
本気で向き合ってくれているのに片方がスルーなんておかしい。
自分が裏切ってるように思った。
そのとき初めてこんな自分が情けないと思えたし、カッコ悪い。
学生スポーツの醍醐味。
大学までサッカーを続ける意味。
心中。
他人に干渉する。
このときなんとなく感じた。
自分のために戦うのではない。
仲間と創り上げるものだと。
180°視点を変え全力で走り続けた。
2年時は児玉さんが監督としてアイリーグを戦った。
結果は納得できるものではなかったが、沢山の同期や2年前に卒業した和田君や輝君のため。
なにより仲間と児玉監督のために。
どんな状況でも走り続けた。
みんなで勝ち取った勝利は心の底から嬉しかった。
和田君の引退試合、自分が点を決め、ラスト勝利を飾った。
和田君の涙を見て、色々な感情が湧いた。
辞めたいときも、試合に勝てないときも上手くいかないときも。支えてくれた。
力になれて嬉しかった。
続けて良かった。
自分の中でサッカーへのボルテージは全開だったし来年が楽しみで仕方なかった。
3年時から児玉さんが監督になり、今まで以上にもっと走ろう。戦おう。
と、思った矢先。
児玉さんからの期待か、なにか、
押し潰された。
全く貢献出来ない。全ての動きが否定される感覚。
結局3年時は毎試合10分くらいしか出れなかった。
けど辞めたいとは思わなかった。
それはなぜか?
自分のためにやるサッカーは捨てたから。
仲間の為に戦うサッカーを選んだからだ。
ラストシーズンの4年は最高に楽しかった。
なにより、地獄の果てまで走った自負があるからだろう。
最終節、俺は応援に回ったがピッチで戦う仲間が本当に格好良かった。こんなに素晴らしい同期や後輩と接することが出来た俺は幸せ者だ。
俺のサッカー人生を総括すると心の底から成長したと感じる。
父に誘われるがままに始めたサッカー。
単なる趣味程度だったサッカー。
次第に日常の半分の時間を注いだサッカー。
自分の人生を誇れるように思わせてくれたサッカー。
年齢を重ねるごとに感じるサッカーに対する思いは、サッカーってスポーツじゃなくて仲間と共に戦う競技に夢中になっていたのかなって少し感じる。
幼馴染と大学4年目にして10年ぶりの試合を関東リーグの舞台で出来たこと。その試合に幼馴染が応援に来てくれたこと。
高校の親友で前十字靭帯を2回断裂し、大学でサッカーをすることが出来ないけど毎日のように俺のサッカーを気にかけてくれ、応援に来てくれ、感動したと伝えてくれたこと。
最後、晋太郎がまた前十字靭帯をやった。
担架で運ばれる姿は自分のことのように悔しかった。
人の痛みを知り、自分のように悔しいって思えるのは生きていて初めての感覚だった。
サッカーで出来た仲間ってただのクラスメイトじゃない。
苦楽を共に感じ、心から通じ合える。
そんな大切な宝物。
他のスポーツをやってたらまた違う仲間が出来ていたのかもしれない。
けど俺はこの仲間で幸せだしこの仲間がいい。
そう思わせてくれたのはサッカーが横にいてくれたから。
縁って本当に不思議なもので。
ゼルビアに入れたのもコーチがオススメしてくれて。
東実に入れたのも父が監督と仲が良くて。
農大に入れたのも米原さんがたまたま試合を見てくれて。
行き当たりばったりな人生で。
沢山寄り道もしたけど。
サッカーを経験したことがある人間なら誰もがプロサッカー選手を夢見たと思う。
常に輝いていて見るものに感動を与える。
そんな素晴らしい職業。
けどその夢は年齢を重ねるごとに次第に霞んで見えて。
受験や就活にシフトしていって。
違う生き方を思い描き、今に至る。
この素晴らしいスポーツに出会え、夢中になることができ、本気でプロを目指した時間は、この先絶対感じられない貴重で誇らしい自慢話になると思う。
自分はよく正夢を見る。
最近、思うのは、人生って決まっているのかなって。
なんで夢で見たことがその後に起こるのだろう。
ネットで調べるの怖いから調べてないけど。考えてもわからないからとにかく考えてるけど一生わからない。
終わり方って決まってるのかな。
メッシも大谷翔平も、生まれたときからもう違ったのかなって。上昇気流に上手く乗る方法を知ってたんじゃないかなって。
そんなことを思うとこの仲間と出会い、サッカーを出来たのは必然だったのかもしれないな。
沢山の素晴らしい仲間と会い、仲間のために本気になれた過去は今の俺の人生の土台となる。ヘタレてる時間なんて微塵も無い。
後悔しないように今を強く生きてく。
誰かのために本気になれる人間になれるように。
「守るものがあるって強くなれるから」
そう気付かせくれてありがとう。
スタッフの方々へ
4年間ありがとうございました。
蛭子さんほど脳が筋肉と卵で出来ている方とは会ったことがないですし、徳さんほど補強のメニューを知っている人は初めての出会いでした。
児玉さん。沢山ありがとうございました。
ここまで人として成長出来たのも、充実した日々を送れたのも児玉さんの熱い思いがあったからだと感じています。
また会いましょう。
後輩、マネージャーへ
関わりにくい先輩だったと思う。ごめんね。
みんなには沢山笑顔にさせてもらいました。
俺からは言うことはほとんどないけど何か伝えたいとすれば
同期を大切にして欲しい
ってことかな。
サッカーをする理由って人それぞれ違う。本気でプロを目指す奴、楽しいから存分にサッカーを楽しんでる奴、辞めれないからやってる奴、就活の為に体育会に所属してる奴。
どんな理由、形であれ、農友会サッカー部で出会った仲間。無理して価値観を擦り合わせるってことじゃなくて助け合って欲しい。4年間あればやる気が無くなることだって当たり前にあるし、道外れる奴もいる。
俺にはちゃんと向き合ってくれる同期がいたからここまでやってこれた。チームの輪って1人でも欠けたら崩れるから。
良くも悪くも最後は同期だから。
たまには練習休んでもいいんだよ。ね?ケンゴ。
練習の時間に診察入れてもいいんだよ。ね?セイタ。
何回でも寝坊していいんだよ。ね?リョウスケ。
二日酔いで練習は休んじゃだめだよ。ね?隆利と晋太郎。
あ、それは俺か。
気楽に。
今でしか味わえない学生スポーツ存分に楽しんでください。
のぞみ
高校から大学まで長い時間を過ごしたね。
ピザの食べ過ぎはやめて、まずはダイエットからね。
お前なら出来る。
ついてきてくれてありがとう。
隼也、ダイキ、あおいちゃん
1年間楽しかったね。3人には感謝でいっぱい。
これから沢山良いことも良くないことも経験すると思う。そんな時に俺を思い出してね。3人はこれからの農大に欠かせない存在だから。
いつでも連絡ちょーだい。
同期へ
4年間本当にありがとう。
みんながみんなのこと本気で思い、言葉にして伝えられる。
そんな素敵なチームメイトで幸せです。
また会う日まで!
咲季
4年のマネージャーとして入部してくれてありがとう。
マネが1人で本当に大変だったよね。
咲季の自由奔放わがままな性格があっての4年だし咲季が居てくれたことで同期に華があったと思う。
サッカー部を選んでくれてありがとう。
廉
このチームを創り上げたのは廉です。
4年間沢山人生観話したな。同い年でここまで他人に干渉できる人と会ったのは廉が初めてだよ。話していて自分まで頭が良くなった気になれる。
そこらへんの教授と話すなら廉と話しましょう皆さん。
俺の人生にケジメをつけてくれてありがとう。
晋太郎、隆利
君たちには感謝してもしきれない。4年間、部活でも私生活でも1番一緒にいてくれた。
沢山飲みに行った。沢山サウナ連れてってくれた。沢山話を聞いてくれた。バイトも一緒。
晋太郎の心配性すぎて毎回LINEしてくる可愛い感じ。
お酒入ったら笑顔でベタベタくっついてくるキモい感じ。
隆利のせっかちでめっちゃO型な感じ。(自称B型らしい)
酒ヤクザで平気で人殴る感じ。
2人といると自然と笑顔になれた。
これからも俺をよろしく。
両親へ
ここで伝えることはほとんど無いです!
手紙に全て書きました!
沢山ありがとう。
読んでくれてありがとうございました。
次回のブログは、東京農業大学世田谷キャンパス一のわがままガール。試合に来るたびに選手達の目をハートにしてしまう。
藤田咲季さんです。
お楽しみに!
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