平素よりお世話になっております。
ウィリアン選手からご紹介を預かりました。
自宅から18キロ以内の場所なら自転車一択の山田陸です。(気分次第では20キロ以内)
ドクターバックの件はこれからも陸生が拡散し続けると思います。もちろん嘘なので信じないでください。
自分はよく「お前感情ある?」「冷めた人間」と言われます。
(いや、感情あるわ。全員のブログに感動してるわ。全く泣きそうにはならないけど。)
そんなやつが引退ブログを書きます。
冷めた文章にならないように書きます。
でも本音で書きます。
大したことは書けないのでサラッと読んで頂けると嬉しいです。
それではスタート。
18年間常に生活の中心であったサッカーがあと4日で引退を迎える。
幼い頃から大学まで毎日サッカー漬けの生活があと少しでなくなる実感はあるようでない。
心境としては、
もう4時過ぎに起きて朝練行かなくていいのか。
上げ日やらなくていいのか。
身体に気を遣わない生活ができる。
一日中バイトをしてお金を稼げる。
毎日遊べる。
旅行に行ける。
(止まらなくなりそうなのでこの辺でやめときます。)
これまでなかなか出来なかったことができる楽しみな気持ちも当然ある。
ただそれ以上に
一つの目標に全員で真剣に取り組むこと
苦しい事を乗り越え勝利し全員で喜び合うこと
サッカーに対して仲間と話し合うことなど
自分が18年間本気でサッカーを続けてこれた原動力で一番好きな瞬間がなくなると思うと寂しい気持ちの方が強いのが本音です。
引退して日を追うごとに実感が湧き、寂しくなるんだろうな。
最後はお世話になったサッカーに失礼がないように。
そして最高なサッカー人生だったと思えるように楽しみたいと思います。
〜置かれた場所で咲きなさい〜
この題名にした理由は
サッカーを続けていると試合に出れない時期
カテゴリーを落とされる
監督やスタッフに評価してもらえないなど様々な壁にぶつかる瞬間がある。
そのときに考えさせられ、意識を変えさせてくれた言葉で自分にとって印象に残っている言葉だったのでこの題名にしました。
(そんな言葉でも誰が言っていたのか、どこで知ったのかは覚えていません。すいません。)
大学サッカーを振り返ると今までのサッカー人生で一番苦しく、悩み、考えさせられ、サッカーと距離を置きたいなと思うこともありました。
特に3年の後半から4年のラストシーズンは本当に苦しかった。
1,2年の頃はトップチームの公式戦に出ることはできなかったが、ほとんどの時間をトップチームとして過ごさせてもらった。3年になると少しであるが公式戦に使ってもらえることもあった。
でも、3年の後半頃からセカンドチームになり、気づくと練習試合にも使ってもらえない5人の中に入る程まで落ちた。
どん底まで落ちた。
サッカーを続けてきて初めてどん底を味わった。
同期にも「お前なんかしたの?」「どうした?」と言われる日が多くなり、その度に「いや、知らない」と笑って誤魔化してしたが自分ではわかっていた。
チームとして何一つ結果が出ていないことへのイライラ
チーム状況の悪化で勝ちを信じて戦えなくなったこと
それでもピッチではそれを隠してプレーしているつもりだった。
でも、そんなネガティブな思考を持ち続けていてプレーや顔つきに表れないわけない。
カテゴリーが落ちてもなんでこの立ち位置でサッカーしなきゃいけないんだ。
心の底から現実を受け入れられなかった。
こういうときこそ頑張らなければいけないことはわかっていたが、頭の切り替えも気持ち的な部分も整理ができなかった。
楽しくて続けてきたサッカーが気づけばストレスと感じるようになった。
そんな姿を上級生である自分が見してしまった。
このままでは最後までどん底のまま競技生活が終わる。
焦りと怒りが混じり合いながら過ごした。
でも、そんな中
リーグ戦で勝てず苦しい時期でも常にポジティブな声をかけ行動する同期
公式戦に全く絡めず苦しいはずなのに後輩に背中で見せ続ける同期
どんな立ち位置であれとんでもない熱量で練習する同期
チームが勝つために心を鬼にして厳しい言葉をかけ続ける同期
後輩に細かく戦術を伝える同期
試合前には毎回「頼むぞ!」とLINEをくれる同期
そんな同期の姿を見ていればすぐに切り替えられた。
「置かれた場所で咲けばいい」と。
カテゴリーや立ち位置なんてどうでもいい。
自分が置かれた場所でチームを助け、勝たせる選手になればいい。
自分にはチームを鼓舞し震え立たせるような声掛けはできない。
だからプレーやサッカーに対する姿勢で示すしかない。
プレー中絶対に弱い姿をみせないこと
どんなときでもポジティブに仲間を信じ続けること
上級生としてすべての責任を背負う覚悟で戦うことを
意識してサッカー人生のラストシーズンに向き合った。
他の選手からしたらそんなこと当たり前だろって思うかも知れないけど自分には足りていなかった。
自然とプレーも良くなり、プレーの波もなくなった。
ラストシーズンは社会人リーグ、アイリーグ、都リーグとすべての試合を経験させてもらい、それぞれ違ったプレッシャーがある中でも自信を持ってプレーできた。
考え方一つや覚悟でこんなに変わるのかと実感した。
振り返ると、自分が目指していた大学サッカー像とは違ったかもしれない。
それでもどん底からのスタートだった自分が昇格戦がかかったリーグ最終節フィールドプレーヤーが全員同期のピッチに立つことができた。(何もしてないけど笑)
今年、最初で最後の有観客試合で一緒に戦ってきた仲間、一番近くで応援し続けてくれた母親の前でプレーできただけでもこれまでの取り組みが少し報われたような気がした。
自分のサッカー人生はもう少しで終わりますが、やり残したことや後悔は一切ない。
楽しいことだけじゃなくて苦しいこと、悩んだこと、楽な方に逃げそうになったことの連続のサッカー人生だったかもしれない。
でも、その度に考えて
うまくなるために
チームに貢献するために
信頼されるためにと、
弱音や愚痴をこぼしたこともあるが最終的には踏ん張ったし、逃げなかったと胸を張って言い切れる。
それが唯一誇れるものかな。
サッカーを通じて様々なことを学び、経験したことは自分にとって自信になっているし、社会に出ても必ず活きると信じている。
そして、18年間のサッカー人生でお世話になった監督、コーチ、スタッフ、仲間、マネージャー、親御さん、お医者さんなど
サッカーを通じて出会えたすべての方に感謝を申し上げます。
サッカー選手としても人間的に成長できたのもこれまでお世話になった皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
恵まれた環境でサッカーができて幸せでした。
最後に両親へ
一度も実家を出ることなく甘えてしまったこと
自分の好きなサッカーを当たり前のようにさせてくれたこと
怪我の多い自分を支え続けてくれたこと
どんなに遠かろうと週末の試合には必ず観にきてくれたこと
悩みや愚痴を聞いてくれたこと
毎日栄養バランスを考えた食事を作ってくれたこと
挙げればキリがありませんが支えてくれてありがとう。
2人のおかげで幸せな学生生活を送ることができました。
これからは立派な社会人の姿を見せれるように頑張ります。
そして、一生かけて自分なりに恩返しします。
以上で終わります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
引退ブログも残すところ主将、副将の4名になります。
明日の担当は
俊足を活かしたカバーリングのスペシャリストの「ポーポー瀬戸山」こと副将瀬戸山俊選手がブログを書いてくれます。
彼もラストシーズンは特に苦しんだ同期の一人でありながら弱い姿を一度も見せることなくチームを引っ張り続けた漢の中の漢。
きっと熱い想いを綴ってくれるでしょう。
お楽しみに。