4年引退ブログ
『 満身創痍 』
山田 怜於(藤枝東高校)
はじめに東京農業大学農友会サッカー部をご支援していただき誠にありがとうございます。
この場をお借りして、心より御礼申し上げます。
農大サッカー部No.1の筋力を持ち、彼の燃料はプロテイン、悪魔の左足の持ち主で練習前後の挨拶がなかなか締まらないと話題な爲岡進悟から紹介をいただきました山田怜於です。
引退
とうとうこの時がやってきた。
長々書くつもりもないが、この場を借りて振り返らせてもらう。
「満身創痍」
大学4年間を一言で表現するならこれが1番しっくりくるだろう。
大学1年の4月、開幕前のリーグ戦メンバー発表で練習参加もしてない自分を学年で唯一選出してもらった。
チャンスを貰ったからには1年目だろうが結果を残してやろうと思ってた矢先に「前十字靭帯の再手術が必要」と医師から告げられた。
元々、高校2年の1月に相手と接触して左膝前十字靭帯断裂と外側半月板損傷をしてしまった。
当時のことは今でも覚えている。
左膝が燃えてるような痛みと寒気がした。
しかし、2回目は接触もしてないし左膝の状態は万全だと思ってた。
手術すると復帰に時間がかかるからしたくはなかったが、これから先のことを考え手術することを決断した。
4月から大学サッカーがスタートしたが、当然みんなと同じようなメニューをこなすことはできなかった。
早くみんなとサッカーがしたい。
試合に出たい。
当時、Iリーグや練習試合で活躍している同期の姿を見ると羨ましかった。
自分は試合に出れる状態ではないから、練習でもアピールできないし見ていることしかできなかった。
とりあえず、1、2年目は怪我を治してコンディションを戻すことを目標としていた。
2021年8月5日に左膝前十字靭帯再々建術をした。
手術した次の日からリハビリが始まった。
術後のリハビリは、膝の下にボールを挟んで潰すセッティングと膝の曲げ伸ばしの繰り返しだった。
思うように力が入らない。
やることが限られるしシンプルでつまらない。
でも復帰するにはやるしかない。
そんな中迎えた2021年8月12日。
退院前のMRIとレントゲン。
やっと次の日退院できる。
午前中に検査を行い、お昼を病室で食べていた時だった。
先生がやってきて話があると言われた。
「靭帯を留めていたボタンが数ミリずれてこのまま復帰してもまた切れてしまう可能性があるからもう一度手術をした方がいい。」
なんだったんだこの2週間は、、、。
不安が残る状態での復帰は嫌だったから次の日にもう一度手術をすることを決めた。
結局、8月はほとんど入院していた。
入院中は時間があったので、前十字のリハビリ動画や記事を色々見ていた。
そこで見つけたのは、新丸子にある「NAIZ」という治療院だ。
ちょうど手術した病院の近くにありJリーガーや数々のトップアスリートの治療経験があるところだ。
気になったのですぐに連絡して退院日にそのまま治療してもらうことにした。
退院後は、病院でのリハビリの後にNAIZで治療してもらう日々が続いた。
関東1部や2部の選手達も通っていたので大学サッカーの話やプロ選手の話などいろいろ聞かせてもらった。
現役中は、膝以外でも痛みが出たら治療していただいた。
また、同期の奥田の紹介で学校の近くにある「小栗整骨院」にもお世話になった。
そこは、サッカー部の一人暮らし組が多く治療に行っていて選手が毎練習や試合でベストなパフォーマンスを発揮する為にサポートしていただいてる。
お二方とも4年間ケアやサポート本当にありがとうございました。
病院でのリハビリでは、当時同じ怪我をしていた現在川崎フロンターレに所属している丸山祐一選手や元日本代表の金崎夢生選手がいた。
目の前でリハビリしている姿を見ると怪我をしててサッカーが出来なくてもモチベーションは上がった。
農大OBで現在長野パルセイロに所属している安藤一哉選手もいた。
やはりトップアスリート達のリハビリ強度は高かった。
リハビリメニューは参考になるけど、強度に関しては同じ術後の状態だが参考になるわけがない笑
直接話させてもらう機会もあったし怪我をしている時のモチベーションの維持など、貴重な話をたくさん聞くことができた。
スタートダッシュに遅れ大学で本格的にサッカーをスタートしたのは、2年生の夏頃だった。
大学2年では、コンディションを戻す為に練習試合をメインに出場させてもらった。
慎重に起用してくれたスタッフの方々には感謝しかない。
本当にありがとうございます。
しかし、その年の10月頃の定期検診で「前十字靭帯が部分的に切れている。」と言われた。
?
正直、言われたときはよく分からなかった。
リハビリをしてて痛みはあったが、多少の痛みはつきものだと思っていた。
別に焦ったりリハビリを疎かにしたとかはない。
2回目と同じで気づかない形での損傷だった。
手術の可能性もあると言われたが、コンディションが上がってきてたしもう一度手術をしたら大学サッカーが終わってしまう。
だから手術する気は全くなかった。
大学2年の1月頃の定期検診では、もう左膝の前十字靭帯は機能してないと言われていた。
また同じ怪我をしたと言ったら心配かけてしまうから当時は同期にもスタッフにも言えなかった。
もう左膝の靭帯がない状態でやり切るしかない。
言い訳はしたくないから、筋トレ、食事、ケア、やれる事は全部やろう。
そう決めて残りの時期は過ごした。
オフシーズンは、竜成と自主的にハイアルチに通ったりしてコンディションを戻すのに必死だった。
大学3年に入り、関東リーグ開幕戦からベンチに入れるまでのコンディションに戻せた。
2023年4月8日関東リーグ第2節明治学院大学戦。
竜成と交代して途中出場でピッチに立った。
大学入ってはじめての公式戦出場。
このために長い時間リハビリをしてきた。
長いようで短かった。
左膝はテーピングでガチガチ。
動きづらさはあるが、これがないと自分はサッカーができない。
リハビリを地道にやってきてよかったと思えた時間だった。
途中出場させてもらう機会も増え、夏のアミノバイタルでは大学入って初の公式戦スタメンデビューだった。
高校サッカーと大学サッカーの差を痛感した。
プレースピードやインテンシティの高さ。
上のレベルになればなるほど、1本のパスやシュートの精度が上がってくる。
膝の痛みに耐えながら練習や試合をすることが多かったけど、やっぱりサッカーが楽しかった。
2023シーズンは、関東3部7位で残留できた。
大学4年になり最高学年としてチームを支えていく立場になった。
チームとして掲げてた目標として
①関東2部に昇格すること
があり、
また個人的に
②怪我で長期離脱せずシーズン通してプレーすること
の2つがあった。
最終的に関東3部リーグ2位で①の目標は達成できた。
しかし②は、今まで庇ってた左膝のガタが大学4年になってきてしまった。
大学4年の5月に左膝の内側を痛めて3ヶ月程離脱した。
痛みが夏まで続いた。
夏オフの時も痛みがあったので思い切って2週間全く体を動かさずケアに専念した。
その結果、夏合宿で痛みもなくプレーができコンディションも上がってきてリーグ戦再開に向けて全てが順調だった。
しかし、合宿から帰ってきて最初の練習で今度は右膝の腸脛靭帯を痛めてしまった。
もう離脱したくないからギリギリまで耐えながらプレーしてたが、庇いすぎて他の箇所にもガタがきた。
大学4年は、思い描いてたシーズンではなかった。
大学入ってから1日も膝の痛みを感じずにプレーしたことはなかった。
1日でもいいから痛みを考えずにプレーをしてみかった。
今シーズンは、同期の蒼太郎や新が膝の怪我で思うようにプレーできてない所を隣で見てきた。
弓氣(削)田もなんか膝を怪我してたのかしてないのか分からんけど。
大輔は、特に今年は怪我で悩まされてた。
青汰や丈士は、自分と同じ前十字靭帯損傷を経験している。
同期が頑張ってる姿を見て勇気を貰ったし負けてられないと思った。
どんなに長い期間怪我をしてサッカーが出来なくても、サッカーが好きな気持ちと、これで引退してたまるかという反骨心で最後までやり切ることが出来た。
慶人、菅又、1回前十字切れたぐらいで諦めるなよ。
蓮くんや俺みたいに2回以上やっててもサッカーできるんだから。
俺なんか2年以上前十字なくてやってたんだぞ。
困ったときはいつでも連絡してこい。
他にも試合に出れなかったりプレーがうまくいかなくて悩んでる後輩たち。
まず怪我なくサッカーができてる時点でうまくいってるよ。
俺みたいに怪我で悩んでる選手もいる。
それに比べたらマシだろう。
うまくいかない時こそ一回冷静になれ。
ピッチ外の部分はちゃんとできてるか?
チームの為に考えて行動できてるか?
準備や設営を誰かに任してばっかじゃないか?
やるべきことをやっていれば必ずチャンスはまわってくる。
あとはそのチャンスをモノにしろ。
俺は、大怪我をしても諦めずにリハビリしてきたことや試合の準備や設営などチームの為に行動し続けた結果、もう一度復帰できたし関東リーグにも出場できた。
来年は関東2部で相手のレベルも上がり今年よりシビアな戦いが多くなってくる。
試合に出ている選手だけでは勝ち抜くことはできない。
全員の力が必要。
農大が勝つ為に常にチームのことを考えながら行動すれば、チームとしても個人としてもレベルアップに繋がると思う。
後輩たちの関東2部での活躍を期待しています。
2024年11月24日、vs帝京大学戦。
4年生メインの試合。
膝はもうボロボロだし、試合は勘弁してくれと思ってた。
途中出場で見事3-2で逆転勝ち。
こんな勝ち方俺らしか出来ないよな。
新ナイス逆転ゴール。辛い時期を乗り越えて頑張ってきてよかったな。
後輩達も最高の応援、本当にありがとう。
交代時の「栄光の架橋」、感動しました。
素晴らしい仲間たちに巡り会えてよかった。
環境にも恵まれた。
最後に
今までどんな時も自分を1番にサポートしてきてくれた両親をはじめ、サッカーを教えていただいた指導者の方々、手術や治療に携わっていただいたドクターの方々、本当にありがとうございます。何処かで直接ご挨拶したいと思います。
最高なサッカー人生でした。
そして自分をサッカーの道に誘ってくれた友人には本当に感謝している。
もし誘われていなかったら、ここまで本気にサッカーをしてなかったと思うし、こんなに素晴らしい人生を送れていなかった。
誘ってくれてありがとう。
これからもよろしく。
次回は、朝練前日はいつも自分の家に泊まりに来てたレフティー弓氣(削)田葵。
彼の左足から繰り広げられるプレーは、見ている観客たちをいつも魅了していた。
そんな彼は、シーズン終盤からサッカーだけでなくプライベートも充実していたらしい????
彼の内に秘めた想いは中々聞けないと思うので是非お楽しみに〜!
〈思い出のショット〉