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2025

4年生引退ブログ〜新井希〜

4年引退ブログvol.1

『サッカーに教えられた、勝ち方じゃなく生き方』

新井 希(東京実業高校)





はじめに、日頃より東京農業大学農友会サッカー部を応援、ご支援していただいてる皆様、ありがとうございます。




電車に荷物を置いて本気でダッシュすれば、遅刻を回避することができることを証明した、新井希です。


農大通りは荷物さえなければ4分で行けるからねみんな。




1番目ってプレッシャーやばいんだけど。

「誰か変わってよ」ってずっとみんなに言ってたけどこの発言が自分の性格を表していると思う。


紹介されないの悲しいから、誰か紹介してくれたって良いんだよ。けんと。



ついに自分にもこの時が来ちゃったか〜。



2年の時は、来音くんと廉さんのブログを読んで1人で大号泣。


3年の時には、新君が歩く人間性かー、なんて思ったりしてたら今もうその時。



文章を書くのが本当に苦手だけど、そんな自分も含めて、包み隠さずありのままの感情と13年間のサッカー人生を書いていくので、最後まで読んでくれると嬉しいです。






〜サッカーが教えてくれた、勝ち方じゃなく生き方〜




サッカーを始めたのは小学3年生。


「兄の友達が入ってるから」という単純な理由で地元のチームに入った。


この時からサッカーが大好きで、親と買い物に行く時もドリブルしながらついて行くくらい、サッカーにどハマりしていた。





人生で初めての試合では、ボールが全然取れないのに腹立って、相手の足を思いっきり蹴っ飛ばして負傷退場させてた。


多分この時が1番荒かった。


みんなの話を聞く感じ、とてつもない経歴を持つ「バケモン小学生」ばっかだけど、自分は全然そんなことない。


都大会なんて出たことないようなチームで負けるのが当たり前。


ふうたの交通事故って言われてたゴールとかでたまたま勝ててたみたいな感じのチームだった。






中学では、1番行きたいと思ってたチームのセレクションで落ちて、もう一つ受けていたチームに入ることになった。



これが自分にとって一番最初の挫折だったのかもしれない。



でも今思えば、その経験があったからこそ「ESFORCO」に出会えたし、サッカーに対する向き合い方も変わっていった。


今は心の底から、ESFORCOでよかったって思ってます川合コーチ。






高校は、選手権の東京都予選で関東第一をちんちんにしている試合を見て、


「なんだこの面白いサッカーをするチーム」


と衝撃を受けて入学を決めた。



入学後ありがたいことに1年生の頃から試合に出させてもらった。



その中で「この人天才じゃん」と思ったのが来音くん。



ドリブル100回に1回くらいしか取られないし、意味わからないシュート決めるし本当に一人でチームを勝たせてた。


一緒にプレーできたのは一年だったけど、「農大に行く」と聞いて、自分も行きたいなって思った。




高3の選手権は堀越に負けて東京都ベスト8。全国どころか西が丘にもいけずに引退。


それでも高校でサッカーを辞めようとは1ミリも思わなかった。


プロになりたいと本気で思っていたから、大学でもサッカーを続けると決めていた。





ここまではただサッカーが大好きで、何も考えずサッカーだけやりたい「サッカー少年」だった。





でも大学はそんな甘っちょろい場所ではなかった。


サッカーのレベルはもちろん、サッカー以外のところでも。


だが、それが結果として自分を成長させてくれた。

 

 



憧れの先輩、初田来音の後を追って入学した東京農業大学。


4年間決して楽なわけではなかった。


なんなら苦しかった。


正直言って何もうまくいってない。



最後の1年は思い描いてた物とは真逆もいいところ。



先輩たちが築き上げてきた関東2部という舞台を後輩たちに残すことができなかった。


すごく情けないし、本当に申し訳ない。


綺麗事を言えば悔いはないと言いたいが、正直全くないとは言い切れない。





そのことも含めこの大学4年間を振り返ってみる。





入部当初はセカンドチームでスタート。


同じ1年で最初からトップに上がっていく仲間がいて、


「負けたくない」


って気持ちだけで必死にプレーしていたら、意外とすぐにトップに上がることができた。




社会人リーグスタートだったが、途中からIリーグに登録された。


今でも忘れない東洋大学との試合。

Iリーグだが大学のトップレベルと初めての試合だった。



衝撃を受けた。


上手すぎる。



ただでさえ、高校から大学に入ってレベルの違いを感じていたのに、そこからまた更にレベルの違いを感じさせられた。


でもなぜかワクワクしていたのも覚えている。





その後、アミノバイタルカップが控えていた。


トップで練習できていたとこもあり本気でメンバーに入りたくて必死に練習していた。




そんな時だ、都リーグ後の練習で足首を骨折してしまった。


最初はいつも通りの捻挫だと思って、普通に立ちあがろうとしたが、立ち上がれなかった。




隣にいた目黒に「ぱきって言ってたよ」って笑いながら言われたのを今でも覚えている。


目黒ってずっと目黒だわ笑。



その日の夜だったか、あいさくから「アミノ登録されてたのに」と聞かされて、死ぬほど悔しかった。



そこからだろうか、何をやってもうまくいかないと感じるようになったのは。




2年になり、この年もセカンドチームでスタート。


Iリーグに登録され、最初の方はスタメンで出場していた。



出てた人はみんな覚えているであろう東京国際戦。


晃太朗がいつもいじってくる「お前の全盛期」っていう試合。


ほんとにあの日が俺の全盛期だったのかも、あんなフリーキックもう決めれないもん。




でも、そっから徐々にIリーグにも出れなくなっていった。



ベンチには入るけど途中からも使ってもらえない。



何をやってもうまくいかない時期だった。





そんな時に声をかけてくれたのが廉さんだった。





「希は上手いから出れるようになるよ」と言われた言葉が本当に嬉しくて、初めて人のために頑張ろうって思えた。


杉山はこのことでずーっといじってくるけど。


この時から廉さんに色々と相談して、練習後は自主練付き合ってもらったり、グルテンフリーについて教えてもらったり、温泉にも連れてってもらった。



時間があるときは高校の練習にも参加させてもらったり、とにかく自分なりに色々ともがき続けた1年だった。






3年目。



この年はオフ期間中に廉さんとみっちり自主練をやっていたこともあり、トップからスタートすることができた。




でも1ヶ月後くらいにはあっけなくセカンドチームにいた。


そこからは本当に地獄のような日々だった。




セカンドチームでも試合に出れず、80人近くいる部員の中で4人くらいの試合に出れないメンバーになっていた。




「辞めようかな」と本気で考えたのもこの頃だった。





いつものようにセカンドの練習試合のサブにいた。



その試合で、けんとが前十字靭帯をやった。



その代わりに自分が出ることになった。





試合後、なぜか1人で泣いていた。





セカンドで一緒に頑張って、試合に出れない時も一緒に経験してた仲間だったからか、自分のことのように苦しかった。




そして何よりも、怪我をしてない自分が試合に出れないからって「辞めたい」と思っていたことに腹が立った。




それからは、けんとはサッカーがやりたくても出来ないから、「その分もやれよ」って自分に言い聞かせて練習をしていた。



けんとが復帰してまたサッカーしてる姿を見た時は、自分のことのように嬉しかったよ。


最後の試合も一緒に出れたし。


(バックパスしかしてなかったけどな、お前。)






そして勝負の4年目。






結論から言うと、関東リーグには一試合も出ることができずに終わった。




主戦場となった社会人リーグも「昇格」という目標を掲げたのに、昇格できずに終わった。




情けなかった。





プロになるという目標を持って入部した大学サッカーでプロになるどころか試合にも出れず、挙げ句の果てに社会人リーグを昇格させることもできない。





関東リーグは「降格」




当たり前だが自分が出ているくらいに本当に悔しかった。



出てないからこそもっと悔しかったのかな。







だが、ラストシーズンは自分が1番成長できたと感じている。



それはサッカーが上手くなったとかではなく人として。



今まで自分が好きでやっていたサッカーが完全に仲間のためにやるサッカーになったからだと思う。






スタートは最悪だった。




今でも覚えている。


2月29日の明治学院との練習試合。





なぜかわからないけど、サッカーをするのが怖くなっていた。




今までに無い感覚だった。本気でボールを渡さないでくれとも思っていた。





ミスを恐れてた。


でもそう考えれば考えるほどミスをしてしまう。


ミスをした時のベンチの反応が気になってしまう。




この年の始まりが大学4年間で1番悪かった。






そしてもう一つ、大きな過ちを犯してしまった。





4年にもなって遅刻したのだ。



サッカーだけでなく、それ以外の部分でもチームに迷惑をかけてしまった。




自分がやってしまったことだったが、この時、自分のことが「大嫌い」になっていた。







そんな最悪なスタートだった4年目だったが、自分を変えた言葉があった。





それは児玉さんに言われた、「やってから言うんじゃなくて、言ってからやれ」って言葉。






すごく自分に刺さった。





サッカーは実力社会だから、下手くそな奴に何言われても、何言ってんだで終わってしまう。



「周りに要求しろ」「サッカー中は厳しいことを言え」そんなような言葉はずっと言われてきた。



だけど、自分より上手い選手が山ほどいる中で、「そんな偉そうなこと言えねーよ」って思ってた。






けど違った。






厳しいことを言うからには自分もやらなければいけないという「責任」が生まれる。




それでも厳しいことを言わないのは優しさではなくただの責任逃れ。




自分は「責任」から逃げてきていたのだ。






それに気づいてからは、余計なことは考えず、厳しいことを言うようにした。



たくさん要求もした。



それがチームのため、仲間のためになると信じて。





その分、自分も必死に練習した。



別に上手くはないけど、戦うことはできる。球際で頭を出す、切り替えを全力でやる、声を出し続ける。



そんな「当たり前」を徹底的にやった。






「誰が言ってんだ」と思った後輩もいたかもしれないけど、それでもやり続けた。




そしたら次第と変わっていった。





最初は意識してやっていたことが、自分の中で当たり前になり、無意識にできるようになっていた。




自信がついた。






そこから次第に自分のプレーも良くなっていった。





チームのため、仲間のために始めたことが最終的には自分を変えたのだ。






そして最後の1ヶ月。






蛭子さんに言われた。

「希、4年が試合に出て勝たせるんだぞ。社会人じゃなくて関東リーグだぞ。」





それを聞いた時、言葉にできない気持ちになった。





社会人リーグに出ながらも、やはり関東リーグに出て勝たせたいと思ってたし、そのための向上心を失うことはなかった。






だけど目の前で負け続けている仲間たちがいて、それでもピッチの外からしか力になれないことが苦しかった。




何もできないまま時間が過ぎていくような感覚。




試合に出れなくてもやれることはあったし、チームが勝つために出来ることはやってきた自負はある。






しかし、結果として「4年が試合に出て勝たせる」それを果たすことができなかったのが、本当に悔しかった。



これが最初に言った、後悔はないとは言い切れないの答えだ。




最終的に苦しく悔しい1年になってしまった。






4年間通して上手くいったことは一度もない。



それでも、自分は心の底から「農大に入ってよかった」と思っている。






自分には勿体無いくらいに素晴らしい同期がいて。



頼りになりすぎる先輩がいて。



上手くて熱い気持ちを持ち、本気でぶつかり合ってくれる後輩がいたからだ。






本当に周りの人に助けられた4年間だった。



1人じゃ絶対にここまで成長できなかった。



みんなのおかげで今の自分がいる。





誰かのために本気になれる自分を見つけられた。




これが大学4年間、全ての答えだ。





このチームこのメンバーで共に戦えたことは、人生最大の財産です。




ありがとうみんな。




ありがとうサッカー。





長く、拙い文章になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。





最後に


砂町SC、FC ESFORCO、東京実業のスタッフの方々


大変お世話になりました。大学までサッカーをやり切ることができました。またどこかでお会いした時は宜しくお願い致します。




農大スタッフの方々


4年間大変お世話になりました。

この4年間、自分たちと本気で向き合っていただいたお陰で、様々なことを学ぶことができました。

本当にありがとうございました。




児玉さん


4年間大変お世話になりました。

児玉さんにはサッカーだけでなく、人として成長させてもらえました。

児玉さんが言っていた言葉の多くが自分の足りてない所で、全て見透かされているようでした。

でも、その言葉のおかげで自分の弱さに気づき、成長できました。

本当にありがとうございました。



蛭子さん


4年間本当にありがとうございました。

情けない自分でしたが、それでも見捨てることなく、あたたかく厳しい言葉をかけていただきありがとうございました。

試合中、練習中は本当に怖くて、何回怒られたことか数えきれません。

自分が調子悪い時はアドバイスをくれ、調子いい時には、いい感じじゃんと声をかけてくれ、自主練する時は付き合うから呼べよと言ってくれたこと、その一つ一つの言葉がすごく嬉しかったです。

別れてからの方が調子いいじゃんって笑いながら言ってくれたところ、蛭子さんすぎました。

最後の1年は、仲間のためもありましたが、蛭子さんのために頑張っていた自分がいました。ですが、結果を残すことができず、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

本当に4年間お世話になりました。

ありがとうございました。







後輩たちへ



まずは、こんな情けない四年だった自分たちについてきてくれてありがとう。



大学4年間って長いようで本当にあっという間に終わる。

だから「来週から頑張ればいいや」「来年頑張ればいいや」と先延ばしにせず今この瞬間の練習や時間を大事にしてほしい。

きっとこれから、部活を辞めたくなるくらい辛い時や逃げたくなる時が何度もあると思う。そんな時は一回休んでみるのもいいと思う。けど、その1秒1秒を踏ん張って積み重ねた時間だけが、自信や結果に繋がっていくと思う。

自分は4年になってようやく大切なことに気づいて、そこから少しは変わることができた。だけど、正直それでは遅すぎたって感じてる。

だからこそみんなには今のうちから「いつか」じゃなくて「今日」「この瞬間」を全力で大事にしてほしい。

後悔しないように常に少しだけ焦り続けて、自分に発破をかけ続けて成長していってください。応援してます!

あと、サッカー楽しむのだけは忘れないようにね。






伊藤颯飛


あの国士舘戦覚えてるでしょ。

あの時はありがとう。ばっか腹立ったけど、颯飛の言う通りだったし、あの時のおかげで変われた自分がいた。

颯飛は、熱い思い持っててサッカーに対してバカ真面目なの知ってる。だからこそ、その熱い気持ちの伝え方と真面目さを間違わずに戦ってほしい。絶対にできるから。筋トレも忘れずに。頑張れよ!





俊祐


最後一緒に出たかったって言葉、頑張ってきてよかったって思えた。ありがとう。

今は試合出れてないかもだけど、素晴らしい武器持ってるんだから自信持って、やり続ければ報われると信じて頑張れ。

応援してる。




浦岡、沼田


来年はお前たち2人の年にしろよ。

影響力あるんだから、いい方向に引っ張ってくれ。

あと、引退試合来なかったのは許さないからね。




健太郎


特に言うことないけど、このあと誰も触れてあげなさそうだから名前だけ出しといてあげる。

もう浦岡と蛭田、お前ら2人にいじられないで済むわ。あー嬉しい。

最後までやり抜けよ。逃げるなよ。期待してっから。




悠天


4年のひっつき虫みたいな感じで可愛かったよ笑

ミス恐れないで、戦い続けろ。




みち


出れてない悔しさ持ち続けて、戦え。

チームのために戦えるお手本のような選手だから絶対に必要になる。

農大のファイターとして頑張れ。

密かに応援してるから。







廉さんへ


期待してくれてたのに、最終的に試合に出れずに終わってしまいました。

廉さんにはほんとに色々救われて、廉さんがいなかったら今の自分は確実にいないです。

本当にありがとうございました。





新くんへ


なんだかんだ色々言いながらもずっと面倒を見てくれて本当にありがとうございました。

自分が3年の時に、スパイやらなんやら言われて正直腹立った時もあったけど、でも結局はめちゃくちゃ助けられてました。うまくいかない時は相談に乗ってくれたし、ダメな時は叱ってくれたし、本気で向かい合ってくれて嬉しかったです。

歩く人間性に関しては本当にどうかと思うけどありがとうございました。






来音くんへ


自分はついて行く人、間違ってなかったらしいです。

高校、大学と本当にありがとうございました。






同期へ


晃太朗


いつもお邪魔してました。

人の頬毛と匂いにはうるさい男。

人のことを殴ることしか脳のないようなやつで、いつも誰かに肩パンしよって言ってるお子様だったけど、試合の時は俺のことしか見てねーんじゃねーかってくらいに俺にコーチングしてきた。ありがたかったけどたまにうざかった笑

あとずっと、全盛期全盛期うるさすぎね笑

言われすぎて流石に気にしたわ。

サッカーのこと以外で自分が辛い時にいちばん側にいてくれたし、それでどれだけ助けてもらったことか。サッカーで辛い時はなにもなかったけど笑。たまにめちゃくちゃ腹立つことあったけど、それも含めて晃太朗だなって感じ。また服買いに行こうな。

これ以上はなにも言わないであげるね!!!!

本当にありがとう。







隠れ逆張り男。別に隠れでもなかったか。

いっつもTwitter見てて、なんかあると1人でくすって笑ってる変なやつ笑

晃太郎が家で1人でお笑い見て笑ってるの想像つくって言ってたけど本当にそんな感じのイメージ。

響は全然外に出さないけど熱い気持ち持ってて、試合になったらファイターって感じで、一緒に試合出る時はとりあえず響がんばってくれって思ってた笑

一年の時から四年に対してでも闘志むき出しだったの熱すぎるんだよ。

入学当初はなんかしょうもないことで喧嘩して結構まじでなんだこの関西人って思ってたけどそれも今となったらいい思い出だわ。

本当にありがとう。





竜太


レオザが恐れた男。ちっちゃすぎる体から放たれるロングキックは小学生とは思えない弾道。最初サイドハーフやってたけど、なんでサイドハーブだったの笑 足早いからか!

これ以上言ったら手出して来そうだからやめとくね!

冗談はこのくらいにしといて、社会人を共に戦った中の1人。ボランチ組んで1番やりやすかったし、ほぼ阿吽の呼吸だったっしょ。これはお世辞抜きで。

竜太がトップ上がって、自分がセカンドにいた時は負けてらんねーって思って頑張れてたわ。

竜太がスタッフに、最近筋トレ頑張ってるでしょ、守備で止まれるようになってるって言われてるの聞いた時は本当にびっくりした。筋トレしたことないだろって笑

こんなこと言ってるけど試合中はまじで頼りにしてた。

本当にありがとう。





雄大


農大一の逆張り男。雄大といえば逆張り。逆張りといえば雄大。

いつもけんとと何かしら言い合ってるけどなんだかんだで仲良いの知ってるからね。

鏡の前で裸になって自撮りはやめようぜ。最後の最後でバレちゃったね笑

雄大は頭いいから、俺みたいなバカと違って言われたことを自分で考えて行動できるタイプ。だから違うと思ったことはやらないしいらないと思ったことはやらない。容量いいし羨ましかったわ。

雄大のことうまいと思ってたし、一緒に試合に出たいって思ってたから、気持ち考えず色々言っちゃった。ごめん。

でも、引退試合の前半は寝ててぶん殴ろうかと思ったけど、なんだかんだ最後は一緒に出れて嬉しかったよ。

本当にありがとう。




はせ


一生元カノを忘れられない男。

一年の1番初めの紅白戦でえげつないロングシュート決めてて、やばこいつって思ったのが最初の印象。

中華料理屋いって黒すぎて、本気で外国人に間違えられて英語で喋りかけられたのもいい思い出。

やる時はやる男で、チームをまとめてくれてて、すげーなって思ってた。こんな俺にも厳しいこと言ってくれたし、お前が言ってくれなかったら多分俺変われなかったと思う。

試合になったら、的確すぎる指示でとりあえずはせの言うこと聞いとけばなんとかなってた笑

10番背負って試合やってるの尊敬してたよ。

いい時のはせ知ってるから、自分が1番悔しかったと思うけど、見てるこっちも悔しかった。

でも、しっかりと最後まで戦い切ってくれ、同じ仲間でいてくれて本当にありがとう。

あんまスワイプしすぎんなよ。





とべ


口を開けばなにを言っているかわからない男。

一年の時の口癖は、「いや、でもさぁ」

こいつなに言ってんだよまじで、素直に聞き入れろやって思ってたわ笑

多分だけど1番一緒にいた時間が長かったと思う。

農大通りは大体とべと歩いてたし。その時間、今考えたら好きだったんだよなー。とべとも、うまくいかない時期一緒に過ごしてきたから、自分が思ってること全部言えたし、なんかしっかり理解して聞いてくれてる感じしてた。

俺が思うには、戸部が1番成長したんじゃないかなって思う。3年の頃くらいからは周りのことしっかり見えてたし、周りのために動いてるなって感じてた。

あと戸部の試合前の言葉ってなんか締まるんよな俺と違って。

最後の引退試合は、戸部応援団も来てて緊張してたのか知らないけど、試合中ボールないところでこけてみんなに笑われてて、本当になにしてんだこいつって思ったわ。最後泣きすぎだしね。

でも、そーゆーところ含めてとべだし、好きだったわ。

本当にありがとう。




すぎ


天パがいい感じに味を出してる男。バイト飛びがち。農大のジャムおじさん。練習前の一言は大体テンプレ。パン無料でよこせや。こんな感じですかね杉山さん。

練習終わったら一瞬でいなくなるところとかね。帰るスピード早すぎんだよ。

一年の最初の時、

ずっと1人でいて全然喋ってくれないし、こいつと本当に4年間やっていけんのかって思ってたわ。すぎも同じだと思うけど。

こんなこと言ってるけど、試合では頼りになりすぎるそんなところも好きだったよ。ほぼ一緒に試合出たことないけど。

4年になって1番戦ってる姿見せてくれてたし、本当にいい影響を受けてた。ミーティングでも熱い気持ち話してくれたし、その気持ちに応えようと必死に頑張れた。

これからもサッカー頑張れよ。応援してるから!

本当にありがとう。





堀井


農大一のすけべ男、趣味は貯金すること。竜太と関わってから全てが変わった男か笑。全部間違ってないっしょ?あと、堀井が笑ってんのか肩が笑ってんのかわからねーんだよ。

いっつもママが試合に見にきてて、いっつも甘えてた印象。勝手に家でママと一緒に寝てるんだろうなって思ってたわ。

多分農大史上1番キャプテンらしくないキャプテンだったでしょ?

でも堀井は堀井なり色々と背負ってるものがあったんだと思う。知らんけど笑

お前は優しすぎなんだよ。どう育てられたらそんな優しくなんだよ。

一年の時からずっと試合出てて、これぞチームの心臓って感じだった。正直憧れてたよ。だって全然ボール取られねーんだもん。

キャプテンっていう重圧がありながらも最後まで戦い抜いてくれて本当にありがとう。




みぞ


いつも何かしらボケてる男。多分ボケないと死んじゃうタイプ。門前仲町が第二の故郷。でしょ?

お前なんで幹部じゃないの?

って思うくらいにしっかりものの溝口くん。

色々と感謝してます。なにとは言わないけど。

あとお前、俺が免許ない時は免許なしってうるさくて、免許取ったら車ないのに何で免許取ったのってうるさすぎね。それに関しては俺だってわからんのよ。

4年の前期は社会人で一緒にやってて、後期には関東リーグに出場してたのすっごい刺激になってた。嬉しい反面、なんか悔しいと言うか早く追いついてやるって気持ちだった。

俺らの引退試合の時、みぞも一緒に泣いてて社会人一緒に出てた仲間だったからこっちまでさらに泣かされたわ。勘弁してくれ。

もう一回言っとくけど、色々とありましたが最終的には感謝してます。

本当にありがとう。




けんと


ほぼハムスター。結構色々と書かせてもらったから、あとは特に言うことないかも。

主務推薦とか色々言われてたけど、けんといなかったらこのチームどうなっちゃってんだろうって思うくらいに農大に欠かせない存在だったよ。

なんか2人で色々と弱音吐きあって、でも結局次の日には忘れて必死に練習してたな笑

人間サンドバッグって感じで助かってたわ。(流石に冗談ね)

みんなにいじられてて満更でもない感じもだいぶキモかったけど、愛されるべくして愛されてたんだなって思う。

けんとには感謝してもしきれないわ。

本当にありがとう。




優、はるか、あいさく


お母さんみたいな優に、わがままマイペースなはるか、選手より選手に声をかけてくれてたあいさく。本当にこの3人でよかった。頼りになりすぎてた。

あいさくは、試合前毎回って言っていいくらい声かけてくれてたし、俺がトップに上がった時は自分のことのように喜んでくれて本当に支えになってた。

マネージャーっていう立場で色々大変なことがあったのも知ってるし、自分の時間削ってでも選手のことを1番に思って、一緒に戦ってくれて本当にありがとう。






両親へ


22年間ありがとう。

全て手紙に書いたので、それ読んでください。








次回は、家が徒歩1分、みんなの溜まり場の家主、口癖は「いいよ俺農家になるし」



農大のおしゃれ番長こと山田晃太朗。



最近は筋トレにハマっていて、彼女にデカくなったと自慢してるとかしてないとか。



スパイクマニアでキーパーなのにスパイクには異常にこだわりが強い男。



なにも考えてなさそうな彼でしたが、サッカーに対してどのような熱い想いがあったのか、同期ながらすごく気になります。



乞うご期待!!



〈思い出の写真〉

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