「オール3」 飯泉里玖(関東第一高校)
まず初めに東京農業大学農友会サッカー部を日頃より応援、支援していただいてる皆様ありがとうございます。
東京農業大学 食料環境経済学科
農大のムバッペこと足が速く、アジリティが得意な飯泉里玖です。
長く、まとまりのない文にはなってしまいましたが本音で綴ったのでぜひ最後までお付き合いください。
自分のサッカー人生を振り返ってみました。
サッカー人生が終わろうとしている。振り返ってみると常に自分の中にこの言葉があった。
〜オール3〜
オール3の意味としてはここでは何をさせても、可もなく不可もない事を指す。
小さい時からサッカーをしてきてみんなも言われたことがあると思うし、考えたことがあると思う。
「自分の武器は何か?」という問い
自分はこの質問をされるのが嫌だったし、誰かがあの選手はドリブルがうまいよねとか、そういう話をするのも嫌いだった。
自分の武器は何かと考えた時自分は正直何も出てこなかった。
めっちゃ対人強い訳でもない。めっちゃうまい訳でもない。ドリブル?パス?全部普通だった。
強いていうなら球回しに自信があったくらいかな笑
そういったサッカー人生だった。
入学時を振り返ってみると、1年生の時からアイリーグ登録だった。
下級生からしたらずっとりっくんアイリーグやん!と思うだろうね笑
だけど帯同したのは2、3試合。出た時間は0分
これが現実だった。
自分だけ出ない日もあった。同期には、
「YOUは何しに専修へ」と質問された時もあったね笑
そういうのはみんなの前ではネタにできるけど
1人になると考えこんでしまったのを覚えている。
何人かはアイリーグで出ていて悔しいという漠然とした気持ちの1年目だった。
自分が試合に出れない理由を見つけず周りのせいにしていた。
当然そんなやつは試合に使ってもらえなかった
2年目は社会人リーグの登録になった
側から見れば降格といったところだろうか。
けど自分には何もダメだったとかネガティブな要素は一つもなく、サッカーできるならいいやと思っていた。
一見何ひとつ不自由なくサッカーをやれた。
自分にも後輩ができて勘違いをしてしまい
味方のミスに文句を言う。ネガティヴなことしか言わない最低な人間だった。
それは徳さんが1番知ってくれています笑
そんな中大きな怪我をしてしまう。
肩の脱臼
高校の時に怪我をして手術をした箇所だったからとても苦しかった。
再手術。
この時もういいかなって思った。
自宅療養といってずっと家にいた。固定する期間が終わっても練習にいこうという気持ちには全くならなかった。
正直サボっていた。
みんなが練習の時間にバイトをしめちゃくちゃ稼いで夜まで遊んで、酒飲んで一般大学生みたいな生活をしていた。
みんなが頑張っていることなんてこの時はクソどうでもよかった。それくらい自分のことしか考えていなかった
バイトに明け暮れてた時、今でも覚えている。明也からいつになったら練習くんの?
自分の受け取った感じLINEだったけど強く言われてるように聞こえた
待ってる人がいて、その人のためにもやらないといけない。
久しぶりに練習に行った時
その当時コーチだった児玉さんには大学生生活楽しんだか?とジョークを言われたことを鮮明に覚えている。
ここからリハビリが始まる。
足の怪我じゃないからすぐ動けた。
ボールを蹴ることが楽しくて楽しくて仕方なかった。早く復帰したい気持ちはすぐに現れた。
復帰してもベクトルが自分に向いていなくて全部周りのせいにしていたことを今でも覚えている。
何も変わっていなかった
怪我明けの練習でフリーマンをやらせてもらい
自分の下らないミスで失点。
なぜかその時自分はニヤニヤ笑っていた。
今考えれば相当気持ち悪い。
その当時蛭子さんになんで負けて笑ってる奴がいるんだ?
すぐに自分のことだと気付いた。
蛭子さん覚えてないと思うんですけど
あの時ありがとうございます。
周りのせいにしていた日があればいつも明也が
今日お前の悪いとこ出てたよっていってくれたのを覚えてる。
言われても不貞腐れてたね。ごめん?
真面目な話しているのにボケかましてきてつっこんでを繰り返してたけどずっと一緒にいた気がする
明也ありがとう。
慶人、TSUぎ(杉山)、この時からボケてます笑
3年目はアイリーグを主戦場として戦っていた。
ゆづと毎試合ダブルボランチ組んで毎試合ボコボコにされた記憶しかない
週末が来るのが怖かったし水曜日に試合も入ってきて体ぶっ壊れるんじゃないかと思った
勝てない時期を経験していろんなことを蛭子さんと話した。今のサッカーのままでいいのか。
上級生はどういったアプローチを下級生にしていけばいいか。
そんな中で勝った城西戦はほんとに嬉しかった。
苦しかったけど勝つってこんなに気持ちがいいことだと思わなかった。
しかしチームは降格。サッカー人生で降格を味わったのは初めてだった。
その一勝を境にベクトルを少しずつ自分に向けていく転機になっていった。
アイリーグで勝ちたいという思いだけをもちプレーしアクシデントが起きれば自分が何かできなかったか?と考えるようになった。
その中でも4年目の主戦場はアイリーグだった。
この時の気持ちは不思議で、アイリーグメンバーをまとめて勝ちたいという気持ちしかなかった
自分がいいプレーしようなんて気持ちは正直なかった。
チームを勝たせたいそれだけだった。正直厳しいことは言いたくなかったし、球際、切り替えだけやってくれれば後輩がどんなミスをしても自分がカバーしようという考えだった
メンタルが安定することで自分のコンディションも上がっていった。1.2年生の時にはない感覚だったのを覚えている。
そんな中、母からあることを告げられる。
祖母が「癌」になってしまったこと
正直サッカーを続けてて良いのかなと考えるようになった。
女手一つで育ててくれている母にサッカーにかけるお金は迷惑かなと。
しかし祖母と一緒に暮らしている中で自分のことをすごく気にしてくれていてくれた。
仏壇ではいつも里玖が試合に出れますようにと。
勝負パンツ買ってきたよって。
不思議なほどそのパンツを履けばほんとに試合に勝った。
その姿を知っているからこそ絶対試合に出て点決めてやろう、チームを勝たせてやろうと思った。
しんたろにも言われたよ。勝たせろってね
祖母も抗がん剤の副作用に耐えながら頑張っている。
それでも明日の朝練何時に起きる?
4時半?5時?と聞いてくる祖母
自分の部屋で涙を流してしまった。
それに比べたら自分のサッカー人生なんて幸せでしかなかった。
祖母の方がよっぽど苦しかった。そんな中で
関東リーグHOME平成国際戦で初めてトップチームの試合に出た。
最終節、慶応戦にも短い時間だが出させてもらい、満足いく結果が出た
2試合とも10分もない出場時間一生懸命に戦った。
最後頭を出して体を投げ出す。
顔が腫れた、けどそこまでして勝ちたかった。
りっくんのターンすごいとか、どうやって前向くのとか
相手の逆をとってとか前向いて縦パスとか
そういうことじゃない。
最後投げ出せるとこが自分らしさだと最終節感じることができた。
トップチームで試合に出て母と祖母が喜んでいたこと、サッカーをやってきて良かったと思った。
りゅうともちろんムバッペ見せておいたよ
自分の大学4年間を振り返ってみるとトップチームのスタメンで試合に出た試合は0試合これが現実だった。
チームとしても12チーム中7位
戦績は7勝7分8敗これがチームとしての現実
オール3のチームと言われても仕方ない結果
最後に特徴がない選手なりに声を出すこと頭を使うことを常に意識してきた。少なからず自分についてきてくれた選手もいたと思う。
たとえ武器がなくオール3の選手であっても
勝ちたい気持ち、誰かのために行動する気持ちがあれば派手ではないけど立派な武器だと思う。
チームのためにだったり周りの人のために行動できる選手が上手い、強いより1番応援したくなる選手だと自分は思います
その意味やどうすれば応援されるか、信頼を得るかを4年間で学んだ。
点取れる、サッカーが上手いより応援される選手になることが一番大事だと思う。
そうなればもっと強いチームになるし
チームとしてオール3から少しずつ4または5を増やしていく作業を3年生中心にやっていってほしいと思います。
これから自分に関わってくれた人に恩返ししていこう。オール5の自分になるために。
和田ブルドッグ・FC東京u15深川・関東第一
指導者の皆様
ご指導頂きありがとうございました。
指導して頂いたことを社会で活かせるように頑張ります。
ありがとうございました。
東京農業大学 児玉さん、蛭子さん
4年間大変お世話になりました。
児玉さんはコーチ時代から技術から人間として大事な部分まで指導していただきありがとうございました。
蛭子さんは常に自分の話を聞いてくれていじったりもして近い距離感で接してくれてとてもいい環境に恵まれていました。
たまにみる2人の絡み実は好きでした笑
ありがとうございました
同期へ
みんなお疲れ様。
苦しい時も辛い時も逃げずにみんなで頑張ってきたと思います。
みんながいなかったらこんなに頑張れていなかったです。
ゆづと通った全て支払いは負けが払うマック、スタバ、コンビニ
りゅうとと行った金曜日朝アルチ
わがと行くわがーげんでの温泉
あきやと帰る帰り道、ボーリング、カラオケ
挙げたらキリないけどほんとに楽しかったです。
次はバラバラのステージになるけどみんなで近況報告していきましょう。
明也へ
常に2人でいて、ほんとに腐りそうな時最後正しい道に持ってきてくれたのは明也でした。
明也がいなかったら簡単にサッカー部辞めていたと思う。本当にありがとう。
これからもよろしく。
れん、しょーき
子供だった中学生の時を経て大学でサッカーできたこと本当に嬉しかったです。
2人のことずっと応援してます。
タニエスタへ
たまにサッカーの話をしたり学校から一緒に帰ったりほんと楽しかった。これからもよろしく
本音は一緒にサッカーしたかったけど
後輩
りょうた・あおい・堀井
関東第一を卒業した君たちなら大丈夫です。
サッカー上手いから本当に。
あとはメンタル安定させることだね!
3人本当に期待してます!!!!
慶人へ
いやあとうとう俺卒業だねー
もうボケてくれる人いないよ??
飯も飲みも風呂も行ったね。プレゼントもありがとう。
大きな怪我を経験したけど対人の強さとかいいもの持ってるから試合出れるぞ!
応援される選手になってな!期待してる!
りょうすけへ
弟って言われるくらい一緒にいたな
ピッチ外で問題起こすのは卒業しような。
それが自分の大事なサッカーを取り上げてってるぞ。
あえて厳しいこと言っておきます。
そんなとこでくすぶる選手じゃないと思うから
もう俺は近くで言ってあげることはできないから
辛くなったらすぐご飯にでも行きましょう。
それくらい期待してます。
母へ
女手一つで育ててくれた母にはとても感謝しています。
自分が落ち込んで帰ってきた時にも
明るく出迎えてくれてとても心の支えになりました。
仕事なのに朝練の時も起きて朝ごはんを作ってもらったこと
結果をみて点を決めればPKで量産だねって
喜んでくれたこと。
なぜか家でslickbackを練習していること笑
明るい母の元で生まれて幸せ者です。
次は自分が社会人で恩返ししていこうと思います。
祖母へ
元気な祖母なら絶対乗り越えられると思います。
少し時間ができて会いに行く機会も増やしていきたいと思います
常に明るく元気でいてね
これからは俺がサポートするね!
長々と自分の思いを書きましたが最後までお付き合い頂きありがとうございました。
次回のブログは本当に人なのかを疑ってしまうほど遠慮がなく
スタバは人のお金だとventiサイズを頼むジャンケン小僧こと工藤選手です、
とてもまっすぐな彼は何を書くのでしょうか
お楽しみに!!!
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〜お気に入りの写真〜