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2022

四年生ブログ 江井晋之助~泥臭く~

はじめに、日頃より農大サッカー部を応援して頂き、ありがとうございます。






山本選手からご紹介いただきました。

前十字靭帯断裂から復活した彼の最後の試合、出場時間は短かったものの濃密な時間になっていただろう。サッカーしているときの彼の笑顔がやっぱり好きだ。

感動をありがとう。




読書や勉強で学んだ知識や価値観は裏切らないし、登山にはロマンがある。

サッカーでは、

破天荒な上、猪突猛進でストライカーの江井晋之助(いねいしんのすけ)です。





卒業論文に何も取り組めていない自分に焦りを感じ始めたところに、卒業ブログが押し寄せてきて、さらに焦りを感じています。

やるしかない。いつもそんな人生だ。






去年、一昨年、その前の年の先輩から言われた


「あっという間に終わるから、やり切れ」


いや、先輩。

本当にあっという間じゃないですか。




気づけば引退ブログ。

自分にとっても読者にも有意義な時間になってほしい。





本題に入る前に、エースストライカーである私のサッカー人生の自慢話を聞いてほしい。

そんな中で挫折が3回あるので、注目してもらいたい。




サッカーを始めるキッカケ

これは完全、兄の影響。

赤ん坊(私)が地に足をつけるより前にボールに触れさせられていたと思う。

だから、気が付けばサッカーをしていたって感じ。





小学生

地元の若草FCというチームに入る。

客観的にみても、一番うまかった。ザ・ストライカーだった。

大きな大会で優勝し、得点王で最優秀選手賞を頂いたこともあった。

クリスティアーノ・ロナウドになれると思っていた。

画面上の選手だぞってきつく当時の自分に伝えたい。


その反面、やんちゃで相手選手を煽り、ものすごく怒られたこともあった。

ここだけの話、この件でクラブチームを移行したこともある。やんちゃすぎたな。

これに関しては、ACミランチャンネルの影響が強かったと思う。

特に、ガットゥーゾ。





中学生

FC GONAというチームで関東大会出場を目指す。私生活でのやんちゃな一面は落ち着きながらも、サッカーになれば完全にスイッチオン。

試合の前日練習でスタメンでなければ、途中抜けして帰ることもあったし、本当にワガママだった。


そんなチームは、

クラブユースで関東大会まであと2勝のところで敗れた。

最後の大会の高円宮杯では、大事な試合でレッドカードをもらい、そのままチームが敗れた。





高校生

自分を1から戒める環境を作るため、日本航空高等学校を選んだ。

寮生活なので、洗濯などの自分の身の回りのことは自分ですべて行う環境だった。

最初の序列は1番下のDチーム。聞いたことあるかなDチーム。ワガママでも、負けず嫌いで貪欲な性格なので、苦しいことにも必死でついていった。それが功を奏し、2年からスタメンに定着し、国体選手にも選出され、結果も残した。

最高学年になって、自分の代で全国大会に出たいと思った。朝練をやって、午前中に20キロ&階段トレーニング1時間、午後にサッカーコート全面で1対1を行った。靴から血が出るほど練習だったけど、もう無心だった。インターハイ優勝校もいた全国高校サッカー選手権県予選だったが、優勝できた。


全国大会の初戦前の前日練習で、スタメンから外された。理由を聞いたら「切り札で使いたい」と言われた。頭が真っ白になったけど、もうやるしかなかった。結果を残せば、スタメンで長い時間プレーさせてもらえると思った。初戦でGOALを決めた。しかしその後、スタメンで出ることはなかった。チームはベスト8、個人では心残りがありながらも全国大会で得点をあげることもできた。






大きな挫折が3つ。

そして挑んだ新たな挑戦。

大学サッカー、学生最後のサッカーライフ。





全力で17年間やってきたサッカー人生に、拙い文章なんかないから

是非最後まで読んでほしい。





~泥臭く~





東京農業大学サッカー部に入部してから、1か月。




大体、このくらいで今の自分の序列がはっきりとわかる。




1番下のチームだった。




全国大会ベスト8で、国体選手で、結果も残しているのに。




正直、「なんで?」、「気付けよ!」なんて思っていた。




冷静にトップチームの選手を見た時、

全国大会を優勝している選手がいたり、Jユースの選手が多くいたりした。





こいつらを追い越していかなきゃダメなのか。





内心、やべーと思いながらも、絶対できると思っていた。

高校のときにできたから。





1年以内にトップチームのピッチに立たなければ、サッカーやめると決めていた。

ダラダラするのが嫌いだから。





どうしたらいいだろう。

考えれば考えるほど、無謀な挑戦に思えた。





でも、答えは簡単で、

「したいこと」

「できること」

じゃなくて

「すべきこと」をすること。





つまりは、

チームに求められていることをすること、

FWとして得点を量産すること

この2つ。





当時のセカンドは、この2つが欠けている選手ばかりだった。

(セカンドの選手に悪いけど、客観的にみてそうだったと思う。)

シュートは簡単に外すし、自分のしたいプレーばかりする人が多かった。





そこからは、得点と求められていることを意識した。





でも、パフォーマンスがものすごく不安定だった。

精神的にも、きつかった。





その時、何か不変的なものが必要だと思った。

その日のパフォーマンスに影響されないもの。





考えていた時に、「最高な守備から最高な攻撃」という三浦監督からの言葉にハッとした。




「守備だ。」

高校の時からの武器だった。

どんな場面でも、どんな状況でも頼りにできるのは自分の武器だけだった。





ただの守備じゃない。相手にプレッシャーに行くのではない。

FWからボールを奪い切る守備。

鬼プレスで、相手のすべてを根こそぎ奪う守備だ。

そして、どこまでも追いかける守備。

生きるか死ぬかの戦いをする気迫。




無心になって、全力で追いかけるあの心だ。




灯台下暗し。

まさに、一番近くにある大切な最高で最強の武器が俺にはあった。

急がば回れ。

守備あってこその攻撃。




これを実践していくのは、容易だった。

高校3年間叩き込まれたことだったから。

次第にパスも集まるようになった。信頼を同時に勝ち取ることができたのだ。

アイリーグでのスタメンも増えた。結果を残すことも増えた。




そして、時は来た。




1年生の都リーグ最終節

Vs明治学院戦

後半途中からトップのピッチに立った。

滑り込みセーフ。サッカーやめるところだった。





1年目にトップチームのピッチに立つことができた。

(この後の昇格戦は登録ミスで出場できなかったけど、すべてには意味がある)





目標は上書きされていた。

「このチームを勝たせる選手になること。」





そのあとは、なかなか試合には絡めなかった。

ある時、FW選手の不調とケガなどでいきなりスタメンのチャンスが巡ってきた。

この時感じた。

チャンスは突然で、掴むのは一瞬。

そして、掴んだ。





その後。

3年の後期からずっとスタメンで出場することができて、

個人的にも得点を重ねることができた。

チーム最多得点。




でも

リーグ戦は3位で昇格戦には届かなかった。あと勝ち点1足らなかった。

最高学年になって、個人として2桁得点ができても、チームは6位。





昨年とは違ったのは、6位でも参入戦に出場できたことだ。





参入戦当日。




コンディションは正直良くなくて、ボールを蹴るのがやっとだった。

痛み止めも2種類飲んで、注射も打った。テーピングもした。

試合が始まった瞬間、痛みよりも闘志が燃えていた。

ある程度、全力で戦うことができた。




前半、まさかの失点。

0-1




「チームを勝たせる選手」

最大の目標を掴むための最後のチャンスだった。環境が整い過ぎた。

DF・GK陣、失点してくれてありがとう。



後半開始すこし経ったころ、PKのチャンスがきた。

迷わずボールを持った。というか持っていた。そして左サイドに決めた。

その後、コーナーキックから追加点。




試合終盤、2-1決められたら同点。

油断はできなかった。




ボールをコート中央付近で奪う。

迷わず、足を振り抜いた。

50メートルの長旅をしたボールがGOALに吸い込まれた。





諦めないで良かった。

最後まで頑張ってよかった。

頑張ることだけじゃなくて、何を頑張るのか気づけて良かった。

ほんとうに、よかった。

自分を信じてよかった。





大学サッカー振り返ってみれば、





俺には、

直人のように強靭な肉体を持っているわけでも

大智のようにきれいに相手の背後でボールを受けることも

タカのように相手を翻弄するような足元の技術も

理人のように高身長でヘディングが強いわけでも

魁人のようにどんな相手でも簡単にかわせるわけでも




ない。そのような華やかなものは俺にはない。





けど、





俺には、

素早い切り替えで狂犬のように殺気立つ鬼プレスという、泥臭い武器がある。





自分の武器が絶対にある。

みんなにも絶対ある。





自分を信じてやれば、絶対うまくいく。

このように文章見てわかると思うけど、かなりの自信家だ。

だから成功したのかもしれないけど。




自分、信じてやる。ただそれだけ。




これからも泥臭く生きていくだけ。

まっすぐに、素直に、泥臭くやっていきます。






~同期のみんな~




まず、言わせて。みんな、怪我多すぎ。

大きなケガをするメンバーとか怪我続きで試合に一緒に出ることができなかったメンバーが多いけど、最後の最後まで一緒にいてくれてありがとう。


最高な時間を最高な仲間と過ごすことができて本当に良かった。

みんな、一人一人に武器があるから、自分信じて、ビックになろう!

飲みの席でしっかり語り合おう。




~後輩のみんな~



伝えたいことは2つ。

1つ目は、逃げ道を作ること。

絶対にサッカーの調子が良くないときがある。

その時は深く考えすぎないように逃げ道を作ってほしい。

俺の場合は、読書・勉強・登山だった。

サッカーの努力は裏切るけど、読書で得た価値観は裏切らない。

勉強で得た知識は財産になって、自信にもなる。

俺の場合は、FP2級に合格できた。

登山は、きついけど頂上の景色は最高にいいし、頑張った分だけより良いものが得られる。

2つ目は、関東3部楽しんでほしい。

今年よりもレベルが上がって、厳しい試合が多くあると思うけど、

その中でも楽しむことは忘れずに果敢にチャレンジしてほしい。

頑張って。





~家族、祖父母へ~



サッカーというマジックアワーを、経験をさせてくれてありがとう。

この経験から気づけた。

お兄ちゃんは、サッカーのきっかけをくれてありがとう。

両親は、まじでブラボー!最高!感謝!(笑)

伝えたいことは、すべて終わってから直接言いたい。

全国大会も行けたし、大学でも得点量産できたし最高だったでしょ?

祖父母も遠くから応援ありがとう!

苦しい話も楽しい話も全部できるのは家族でした。

一生の宝物は家族です。

みんな最高!サンキュー!



~今までのチーム関係者の方~




若草FC 本当にご迷惑おかけいたしました!

羽村少年 拾ってくれてありがとうございました。

FC GONA 恕のこころ忘れずにこれからもワガママで頑張ります。

日本航空高校 走るサッカー最高にきつかったけど、忍耐強さ身に付きました。

       全国の景色に連れて行ってくれてありがとうございました。

       あと、最高の挫折もありがとうございました。

東京農業大学 自分で考える力と自分を信じて、社会にでても頑張ります。





~三浦さん~





チームや個人の結果が出せなかったとき、すぐにメンバーを入れ替えるということに良い危機感を持つことができました。日ごろから「大学サッカーをする意味」を考えさせられました。本質を追うことが成長にとって非常に大切なことだと感じました。

社会に出ても、危機感をもって行動して、泥臭く生きていきます。





~児玉さん、蛭子さん~




ワガママでしたけど、最後までありがとうございました。

関東2部昇格お願いします!





私のサッカー人生のようにまとまりのない文章になってしまいましたが、

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。





さて、次回は



農大の赤ちゃん、小籠包こと

大関克弥選手です。



普段は無口な印象ですが、

左足の司令塔で、魔術師。

どんな魔法でまとめ上げてくれるのか、お楽しみに!


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