日頃より農友会サッカー部を応援してくださっている皆様ありがとうございます。
まず初めに、新型コロナウイルス感染症拡大防止にご尽力頂いている方々、大会の開催にご尽力頂いている皆様に深く感謝申し上げます。
増田莞奈マネージャーより紹介に預かりました山本竜輝です。
かんな、色々言い過ぎだけど紹介してくれてありがとう。そしてマネージャーとしてサッカー部に入ってきてくれてありがとう。
最初で最後の自分に関するブログになると思います。
想像以上に長い文になってしまいました。拙い文章ではありますが、ぜひご一読して頂けたら幸いです。
よろしくお願いします。
大学4年生になってすぐの事だった。
2022年4月9日東京都リーグ第2節東京経済大学戦
スタメンで出場した私は開始間もなく
右膝前十字靭帯断裂、右膝半月板損傷の怪我を負う事になる。
早々にベンチに下がりアイシングをしていた。ベンチで試合を眺める私の目からは自然と涙が流れていた。
目の前が真っ暗だった。まだ始まったばかりの気合いの入った大学ラストシーズンが4月にしてもう終わってしまうかもしれない。
ラストシーズンにして人生初の長期離脱かもしれない。
自分だけ別の世界に飛ばされたような気がした。
大好きなサッカーが急に自分のもとから消え去ってしまった気がした。
私にとってこれまでのサッカー人生の中で一番理想とかけ離れていた4年間だった。
いや、今考えれば高校までがうまくいきすぎていたのかもしれない。
サッカー経験者だった父とサッカーが好きな母の下に生まれた僕は立って間もない頃から母が転がしたサッカーボールと戯れていた。それがサッカーと、サッカーボールと出会ったきっかけだった。
(母は全然寝ない僕を疲れさせる事が目的だった)
自我が芽生える頃には当たり前のようにサッカーボールを蹴っていた。
小学校では地元の普通のチームに入団したものの、奇跡的に県大会を制覇。
中学、高校では全国大会を経験
なにより、どのカテゴリーでも試合に出続ける事ができていた。
もちろん苦しい事や辛い事もあったが、目指している事や目標にしている事が現実となる機会が多かった。
そして、高校3年の時自分が本気で取り組む最後になる可能性のある大学サッカーでは最もレベルの高い関東リーグで自分の力を試したい、ここまで本気でサッカーをしてきたのだからプロになれなくともJチームと試合をして自分を試したい、それらを実現させたいと思い当時関東2部に所属していた東京農業大学へ進学する事を決意した。
しかし、大学入試の合格発表の日、合格通知が来たと同時に農大の都リーグ降格が決定。
合格発表を素直に喜べない自分がいた。それでも自分が4年になるまでの間に関東リーグに復帰すれば全く問題ないと思った。
しかし、結局4年間で一度も関東リーグの舞台でサッカーをする事ができなかった。
Jチームと対戦する機会が何度かあったものの一度も試合に出て経験する事ができなかった。
大学サッカーをする理由、目的として掲げていたものが入部から引退までに1つも達成する事ができなかった。
それどころか4年間の間にトップチームで1シーズン継続して試合に出続ける事すらできなかった。
理想と違いすぎた。
こんなにも自分の実力はたいしたことなく、ちっぽけなものだったのか。
なぜうまくいかないのか。
どうしたらうまくいくのか毎日毎日ずっと考えていた気がする。
考えすぎていた気もする。
サッカー人生の中で一番サッカーと自分について悩み、考える機会が多かったと思う。
でも、自分について1番理解できた期間だった。
苦しんでいる、悩んでいる自分を含め自分自身の全てを受け入れ、やっと自分らしくいれば良いと素直に認められるようになった。
夢や目標が現実にならずとも、それを実現させようと想い、考え続ける事。努力する事。諦めない事。いろんな経験を通じていろんなことを知る事。いろんな人から新しい考え方を吸収する事。小さな成功が今後の大きなエネルギーになる事。自分の為以上に誰かの為に戦おうとする時に生まれる力は無限大になる事。
でも、報われない努力もあるという事。
それでもその過程に価値があると信じやり続ける事。
嬉しかった事や成功した事もたくさんあった。でも、それ以上に失敗や後悔もあった。
僕はこれまでにたくさん失敗や後悔ができてよかった。
学生だからこそ許されやり直せた事。全ての経験を自分が成長するエネルギーとし次に繋げる事ができた。
サッカーを通じていろんな経験ができた。
大好きなサッカーだったから嫌なことも苦しいことも逃げず受け入れる事ができた。
当たり前のように過ぎ去っていく毎日の全てに意味があったし、大きな大きな計り知れないほど価値のある22年間だった。
最後に、大怪我から半年、引退まで約1カ月となった11月に練習に合流する事ができた。
練習試合ではあったものの約15分間ピッチに立つ事ができた。
全く満足いくプレーではなかったけど同期や後輩と最後に少し同じピッチに立つ事ができた。
父と母に大学4年間で初めて自分の試合を生で見せる事ができた。
私にとってサッカーとは、かけがえのないものだった。私のすべてだった。
ボールをトラップした瞬間。
シュートをした瞬間。
また抜きをした瞬間。
点が決まって全員で抱き合う瞬間。
勝った瞬間。
一瞬一瞬の全てが幸せだった。
たとえ生まれ変わっても、またサッカーと出会いたい。またみんなと出会いたい。ほんとうにありがとう。
大富士FC・リベルダージFC・アスルクラロ沼津U-15・藤枝東高校サッカー部・東京農業大学農友会サッカー部の関係者の皆様、ご指導頂きありがとうございました。皆様のおかげでサッカーの面白さを深くまで知ることができました。心の底から誇れるチームです。ありがとうございました。
偉大な先輩方
金魚、ブラザー、ピザハットを中心に未熟すぎる私と仲良くして頂きありがとうございました。たくさん奢って頂き、いろんな事を教えてもらい、いろんな考えを知る事ができました。いつでも連絡下さい。これからもよろしくお願いします。
後輩へ
みんな声をかけてくれてありがとう。
来年もシーズン途中で苦しい時期が必ずやってくると思う。それでもみんなで同じ方向へ向かって突き進んでほしい。
冬羽、山田、小島
農大へ来てくれてありがとう。躍動してる姿を見せられなくて申し訳ない。それぞれ自分らしく頑張れ。
アイリーグ係のみんなもありがとう。来年こそ1度もミスなく怒られないように頼むね笑
マネージャーへ
人の為に動けるって本当にすごいと思う。
みんなすごすぎることしているのでもっと自信をもってそれぞれ頑張ってください。ありがとう。
同期へ
みんなと出会えてよかった。本当にみんなと出会えてよかった。最初から最後までずっと大好きな空気感だった。
貫太郎家、疋田家に迷惑をかけたり
彩希とおすすめのYouTuber教えあったり
椋太と自己分析という名の地元トークで過去を振り返って盛り上がったり
理人と歩夢と23時まで学校の研究室にいたり
海と塩盛と琢夢とリハビリ中に色んな話をしたり
天狗で飯を食べれば話しすぎて2時間以上いたり
ぶっとん部に入部できたり
挙げればきりがないけど当たり前のような日常の全てが大好きでした。
これからも末長くよろしくお願いします。
いつでも、どこでも誘われたら行くので連絡下さい。
家族、祖父母へ
ここまで22年ありがとう。
迷惑ばかりかけてきたけど、どんな時もどんな状況でも信じて応援してくれてありがとう。
多分威厳や厳格から1番掛け離れている気がするけど、それ以上に愛や笑顔の溢れた温かい最高な父と母。
大学ラストシーズン、もっと自分をピッチで表現したかった。見てもらいたかった。喜ばせたかった。それが私の心残りです。
2人の下に生まれてよかった。弟と2人兄弟でよかった。ありがとう。
これからも頑張りすぎず頑張ります。
楽しみながら社会に揉まれてきます。
気づけばこんなに長くなってしまい、うまくまとめることができませんでした。すみませんでした。ありがとうございました。
明日のブログは、
ピッチ内では
エースストライカー、狂犬、破天荒
ピッチ外では
愛読家、勤勉、登山家
ギャップのありすぎるミステリーなチームのエース、江井晋之助選手です。
独特な世界観をもつ彼のブログは個人的にも楽しみです。
お楽しみに。