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2022

四年生ブログ 井上翔太〜Enjoy soccer life〜



本日から卒業ブログがスタートします。トップバッターを務めさせていただきます。

井上翔太です。トップバッターということもあり少し緊張しており、拙い文章ですが最後まで読んでいただけたらと思います。よろしくお願いします。


私の4年間、その時の感情、思ったことを書きました。


塩盛、俺の見て文章変えるなよ。


まず初めに、新型コロナウイルス感染がいまだに広がっている中感染拡大防止にご尽力頂いている医療従事者の皆様、そして東京都大学サッカーリーグをはじめとする様々な大会の開催にご尽力頂いている皆様に深く感謝申し上げます。




苦しかった。辛かった。サッカーが嫌いになりそうだった。試合に出てチームに貢献したかった。大好きな1個上の先輩達とサッカーがしたかった。最高で大好きな同期とサッカーをもっとしたかった、ピッチに立ってプレーしたかった。

東京農業大学サッカー部での4年間は私にとって、残酷なものだった。

大学1年でのグロインペイン、2回の前十字靭帯断裂。私が入部した時には考えることもできないくらいきつすぎた。


私は大学2年の最後の5節くらいからトップチームのスタメンとして試合に出ることができた。その前までは自分のプレーが悪く、練習試合ではほぼみたこともない途中交代をさせられるくらい酷かった。

試合に出れるようになったのは本当にたまたまだった。

リーグ戦の登録メンバーには入っていたもののベンチにも入ることがない中リーグ戦の成蹊大学戦に怪我人やその他の事情があり急遽普段のポジションではない右サイドハーフでスタメンに抜擢された。ラッキーでしかなかった。このチャンスを無駄にしないという気持ちは確実に誰よりもあった。死ぬ気でボールを追いかけた、勝ちたかった、見返したかった。

その試合私は、1ゴールという結果を出し最高のパフォーマンスができたと自分でも自負している。試合後、その当時はコーチ、現在の監督である児玉監督にお前のプレーを見て感動したと言われた、一生この試合を忘れることはないだろう。その後から本来のポジションである右サイドバックでのスタメンを勝ち取った。

チャンスは突然転がってくる、あのチャンスを逃していたらその後も試合に出ることはなかったと思う。巡ってきたチャンスをたまたまでもいいから掴み切ってほしいそのあとに見えるは景色は全く違うから。

そんなこんなでそのシーズンが終わりチームは2月から新チームが始動した。私は3年生だ。最終学年ではないが勝負の年であり、1年間を通して試合に出続けるという想いを誰よりも強くもち臨んだ。

3月31日、リーグ戦が1週間後に迫る日だった。私は気合を入れて最後の練習試合である中央学院大学戦に臨んだ。試合開始10分くらいだっただろうかボールを持っている選手に寄せた私は止まり切れなかった。聞いたことがない音がした。リーグ戦が始まる1週間前だったし、怪我で離脱は考えられず、痛かったがピッチに戻ろうとしたが大事をとって交代をした。歩くのがしんどかった。こんな経験一度もなかった。

次の日病院にいくとMRIを撮って来いと言われた、不安だったが大したことはないと思っていた。でも結果は前十字靭帯断裂という大怪我だった。最低でも8か月と聞いて、頭が真っ白になった。長期離脱の経験がなく怖かった。サッカーをもう一度また同じようにできるのか、不安だった。どうすればいいかわからなかった。ありえないくらい泣いた。ばれないように泣いていたと思ったがそれに気づいた母親を泣かせてしまった。同期が、先輩が、お世話になっていたトレーナーが、家族が、連絡をくれた、心配をさせてしまった。

もう一度ピッチに立ちたいと思えたし立たなければいけないと思った。

死ぬ気でリハビリをした。心が折れそうなときは何度もあった。復帰して試合に出ている自分を想像しながらリハビリを継続した。自分が出ていないで勝っている試合が正直嫌だった。最初の頃は同じポジションの詩音が活躍しているのを喜べていない自分が正直いた。ごめん。自分に自信がなかったからだと思う。その後のリハビリも順調で、病院には同じ怪我をしているプロの選手がいたりとすごくモチベーション高く維持し続けていくことができた。上半身も下半身もこの期間で鍛えることができ、パワーアップしていると確信していた。復帰まではとにかく順調に進んでいた。復帰までには11か月かかった。最後の1年にかける想いが強く慎重に進めていた。

新チーム、最後の年チームの始動の日から合流した。

体力面は本当に苦しかった。ボールに寄せるのも、ぎりぎりのボールに足を出すのも怖かった。なかなか自分のプレーができないもどかしさを言い訳してる自分がいた。復帰してすぐはサッカーがつまらなく差がどんどん広がっていくのを実感していた。徐々にその怖さはなくなっていったが全然自分のプレーはできなく、メンバーには登録されていたもののメンバー外、ベンチが続いた。でもこのタイミングでもチャンスが急に転がってきてリーグ戦の成蹊大学戦で公式戦復帰を果たした。試合に勝てた。嬉しかった。自分が試合に出て勝つ試合がこんなにも嬉しい事、公式戦のユニをきてまたピッチに戻れたこと、多くの保護者、部員がいる中でプレーできたこと忘れられない瞬間だった。この調子で試合に出続けたいとそう思っていた。


1週間後の6月19日

アミノバイタルカップの予選があった。スタメンで出場した。相手は中央学院だった。

私は、前半30分にひざを痛めて交代した。周りには大事な公式戦の途中ということもあったしあまり痛がらずあるいてベンチに戻った。トレーナーのチェックを受けた。大丈夫だと言い続けた。大丈夫だと思いたかったから。でも再断裂だとわかっていた自分もいた。復帰してまだ4か月だぞ、まだ公式戦2試合目だぞ、なんも恩返しできてないぞ、試合見せてないぞ、チームになにも貢献してないぞ。受け入れたくなかった。病院に行った、ほんの少しの希望を持って。



ダメだった。


サッカー人生そんなうまくいかないし、いい事ばかりじゃなかった。


そこで私は選手としてのサッカー人生を終了した。




ブログの最初にも書いたが本当に苦しい4年間だった。サッカーをしている期間の方が短かった。怪我での生活を通してもちろん成長した部分もある。もちろん人それぞれではあるけれども試合に出てチームのために闘うことが一番だと思っている私は悔しさが残る4年間だった。情けなかった。


でもこうしてサッカーに出会い、サッカーを続けてきた約17年間は本当に私にとって最高な財産だ。サッカーを通して多くの方に出会うことができた。喜びも、悲しみもたくさん経験した。ありがとう。Enjoy soccer life だった。


最後になる。メッセージと感謝を伝えたい。


本当に感謝しかない。救われた。一緒のピッチに立ちたかった。本当に応援してる。試合に出てプレーしてるのを観に行きたいな。最後の大学サッカー1年楽しんでくれ。


晋太郎

後輩の中じゃ一番一緒にいたな。楽しすぎたな。同じ怪我もしたな。同じ病院で手術もしたな。築地で最高な店見つけたな。サウナいったな。期待してるぞ。焦るなよ。大丈夫お前なら。頑張れ。いい報告待ってる。


George 青汰 レオ みぞ

やっぱ前十字組にはさ、頑張ってほしいよ。俺みたいにはならないでくれ。焦らずじっくりだぞ。無理はしないで。


後輩へ

ほかの人にも書きたいけど前十字組にしか書けなくてごめん。辛さわかるから。

来年は3部という新しいチャレンジが始まると思うけど大丈夫だ後輩たちならやれる。

昇格してくれ。飯ほんとに行きたい人いたら連絡待ってます。


マネージャーへ

いつもありがとう。これからも後輩たちを支えてやってください。同期大切にしてください。


咲季ちゃん

ついに久我山一人だね。寂しがらないでね。久我山代表よろしく!!がんばれよ!


かりん あやき かんな

まず初めに本当に辞めないでついてきてくれてありがとう。

誰かは辞めるかなぁとおもったけど(笑)冷たい井上と話してくれてありがとう。

メッセージくれたりさ救われた機会が何度もあった。

バランスよかったんじゃない?(笑)

お前ら三人で良かった。


同期へ

最高な17人。

4年間まずはお世話になりました。辞めないでくれてありがとう。

本当に最高な仲間に出会えてよかった。

特に特徴のない代だったかもしれないけどそれが本当に俺は居心地が良くて最高でした。

明海大学とのプレーオフのは本当に応援もプレーしている選手も最高だった。

同じ怪我に苦しみながら最後はピッチに立ってくれた琢夢、竜輝、塩盛ありがとう。嬉しすぎるよ。感動した。俺もみんなの前で試合に出たかったとすごく思ってしまったけど最高のプレーを見してくれて本当にありがとう。


ぶっ豚部はとにかく最高!!!!!


当たり前だった日常がなくなっていくのは嫌だけどこれからもよろしくね。

明日からの120連休楽しもう全力で。

お誘いまじで無限にまってる。

同期のみんな愛してる。


井上翔太という選手を指導してくださった

左近&子鹿

スカイFCニ砂

バデイSC江東

ジェファFC

國學院久我山高校

東京農業大学

の指導者の皆様本当にありがとうございました。

サッカーに関わる全ての人々幸あれ



両親へ

これまでサッカーを続けさせてくれてありがとう。高校では両親の夢であった選手権に連れていくことができなくてごめん。

最後の4年間も多くの試合を見せることができなくて本当にごめん。農大で行われた成蹊大学戦が最後になってしまったのかな。そこは本当に悔いが残ってます。怪我をしても最後まで頑張れと応援してくれた両親はとても心強かった。

サッカーを続けさせてもらったおかげで多くの大切な仲間ができました。

今までは試合に出てる姿を見せるのが恩返しだったけどこれからは違う形で返していきたいと思います。

ありがとう。これからもよろしく。


少し長くなってしまいましたが最後まで読んで頂いた方ありがとうございます。


明日は農大のお母さんこと浦山あやきさんです

後輩への指導もしていてしっかり者なあやきからはどんなことが聞けるのでしょうか

楽しみにお待ちください。

コメント
名前

内容


ベシマル
2022-11-30 05:47:49

57歳のジジイです。
友人は最大の財産です。
ケセラセラという気持ちも忘れずに。