農大の誇る心優しきお父さん。
旅館の女将になるのでは?という噂もある
三浦篤史から紹介に預かりました。
そろそろじゃない?バイビジ会。
三富嵩大です。
高太にポエマーと揶揄されるのも癪なので、
この4年間の想いを率直に書いてみました。
少し長くなってしまいましたが、読んでいただけると嬉しいです。
「原動力」
19年にも及ぶ長い長いサッカー人生が終わろうとしている。
その中でも、
農大で過ごした4年間が圧倒的に印象深い。
濃すぎた。そして、本当にしんどかった。
でも本当に楽しくて充実してたし、
全てにおいて成長できた4年間だった。
胸を張って言えます。
このブログで大学4年間の全ては振り返りきれないけど、少しだけ振り返ってみようと思う。
まずは入学前。
2/10の始動が早すぎると、ブーブー文句を言っていたことを思い出す。
※共に文句垂れていたのは、チャーリーこと中野英寿です。
チャーリー7年間ありがとう!
とてもお世話になりました。
高校サッカーからの引退ライフをとても楽しんでいたので、尚更練習が始まるのはつらかった。
そんなこんなで始まった農大での4年間。
1年の頃から関東リーグに登録してもらい
ちょこちょこ試合に絡み、
2年の春先のアミノや、
都リーグ開幕戦はスタメンで使ってもらった。
横河と久我山で叩き込まれた止める蹴るなどの基本的な技術だけには自信があり、
そのおかげでまあまあな大学サッカー生活を送れていた。
でもそこから、公式戦に登録されることは
4年生になるまで一切なかった。
そして、自分の立ち位置もTOPではなく
ST(セカンドチーム)が主戦場となった。
理由は明確。
走らない
すぐ痛がる
すぐ怪我する
守備を頑張らない、サボる
すぐ言い訳
などなど
挙げればキリがない。
チームのためにプレーしていなかった。
ベクトルを周りに向けていた。
それをスタッフにも見抜かれていた。
練習中にちょっと削られては倒れ込んで、
陸生に「痛えなら出ろよ早く!」
と叫ばれ、
「ファールだろ!」
って言い返していた。
本当にどうしようもない人間だった。
未だにガイモンこと高太と輝はいじってきます。
恥ずかしいのでやめてください。笑
ベクトルは全て周りに向け、
〜のせい、〜だから と言い訳。
自分が駄目で実力不足っていうことを
頑なに認められない。
本当に弱い人間だった。
そんな状況だったのに、
今年。最後の1年。
ほとんどの試合に出ることができた。
絶対に試合に出られないと思ってたのに、
試合に出ることはほぼ諦めかけていたのに、
強い覚悟を持つことで
全てが変わった。
見える景色も全部。
本当に変われて良かった。
心からそう感じている。
落ちるとこまで落ちた
そんな自分を知っている人は、
最前線で全力でボールを追い回し
2度追いしてキーパーにまでプレスしに行く
三富嵩大の姿なんて誰も想像がつかな
いと思う。
和田が、
(ロケランのことです)
「タカほんとに変わったよな〜。嬉しいよ俺は。」
って言ってくるのは本当に嬉しかった。
特に和田に言われることが嬉しかった。
ロケランありがとね。
なんで変わることができたのだろう。
理由は何個かあると思うけど、
1番の理由はやっぱり、
「同期の存在」
これに尽きる。
ん?どゆこと?
って思う人も多いはず。
3年生の10月、自らのケア不足により肉離れをおこした。(徳さんすみません笑)
怪我で離脱を繰り返し、
自分の好きなプレーしかしない。
もちろん1番下のチーム。
当然の結果だった。
そんなとき
ふと頭に浮かんできたのが、
このままサッカー人生を終えていいのか?
自分は、同期と笑って引退できるのか?
という2つの疑問。
自分はチームに貢献できているのだろうか。
ラスト1年もメンバー外でいいのか。
このまま自分の弱さに負けて終わるのか。
何より、ここまで続けてきた大好きなサッカーをこのまま終えていいのか。
そして
年々大好きになっていく、
最高な同期。
尊敬できる同期。
かっこよすぎる同期。
大好きな同期達とラスト1年完全燃焼し、
心から笑って引退する。
やり切った。お疲れ様自分。
って競技サッカーを終える。
そんな終わりを迎える為には?
自分がすべきことは?
答えは一つしかなかった。
「試合に出る」
自分が貢献できるとしたら、プレーしかない。試合に出るしかない。
覚悟を決めた。
泥臭くてもいい。這い上がってやろう。
って。
ここで意識が根こそぎ変わった。
マインドを全て変えた。
気づくの遅い。
そんなことは自分でもよくわかってる。
でも、
このままじゃダメなんだって気づき、
変化しよう、プライドを捨てよう。
泥臭く下から這い上がってやろう。
強い覚悟を持てたことが重要だった。
何よりもその覚悟が自分には必要だった。
肉離れから復帰してからは、
とにかく走った。
チームのために。
自分の得意なプレーをしたいとか以前に、とにかく走った。
泥臭く、どんなボールにも食らいついた。
がむしゃらに守備をした。
プレスバックなんてきつくてしたことなかったのに、時にはセンバのとこにいた。
2度追いなんてダサくてしたくないなんて思ってたのに、3度追いとかしてた。
キーパーまで追うのが普通になってた。
裏に走るのなんて似合わないし、足遅いし、やりたくないと思ってたのに、相手の背後とることもチームのためにやってみた。
急にどうしたこいつ。
みたいに思われてたかもしれない。
でも不思議なもので、
サッカーがどんどん楽しくなっていった。
今までの倍は疲れてたけど、
充実感が半端なかった。
自分のプレーの幅も間違いなく広がった。
間違いなく成長していた。
そして何より、チームに貢献できてるって感覚が物凄くあった。それが嬉しかった。
そして、今までしたこともないようなダイビングヘッドで点も取れるようになった。
さるげっちゅナイスアシスト!
(柳谷君のことです。)
自分が最後の年でほとんどの試合に出ることが出来たのは、怪我人が続出しててたまたまチャンスを貰えたっていうような運もあると思う。
でも、運を引き寄せるのも自分次第。
チャンスを掴むのも自分次第。
泥臭く、がむしゃらに頑張れたからこそ、
チャンスが降ってきたのかもしれない。
運を引き寄せられたのかもしれない。
農大を代表して闘えるという光栄な機会を貰えたのかもしれない。
変わるきっかけなんて何でもいい。
強い覚悟を持つときなんていつでもいい。
3年の10月までどうしようもなかった人間でもここまで変われる。
でも、強い覚悟を持てるときって
誰かのために頑張りたいって思えるときかもしれない。
これは自分がサッカーをしてきて、1番感じてきたこと。
どんなに苦しい状況でも、
試合に出られなくても、
泣くほど悔しい想いをしてても、
踏ん張って常に全力で取り組む同期の姿。
4年生としてチームを引っ張る同期の姿。
自分には尊敬できる同期のみんながいた。
本当にかっこいい仲間がいた。
試合中どんなにキツくても、
走るの嫌いな自分でも、
それを思い浮かべるだけで、
不思議とパワーが湧いてきた。
前期の絶望的な状況でも、
心が折れなかった。
想いを背負ってるのだから、
諦められるわけがなかった。
「誰かのために」ってときに出てくるパワーは本当に物凄い。
何十倍、何百倍にもなる。
自分が頑張れた一番の原動力。
それは、
周りの人への感謝の気持ちや愛情だった。
心が折れそうなときも、自分を奮い立たせることができた。
そんな仲間を持てたことは誇りです。
1番お世話になった大先輩の言葉を借りると、
「結局、愛だから」
間違いないです。最高の言葉です。
そしてもう一つ。
「最後は気持ち。」
という言葉。
自分はこの言葉が大嫌いで、
いつも否定して目を背けてきたが、
最後の年に、この言葉の本質に気づけた。
本当に気づけて良かった。
サッカーを通じて得られたこの感情は、
自分の誇りであり宝物です。
サッカーで学んだことは、人生においてとても大きなものになるはず。
ずっと大切にしていきたいと思う。
いろんな人に支えられたサッカー人生。
悔しい思いもたくさんした。
キツくてやめたいときもあった。
逃げ出したいときもあった。
それでも、最高に楽しかった。
みんなで喜ぶ瞬間が最高に気持ち良かった。
結局サッカーは大好きなので、ちょっと休んだらまたサッカーしたくなるかもしれない。そのときはまた思う存分楽しもうと思う。
ひとまず、
お疲れ様。よく頑張った!
って自分に言ってあげたい。
そして、本当に自分は人に恵まれた。
常に最高の仲間やスタッフとサッカーができていた。
克矢は9年間ありがとう。
サッカーに向き合うきっかけをくれてありがとう。感謝してもしきれません。
1番負けたくないライバルでした。
関わってくれた全ての人に本当に感謝しています。ありがとう!!
後輩のみんな、本当に期待しています。
シーズンが終わるとき、キャプテンとスタッフを胴上げしてください。それができなかったのが、大学4年間の唯一の後悔です。
可愛い後輩達の活躍を楽しみにしています。
井上翔太、怪我になんて負けるな。
這い上がれ。1番期待してるから。
辛くなったら久我山会開くからいつでも言ってね。活躍期待してます。
他にも名前を出したいけど、
キリがなくなるのでやめときます。笑
同期へ
まずは4年間本当にお疲れ様。
そしてありがとう。大好きです。
毎日が本当に楽しかった。こんなに濃い充実した4年間を過ごすことができたのも、みんながいてこそ。
みんなと全力で駆け抜けてこれた4年間は宝物です。
みんなで飲み行こう!
一生仲良くしてください!
スタッフの方々
本当にお世話になりました。
こんな自分を見捨てないでくれて、最後まで可能性を信じ続けてくださり、本当に感謝しています。
そして三浦さん、ブログしっかり書けました。あのまま変わらなかったら、このブログは何も書けていなかったと思います。厳しい言葉ありがたかったです。とても感謝しています。結果で恩返しができなかったことが心残りです。
本当にありがとうございました。
家族へ
まずは19年間もサッカーを続けさせてくれてありがとう。理想通りとはいかなかったけど、充実したサッカー人生でした。本当にありがとう。
父の厳しいけど愛のある言葉。母の不器用すぎる叱咤激励。姉の天然なちょっと抜けてる応援。家族の応援が最高に励みになってました。感謝しかないです。
立派な大人になって、恩返しします。
これからもよろしくね。
最高の4年間でした。
東京農業大学でサッカーができて良かった。
沢山の方々に感謝です。
ありがとうございました。
長く拙い文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。
明日のブログは、
農大の走れる司令塔。
むらけんこと村井健斗選手です。
寡黙な彼の、内に秘めた想い。
楽しみですね。
ご期待ください!