4年引退ブログ
『 終わりなき旅 』
藤井 建悟 ( 八千代松陰高校 )
まず初めに日頃から東京農業大学農友会サッカー部をご支援、並びに応援してくださっている皆様、誠にありがとうございます。
この場を借りて、御礼申し上げます。
今後ともご支援、応援よろしくお願いいたします。
同期で一番の問題児から、見事聖人?神?まで成長した私の相棒 新良介 よりご紹介に預かりました。
国際食料情報学部 食料環境経済学科
今年1年間でミスチルを聞いた分数は30,000分超、ミスチルを愛し、ミスチルに愛された男。
サッカー部ではコイントス係、キャプテンマーク係、2代目クソ幹部(初代は岩永隆利)
と散々言われてきましたが、サッカー部主将 藤井建悟です。
みんなの卒業ブログを読みながら、めっちゃいい文章書くじゃん、とかこんな思いを持っていたんだ、俺こんな良いこと書けないよとか思いながら毎日楽しみにしていた同期の引退ブログを読んでいたら、あっという間に最後の自分の番が回ってきてしまいました。
杉山諒に「建悟くんのブログ別に期待してない!」と言われたので気楽に書かせて頂きます!
文才がないのでまとまりのない文章になっているかもしれませんが、息を切らして駆け抜けた4年間を振り返りたいと思います。
最後まで読んでいただけると幸いです。
それではスタート。
6個上の兄の影響で小さい頃からボールを蹴り始めた。
サッカーを始めてから高校まで、コンスタントに試合に出て、所属チームではそれなりに結果を出してきた自分は、なんとなくどこに行っても試合出て活躍できるもんだと思っていた。
大学入学時、無名の高校出身の自分は来年度の入部者リストを見て、みんなと同じようにゲキサカで名前を検索する。
え、こいつすごいなー。
選手権出てるとこじゃん。
名前聞いたことあるな。
という選手ばかり。
(当たり前に自分の名前を調べても何も出てきませんでした、でも同じく何も出てこない明星学園出身とかもいた)
今もあまり変わっていないが、この時も根拠の無い自信を持ちがちな自分はとにかく自信があった。
そんな名前が全国に知られている人たちと混じってもある程度やれるんだろうな。と思いながら行った練習初日。
回しとポゼッションで受けた衝撃は今も忘れない、新入生+当時4年のあつしくんと2年のたいせいがいた。
いつも通りやれば問題ないと思っていたが、最初に自分にきたパスはあつしくんからのほぼシュートスピードのパス。
なんだこの人、新入生に意地悪すんのかよと思った。そして次のパス、またシュートが飛んできた。トラップが出来ず鬼になった。
わざとやってんだろこの人、めっちゃ嫌な先輩いる!と思ったがあつしくんはにっこり笑顔で目を細め「すぐ取れるよ〜」と言ってきた。
待てよ、この人意地悪してないじゃん、通常でこのパススピードか。と衝撃を受けた。
しかもみんなその日のうちにスピード感に慣れ、普通にプレーをしていた。
最初の練習で打ちのめされた自分だったが、反骨心むき出しの自分は、何故かここから成長し、試合に出られる自信があった。とにかくトップチームで試合に出るためにどうすればいいかを考えた。
大学入学までやったことないウエイトトレーニング、毎回酸欠で意識飛びそうになるくらい追い込む低酸素のパーソナルも自分で見つけて通った。
そして何より練習中の意識を変えた。
練習前に意識することを決め、どんなにきつくてもチャレンジし続けた、上手くいかなければ先輩やスタッフに意見を求めに行った。
上げの日に俊くんに「出ていけ」と怒鳴られることもあったが、何がなんでも試合に出たかったし、当時の監督三浦さんからの「間違いなーい」が欲しかった。
やり続けた結果、主戦場はアイリーグだったが夏頃からトップのベンチに入ることができた。
1年間で努力の方法と自信を身につけた。
2年目、リーグ戦開幕前から調子が良く、得点に多く絡めていたことで開幕からスタメンで試合に出ることができた。
この頃から、試合に出ることへの重みやプレッシャーを感じるようになった。
より勝利に、より得点に貪欲になり、調子も上がっていた。
しかし、4節の朝鮮大学戦。
何もできずに負けた。
本当に何もできなかった。
得意だと思ってた仕掛けは全てシャットアウトされた。
失点にも絡んだ。
自分の無力さを痛感し、応援してくれているみんなに情けないプレーを見せてしまった。
ここから前期、調子はガタ落ち。
現代サッカーの花形であるウィングを務める選手がパスを受けたく無いと相手の背後に隠れる、ポジショニングはまるで青木凱だった。(本当はそんなこと思ってないよ)
何もできない選手になっていった。
当時の自分は良い時と悪い時の差が激しく、悪い時はみんなを避け、塞ぎ込んでしまっていた。
そんな自分が調子を取り戻すきっかけになったのは、この年の夏に行われた川上村合宿。
どうして調子を取り戻したか。
みんなに感動してもらいたいから、同期のみんなが声をかけてくれて、とかいうエピソードがあれば良かったんだけどね。
本当は30m走で足が速いことが分かったから。
それだけ。
高校までは別に足早く無かったから気づかなかったが、トレーニングを重ねていたらいつの間にか武器が増えていた。
あとは今まで培ってきたボールタッチやスキルとスピードを組み合わせるだけ。
感動もクソもない調子の取り戻し方をしたけど、自分の武器をやっと理解できた瞬間、プレーヤーとしてのレベルが一気に上がった。
そこからはひたすらサイドバック陣を捕まえて仕掛ける練習をやり続けた。
(農大サイドバック陣のみんな、怪我する程1対1やってくれてありがとう)
選手として変われる瞬間はいつ来るか分からない、それは誰にだって必ず訪れる。
だけどそれまでに積み重が無い選手は変わる瞬間に気づけない、だから毎日を大切にしてアンテナをビンビンに張っていて欲しい。
チームとしては入れ替え戦で勝ち、ギリギリ関東3部に昇格した。
そしてこの年Jリーグのクラブに1チームだけ練習参加させてもらった。
どんな選手がいて、どのくらいレベルが高いんだろう、と思い入った練習。
ある程度やれた。
もしかしたらもうJリーグ行けるんじゃね、とか思っていた。
児玉さんも練習を見にきていたので自分がある程度やれていたことは見ていた。
練習参加後に児玉さんに、「ある程度やれました。」と伝えた。
児玉さんから「ある程度やれていたけど、ある程度じゃ獲ってくれないよ。」
と言われた。
当たり前だ。でもその当たり前のことを忘れていた。
2年でたかが練習参加したくらいで満足している自分がいた。
本当に恥ずかしい。
でもここから学べたことも多かった。
実際に練習参加してプロになる難しさ、生き残る厳しさを感じることができた。
そしてプロサッカー選手になるために、より数字にこだわるようになった。
なにより今まで持っていた「ある程度やれた」で良し、としていた今までの基準の甘さに気づき、より圧倒的なプレーをしなければと思うことができた。
ここまで2年間、ほとんど「同期」「仲間」といった引退ブログあるあるのワードが出てきてない。
ここまでは自分が良ければいい、自分が点を決めれば良い。と思っていた。
そして3年。
この年、農大サッカー部ではお馴染みの「干渉」に苦しめられる。
誰かが問題を起こすとスタッフから言われる言葉は「お前ら干渉してない。」
あと1年で最高学年になるという焦りと同時に、学年での様々な問題を無くしていく必要があった。
そんな中、「干渉する」ということを深く考えるきっかけになった事件が起こる。
1年生のみんなは信じられないと思うが、あの「性人」良介が合宿での走りを勝手に抜けたり、練習中にスタッフに反発しが無期限サポートをすることになった。
(詳しくは良介のブログ)
それまでも学年ミーティングをして、良い学年になりたい、陸王くんの代みたいになりたい、と話していたけど、この事件をきっかけに危機感を覚え、よりそこに対しての想いが強くなった。
後輩達に馬鹿にされながらも、沢山の学年ミーティングを重ねなんとか「干渉」の自分達なりの正解を出そうともがいた。
遅かったけどこの時くらいかな「仲間」「同期」とかを意識し始めたのは。
チームとしては久しぶりの関東リーグの舞台、シーズンを通して連勝はなく常に残留争いをしていた。
この頃学年での問題がチラホラ出てきてよく隆利に「どうしようもない代。」「お前らまじでやばいよ。」と何度も言われた。腹立つ顔して。
その時はあまり深く考えていなかった。ていうか考えられなかった。
そんな事もあったが、チームのために考えて行動し、沢山のものを積み上げてきた4年生の力が大きく、最終節まで残留争いをしたがなんとか残留できた。
そして4年生がいなくなり、次の主将は蒼太郎だとみんなが思っていたと思う。
自分は副将くらいかなと思っていた。
新チームの幹部が発表され自分が主将になった。
正直自分が主将でいいのかすごく不安だったし、チームをまとめなきゃいけないという心配があった。
児玉さんからは、別に期待してないから。と言われた。
ん?
なにそれ。
その時は意味が理解出来なかった。
でも自分が主将である意味をみんなに示さないといけないから何かしないと、と焦りがあった。
そんな焦りがあった時、良介と大輔にどうすればもっと主将っぽくなれるのか相談したことがある。
2人は「お前はピッチで引っ張り続ければいいんだよ、それをさせるために俺らが支える。」と言ってくれた。
本当にそれでいいのか迷いもあったし、スタッフが理想としていたものは違うのかもしれないけど、一番信頼している仲間がこう言ってくれたから割り切ってピッチ内のことに集中することにした。
今年こそ関東2部に昇格するためにオフシーズンはかなり鍛えた。
走りと筋トレを日替わりで2週間毎日やり、体も心も強くなりチーム全体で基準をあげた。
本当にきつかった、2週間毎日明日が来るのが怖かった。でもこういう時にどんな声をかけられるのか、どんな姿を見せることが出来るのか、自分を支えてくれようとしている仲間のために、主将として少しでも示しをつける強い覚悟があった。
地獄の2週間を終え、沖縄遠征に行った。
何人かのブログでも出てきたが、荷物の確認が甘く三脚が空港で没収されるという最悪のスタートを切った。
合宿のスケジュールを立てたり、空き時間の使い方などを決めることが初めてで、全体を通してもっとできることがあったなと感じる遠征になってしまった。
こういう時にピッチ外で気づけない自分に嫌気がさした。
その中でも自分のこともあるのに本当にいろんなことに目配り、気配りしてくれた大輔には頭が上がりません。
沖縄ではFC琉球や社会人チーム、大学と様々なチームと試合をさせてもらった。
帰ってきてから明治学院とも試合をした。
1試合も勝てなかった。
あれほどピッチの上で引っ張っていかなきゃと思っていたのに、あれだけ走ったのに、全く勝てなかった。
明治学院戦に関しては4年生チームで出て、4年として意地を見せようと意気込んでいたのに。
それでもやってきたこと、やっていることに信じて、とにかく前向きにやり続けた。
そして3月10日、明海大学戦でやっと勝てた、下のカテゴリー相手に決していいゲームとは言えない内容だったけどとにかく勝てたことが嬉しくてホッとした。
(覚えてないけどなんか俺泣いてたらしい。)
この日以降リーグ開幕まであまり負けた記憶がない。
そんな波に乗っている状況で関東リーグが始まった。
今までとは試合に向かうモチベーションの源が変わっていた。
今までは、自分がいいプレーして、自分が点取ってやろうとしか思っていなかった、もちろんこれは今も思っていることだし、アスリートなら誰もが持っていなければいけないものだ。
だけど今年の自分は仲間のため。
怪我でプレー出来ない悔しい気持ちがありながらもチームを優先してピッチ外に気を遣ってくれている仲間。
中々試合に絡めないけど全力で練習に取り組み週末は応援で後押ししてくれている仲間。
試合をするために運営に回ってくれている仲間。
この仲間達の思いを背負えないならプレーする資格は無い。
どんなにキツくても、劣勢でも、何点差がついていても、必死にボールに食らいつき、走り、泥臭く闘う。
これが俺なりの主将として出来ることだった。
全ては勝った時に全員で歌う情熱の薔薇、試合後の喜びの抱擁、その最高の瞬間のために。
途中2試合連続の大敗をしたり、アミノ1回戦で負けたりすることがあったが、関東リーグでは勝ち点を重ね、残り4節の時点で首位にいた農大と2位の國學院の勝ち点差は5もあった。
昇格だけでなく、優勝も見えてきた。
しかしそこから2試合無得点の勝ちなし。
ここで國學院に追いつかれてしまった。
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それでも、もう落ち込んでいる暇はないと次の試合に切り替えた。
そしてホーム最終節、東京経済に勝てば7年ぶりに関東2部に昇格が決まる試合。
多くのチャンスを作り出し2点を取った。終盤に押し込まれたが、、全員が走り、ディフェンス陣は体を張ったブロックをし、蒼太郎がスーパーセーブをし、なんとか2-1で勝ち昇格が決まった。
7年ぶりに昇格が決まった。
なのに昇格が決まった直後に蒼太郎と喧嘩した。
蒼太郎がどう思ったかは分からないけど、本当に要らなかったな。ごめんな。
最終節では大量得点での処理が必要な中で、負けてしまい2位でリーグ戦が終わった。
あれだけ優勝が近づいていたのに、プレッシャーがかかった場面で力を発揮できなかった。
なんとか後輩たちに繋げたられた関東2部の舞台。
ピッチ内外で4年生は出せる力を存分に発揮し貢献してきたという自信がある。
忘れないで欲しいのは、1.2.3年生の力と4年生の力が組み合わさったから。
全て4年のおかげ、なんて思わないで欲しい。
関東2部に上げたのは全員の力。
これが農大の闘い方だから。
本来なら関東リーグの最終節のタイミングで4年生は引退となるが、1週間後の関東交流戦を4年チームで試合をして後輩達に積み重ねてきたものを見せて引退してほしいと言われ、試合に出ることになった。
みんな文句を言いながらも半分くらいの人は自由参加の練習に来ていた、修吾とかすごい文句言ってたのに練習来てたの嬉しかったな。
それでも半分くらいの選手は全く練習せずに試合の日を迎えた。
4年生チーム。
これまで4年チームで勝ったことない、紅白戦でも後輩達にボコボコにされるくらいだった。
しかも練習してない人たちがスタメンで。
でもどんな試合でも負けていい理由はない、それは関東リーグもこの試合も同じ。
最後、今までピッチに立てなかった人も何かを後輩達に残そうと必死に闘った。
不思議だよね。
一切ボール蹴ってないし動いてない人が、あんなに前プレもしてプレスバックもして球際戦えるんだもん。
見えない何かが体を動かすってこう言うことなんだなと、思いを持った人は強いんだと感じた。
だけど試合は4年生チームらしく早々に失点、前半に逆転したけど後半に見たことのない時が止まるような情けない失点で2-2の同点に追いつかれた。
しかし誰一人諦める人はいなかった。とっくに足が限界を迎えていても走り続けるみんながいた。
後輩に何かを残すため。自分達が過ごしてきた4年間が間違いじゃ無かったと証明するために。
後半41分、コーナーキックを獲得。
蹴る前になんとなく、俺のコーナーで良介が決めたらすごいなーとか思っていた。
でもとにかく誰でもいいから決めてくれと蹴ったボールに飛び込んだのは良介だった。
今までの人生でこんなに嬉しいゴールは無い。
劇的ゴールで勝つことができた。
こんな勝ち方できるんだ、やっぱり4年間の積み重ねは間違ってなかった。
最高の締めくくり方が出来た。
蛭子さんが最後泣くくらい、いい学年になれたんじゃないかな。
あの時の4年と比べてもいい学年だったと言えるようになったんじゃないかな。
今までピッチ上のことが全てだと考えていた自分にピッチ外の大切さ、大変さを知ることができた。
そして人間としてどれだけ成長できるのか、自分には出来なかった沢山の気づきをして行動に移すこと。
それをしてくれた同期のみんなには感謝しかない。
やっぱ自分でも思うよ、俺が主将じゃなくてもチームは成り立つ、みんながそういうチームを作ってくていたんだなって。
みんなの理想のリーダー像とはかけ離れたものであったかもしれないけど、自分はこんなに素晴らしいチームにいられたことを誇らしく思う。
ありがとう農大。
愛してる俺たち農大。
後輩たち
間違いなくみんなはサッカーは上手いし能力も高い、だからこそもっと色々なことに気づけるようにして欲しい。
気づくことや危機感や焦りは早く持って損は無いから。
全てのことに正解は無いかもしれない、だけどその正解を探す過程で多くの成長出来るチャンスが転がってるはず。
あんまり上手いこと言えないけどみんなに期待してます。
縦と横の繋がり、どっちも大切に。
強い農大を作り上げて下さい。
児玉さん
たくさん色んな話をして、色んな事を学ぶことが出来ました。
プレーヤーとしても入学時に比べて数段レベルアップ出来た気がします。
主将としての役割は全う出来たか分かりませんが、とにかく児玉さんと共に昇格し喜ぶことが出来て本当に良かったです。
ありがとうございました。
蛭子さん
泣き虫けんごって言って来てたけど、去年の慶應戦の時にえびさんが泣いてる写真バッチリあったし、自分たちの引退試合の時もしっかり泣いてましたね。
自分が調子が悪い時にいつも声掛けてくれてくれたり、アドバイスしてくれたり、いつも選手目線で接してくれるえびさんには本当に助けられました。
一緒に泣き虫卒業しましょう!
ゲンさん
最後の1年間しか一緒に闘えなかったのに、もう何年も一緒に闘って来たみたいに信頼関係が出来ていた気がします。
げんさんのおかげで農大のセットプレーは脅威になりました。
農大に来てくれて本当にありがとうございました。
ダイエット頑張ってください。
高津さん
毎週水曜の高津さんの話は本当におもしろくてタメになる内容でした。
怪我をしなかったのでみんなと比べて関わる時間が短かったですが、農大に来て農大に貢献して下さり本当にありがとうございました。
三浦さん
4年前、まさか自分が推薦枠を勝ち取れるとは思っていませんでした。
今の自分があるのは間違いなく農大に来ることが出来たからです。
プロに行くことが決まった時も電話を下さったり、気にかけて頂き本当にありがとうございます。
どこに行っても自分らしく這い上がっていきます。
徳さん
3年間ありがとうございました。
徳トレ、長いしきつかったけど強くなれました。
杉さん
シュート練習、セットプレーのキックの練習、たくさんの練習に付き合って頂きありがとうございました。
まつひだいSC、クラッキスの指導者の皆様
自分のサッカーの基本はここで作られたものです、サッカーを楽しむこと、見てる人をワクワクさせること、礼儀などたくさんの事を学べました。
いい時間ばかりではありませんでしたが、ここで学んだ全てが今の自分を作ってくれています。
本当にありがとうございました。
八千代松陰高校の指導者の皆様
在籍した3年間であまりいい結果を残せませんでしたが、こうして今良いニュースをお伝えすることが出来て良かったです。
高3の時、主将としてピッチで引っ張ってくれと言って頂き、より結果にこだわるきっかけになりました。
ありがとうございました。
隆利
1年の頃からその背中を追っていたらいつの間にかクソ幹部枠まで追ってしまいました。
りゅうとが引退してもずっと連絡くれてたこと本当に嬉しかったし、一緒に温泉いったり飯行ったりすると元気出てやってやろうって気持ちになれた。
なんだかんだついていく先輩間違えてなかったわ。
廉さん
1年前、廉さんみたいに小説のように美しい引退ブログを書こうとしましたが、全然無理でした。
廉さんがいなかったらこの学年はもっと悲惨なことになっていたのではないかと思います。
道を踏み外しそうな時はヒントをくれ、軌道修正を促してくれる。
個人的にも色んな事を相談させてもらいました。
本当にありがとうございました。
廉さん次はまたビリーザキッド行きましょう。
諒
まずは温泉行った時毎回奢ってくれてありがとうございます。
次もよろしくお願いします。
毎年良くなる諒を見てると来年はどんな選手になるんだろうとワクワクしてる。
やる時はやる男!3代目クソ幹部!
頑張れ諒!
堀井さん
堀井さんが入学してから農大の心臓としてピッチにたってくれてありがとう。
来年はキャプテンになるけど背負い過ぎず、1個上のキャプテンが俺だったから参考にならなかったと思うけど、周りに頼りながら自分をぶらさずに頑張れ。
そういう堀井にみんなはついて行くと思うよ。
浦岡、沼田
ちゃんとしろ。
期待してる。
平野大樹
何回負けても「まだ負けてないっす」って言ってくる負けず嫌いな大樹。
色んなポジションで可能性を広げて行って欲しい。
何年生になってもその負けず嫌いな気持ちは忘れちゃダメだぞ。
また1対1やろうな。
藤井ブラのみんな
けんと
けんとみたいなやつは必ず報われる日がくる、それを信じて残り1年間悔いなくやって欲しい。
俺やっぱけんとのゴールみたいよ。
点決めたらまた抱きつきにこいよ。
あゆむ
今年いっぱいアシストつけてくれてありがと。
ストイックだし熱量持ってやってるからサッカーに関してはあまり心配することないからそのまま頑張れ。
ピッチ外に関してはあゆむは視野が広いから色んなことに気づいてると思う、それを行動に移せるかどうか、小さなことでもなんでもいい、気づいたらやってみな。
そうすけ
けんごくんその服ユニクロすか?じゃねーんだよ。
ほぼユニクロだよ。
はると
後期悔しい思いを沢山したと思う。
それがいつかいい経験だったと思えるようにして欲しい。
はるとのおかげで勝った試合は沢山あるし、関東リーグでも十分通用する力は持ってる。
最近のはると元気ねーぞ、気にすんな!
期待してるぞ!
あとファンは大切にしような。
かれん様
次のブラ会は個室を取らせて頂きたいと思いますのでもう少々お待ちくださいませ。
かれんちゃんの将来の話聞いてると本当にサッカー好きなんだなって感じる、俺も楽しみにしてるよ!
全員に書きたい気持ちは山々ですがきりが無いのでこの辺で。
全員期待してます!
ここからは同期
凱
散々バカにしてきたけど、やっぱり凱いる試合は助かることが多かった。
でもほぼ毎試合泣いてるのなに?
凱泣いてると面白くて泣けなかった。
こらからもタイミー頑張れよ!
しゅんすけ
まあまあ1対1強いね、あんま負けたことないけど。
しゅんすけが右サイドにいる時はやられることないから安心してサボれました。
もうサッカーはいいからカラオケの練習してね。
修吾
いちいち目合うのやめて、コメントchatGPTって言うのやめて、油どでんの美味しさ教えるのやめて。
本当の天才ってこいつなのかなって思うくらい上手いし、一緒にプレーしたら俺を活かしてくれる天才だった。
また火曜練で無双しような。
あ、もう引退してた。
雅史
何回1対1やったんだろうね。
ラスト1回はラストじゃないよね。
来年からはサーファー?
また温泉で語ろうね。
雅道
合宿の雅道。
1.2年の時の雅道じゃ考えられないくらい3.4年の雅道は明るくてみんなを笑わせてた。
なんか俺まで嬉しかったよ。
鈴木優磨を使わなくなった雅道はなにも怖くない、いつでもかかってこい。
青汰
くそがきせいた。
みんなも書いてたけどしっかりストレートに物事を言える青汰のことすごい羨ましかった。
どんなに怪我しても腐らずに努力し続ける姿は本当にかっこよかった。
Tiktok LIVEなんでバレたんだろうな、あの中華行こうな、え?あれはブログで言っちゃいけないんだっけ?
たくさんの時間を一緒にいれて楽しかったよ。
左遷されても頑張れよ。
良潤
からあげ棒って言ってごめんなさい。
社会人の試合でフルボッコにされた試合覚えてる?
あの時良潤が本気で悔しくて泣いてたよね。
ああやって泣けるのはやっぱりそこに想いがあったからだと思うんだ。
だからこそ思いを持ったプレーを最後まで見たかったな。
けど怪我もあったり色々あったと思うけど最後まで一緒にいれて良かった。
リリースでた時に1番はやくメンションてくれてありがとな、サインはいつでも書きます!
Joji
酒が入った時に0距離で熱く語ってくる、全体会の後サシ飲み行ったのに急にいなくなる、本当に変なやつでした。
おじいお疲れ様。
また駿太とあのベッドいくね。
進悟
進悟が事件を起こした時、本当に早く辞めろよって思った。
だけど復活してからの進悟の取り組みやプレーを見て、やっぱり必要な選手であることを再認識させてくれた。
やられた、と思う所を何度も防いでくれて本当に頼もしかったよ
怜於
れおの何度怪我しても立ち上がる姿は本当に勇気を貰った。
リハビリもトレーニングも誰よりも意識高くやってたのを知ってるから最後一緒にプレーできて嬉しかった。
足遅いけどね!
葵
まず運転手っていうのやめれる?
家も近くてオフの日一緒に過ごすこと多かったけどたまに変なテンションになった時、俺には対処出来ないよ、どうすればいい?
たくさん一緒に左サイド組んで、困ったらワンツーすれば取られないから楽でした。
ひかり
まずは4年間辞めずに一緒に闘ってくれてありがとう。
ひかりが書くゼリーのメッセージすごい感動してました。
農大を良い方向に変えたのは間違いなくひかりの力が大きいと思う。
ひかりがマネージャーで良かった、本当に良かった。
大輔
闇堕ち大輔が大好きだよ!
思ってもないのに俺が話す時にありがたいお言葉っていうのはウザかったけど、それ以外は本当よく頑張ってくれたよな。
大輔が居なかったらこの学年終わってたと思う。
ありがとう。
駿太
駿太がいたから何事もなく試合をすることが出来ました。
いつもふざけてるし、朝練はヘディングから合流するけどドリブルのキレは農大1だよ。
福島いったり、沖縄いったり三茶でオロロとか色々あったね。
またGeorgeの家にお邪魔しよう。
湯川
俺もライバルだと思ってる、だからこそプレーヤーとして辞めるとか言い出した時はムカついたしそんなレベルの思いしかないんだったら辞めろよ、って本気で思ってた。
結局残ってくれて、副将としても、プレーヤーとしても農大に貢献してくれた。
いつも前向きな竜生に何度も助けられた。
CEO頑張れ!
蒼太郎
Iリーグの時とは比べ物にならないくらい成長したね。
普段はにっにっとかぴよとか言う変なやつだけど、スイッチ入った時の蒼太郎は本当に頼りになるし、俺なんかよりずっとキャプテンっぽかった。
蒼太郎がいたから降格しなかったし、昇格できた。
本当にありがとう。
昇格決定直後に喧嘩したけどお互い本気で優勝したかったからこその喧嘩っていうちょっといい感じにしとこう。
ユニは買ってね。
良介
1番最初の会話はLINEで良介から「明日経堂から俺も一緒に行ってもいい?」だったよな。
可愛いやつじゃんと思ったけど、1年の時は準備しない、片付けしない、部車積みしない、1年の輪にいない、めっちゃ尖ってるやつだった。
それが段々一緒に試合で初めてから良介っていう人間を知ることが出来た。
今もゴミ人間であることに変わりは無いけど、良介の熱い思い持ってるとことか、チーム愛とか俺への愛とか全部大好きだったよ。
本当に最後まで一緒にプレーできて良かった、お前にだけは何があっても辞めて欲しくなかったから良かった。
欲を言えば関東リーグもっと一緒に出たかったな。
だけど人間として成長した良介、かっこよかったし羨ましかったし尊敬してる。
また世田谷代田で集合しよう。ありがとう最高の相棒。
あ、言い忘れてた。良介の弁当タンパク質と米多すぎだろ!えびさん気づいたかな。
最後に家族
父
どこに行っても名物サポーターになる、リュックの位置は高いし声もでかいし、熊みたいな体してる。
変な目立ち方するけど、やっぱりここまでサッカーを続けて、プロにもなれたのは間違いなく父さんがいたからです。
家の前でやるリフラン、試合当日の朝にやるテニボ、あれいい練習だったよ。
いつも口酸っぱくいってくる「感謝を忘れるな」という言葉。
その言葉の意味、すごく分かるようになりました。
これからは受けた恩をしっかり返していくので、応援よろしくお願いします。
ありがとうございました。
母
母は偉大、この言葉は母さんのためにある言葉だよ。
小さい時は夜家の前で練習する時電気で照らしてくれてたよね。
朝練の日は起きなくても良いよって言っても必ず起きておにぎりを作ってくれるし、駅まで車で送ってくれる。
家出る時は握手を必ずする、これはいつからやってるのかな。毎回パワー貰ってました。
来年から一人暮らしになって握手出来ないし、母さんのご飯食べることも出来なくなるし、家では早く家出てーとか言ってるけどやっぱり寂しい。
けど数年後ビッグになって必ず恩返しします。
親孝行、ここからだよ待っててね。
世界一の母!
兄
サッカーを始めるきっかけをくれてありがとう。
家の中でずっとサッカーやってたの懐かしいね、あのおかげで今も点取れてます。
6個離れてるけど絶対負けたくなくていつか追い越してやる、と思ってあの時からサッカーやり続けてきました。
自慢の弟になれるように頑張ります。
ありがとう。
そして最後に、先日リリースがありました通り、2025シーズンからアスルクラロ沼津に加入することになりました。
やっと掴んだJリーグへの挑戦権ですが、多くの方の支えがあったから掴み取れたものだと思います。
大学での4年間は自分をサッカー選手としても人間としても成長させてくれました。。
特に今年1年間主将として、色んなところに気配り目配りをして、サッカー以外のことにも気を遣わないといけない立場であるのに、ピッチで表現してくれ、と背中を押し続けてくれた同期、いつも自主練習に付き合ってくれたみんな、色々思いを持ちながらもどんな時も声を枯らして応援し続けたみんな、今まで所属したチームの指導者の方々、常に味方であり続けてくれ、熱狂的な応援をしてくれる家族、他にも本当にたくさんの方々のおかげでここまで来れました。
しかしここからが本当の闘いのスタートです。
感謝を忘れずに、これからは人生を賭けてピッチで「藤井建悟」を表現していきます。
高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな、まだ限界だなんて認めちゃいないさ。
本当にいい歌詞だよね。俺もそう思う。
俺はこれからも、
もっと素晴らしいはずの自分を探す終わりなき旅。
行ってきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
以上で私の引退ブログを締めさせて頂きます。
今回のブログを持って4年生の全活動が終わりました。
今シーズン関東2部昇格を果たしましたが、これは東京農業大学農友会サッカー部に に関わる全ての方々のお力添えがあったからこそ成し遂げられたものだと感じています。
来年からは関東2部の舞台で厳しい闘いが続くと思いますが、今後も強く、逞しく、強かに闘う農大をご支援していただければと思います。
本当にご支援、並びに応援ありがとうございました。
〈 思い出ショット 〉